13 0 0 0 OA 多聞院日記

著者
英俊 [等著]
出版者
三教書院
巻号頁・発行日
vol.第1巻(巻1至11), 1935

言及状況

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史料を見ていると突然スッとこういう情報が出てくるので、やっぱり伊賀の人はこういう事をしていたんだなあと感心してしまいます。 ■『多聞院日記』天文十年十一月廿六日 ・一今朝伊賀衆笠置城忍ヒ入テ少々坊舎放火、其外所々少屋ヲヤキ、三ノツキノ内一ツ居取ト云、 https://t.co/JMGUhFCFYO
脇差の情報は多聞院日記にあったはずと思って確認したらとりあえず天文12年の記事にありました。 ■『多聞院日記』天文十二(1543)年十一月 ・十日、藤壽丸刀指(かたなさし)了(おわんぬ)。(中略)。脇指(わきざし)ノサケヲ(下緒)クレナヰ(紅)、 https://t.co/BEGdgDcxAU
多聞院日記にある須川城落城の記録。「依多田桝(扱)、タウノヲノ奥方マテ罷離了」ってどう言う意味なんでしょう。「依多田桝」?? 「タウノヲノ」は「当尾の」? 当尾の奥まで散り散り(まかりあかり)になった? あんなとこでこんなことしてたんですね
多聞院日記. 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/lq2oEBgQK6
多聞院日記. 第1巻(巻1至11) - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/WasHLnqxDF
ちなみに第1巻はこちらです。 https://t.co/Yn6AzkKd1V
@Juttantan http://t.co/hHISdPZoVG コマ117が1543の奈良遊覧

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