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弥勒の道プロジェクト
弥勒の道プロジェクト (
@mirokunomichi
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投稿一覧(最新100件)
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平城山とは何か ―万葉歌、古代道路、地形から探る―
RT @NOZAWAHikaru: これだ。これを読んでみよう。 「平城山とは何か 万葉歌、古代道路、地形から探る」山田 隆文 https://t.co/BHc38h9GNI
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行基の誕生説話とその展開
聖地南山城展に出陳されている橋柱寺縁起には、行基の誕生譚が描かれており、行基は心太のような形で生まれてきたと書かれていました(参考:https://t.co/dr5POtXilR)。 https://t.co/eHPLgGmNZc
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休耕田を掘削して造成した湿地ビオトープにおける水生生物相
RT @oikawamaru: そんなあれこれを体で覚えた3年間毎月の湿地ビオトープ調査の結果をまとめた論文がこちらになります。オープンアクセスなので、興味があればぜひに。 https://t.co/Vswa25QYQ9
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年表加茂町の歴史と文化
なんと! 東里村史もおうちで読めますね。ありがとう国会図書館! https://t.co/GhS3RhkEkO 残念ながら加茂町史は個人送信対象ではなかったですが、年表加茂町の歴史と文化はありました。これ各戸に配られたんじゃなかったかなあ。家にもある気がします。 https://t.co/xjCCRVVZSa
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東里村史
なんと! 東里村史もおうちで読めますね。ありがとう国会図書館! https://t.co/GhS3RhkEkO 残念ながら加茂町史は個人送信対象ではなかったですが、年表加茂町の歴史と文化はありました。これ各戸に配られたんじゃなかったかなあ。家にもある気がします。 https://t.co/xjCCRVVZSa
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国立国会図書館月報
国会図書館のデジタル化作業風景、なかなか壮観ですね
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京都名勝
KIOTO☺️。なかなか良いセンス。今見てもかわいいです。https://t.co/ctFiQTeGsU https://t.co/G2eSposEtK
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旅の家つと
般若寺さんのページが一枚抜けてますね、これ
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旅の家つと
明治33年だとまだ談山神社より多武峰の方が通りが良かったらしいのが興味深いです。https://t.co/8L8x2xyaxv https://t.co/lTQaFdvmu6
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旅の家つと
笠置寺にこれまだありましたっけ? 平等石の裏かな。https://t.co/7FfcClnuqd https://t.co/WgxdJkttHp
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多聞院日記
多聞院日記にある須川城落城の記録。「依多田桝(扱)、タウノヲノ奥方マテ罷離了」ってどう言う意味なんでしょう。「依多田桝」?? 「タウノヲノ」は「当尾の」? 当尾の奥まで散り散り(まかりあかり)になった? あんなとこでこんなことしてたんですね
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花あしび
こちらで堀辰雄「浄瑠璃寺の春」を読めることを教えていただきました。他の旅のこと宿でのことなども読めて面白いです。「後記」には旅のいきさつなども書かれていました。https://t.co/fKTkQaiCkH https://t.co/tj7Z81A67R
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花あしび
こちらで堀辰雄「浄瑠璃寺の春」を読めることを教えていただきました。他の旅のこと宿でのことなども読めて面白いです。「後記」には旅のいきさつなども書かれていました。https://t.co/fKTkQaiCkH https://t.co/tj7Z81A67R
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大日本仏教全書
大日本仏教全書に浄瑠璃寺流記事が入っているのですが、「奈良大門造営事四足。是ハ奈良道赤門之事也」とあります。ところが、加茂町史版だと「是ハ奈良道前門之事也」になっています。今も赤門坂と呼ばれているので、「赤門」だと思うんですが、どっちが正しいんでしょう
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源平盛衰記
...続けて紹介されている源平盛衰記巻25のエピソードも興味深いです。ある日貞慶は重源が釈迦である夢を、重源は観音である夢を見て、貞慶は笠置寺を出て東大寺に向かい、重源は東大寺を出て笠置寺へ向かったところ、笠塔婆のところでばったり出会ったとの由。...https://t.co/ySBRY299CM https://t.co/C1nftZWGPu
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五畿内志
山城志の該当ページはこちら。https://t.co/hheBHroxz4
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
@26_N_1288 黒田曻義「当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他」に当時の古老から聞いた話として、そんな出来事が書かれています
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
RT @mirokunomichi: 先ほどのサイトで黒田曻義「当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他」に明治40年ごろの円成寺多宝塔の状態がわかる記述があることが紹介されていました。もうボロボロで大正初年には取り壊されたとのこと。https://t.co/SAW…
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大日本名所図会
大和名所図会の般若寺の次頁、(https://t.co/LZmE0Q7Ekt)、何かと思ったら、奈良晒の晒場でした。こちらの記事によると「「依水園」は、実はもと晒場のあったところ。のちに奈良晒を扱う将軍御用達商人・清須美道清が江戸前期、別邸をこの地に設けたのが前身」とのこと。 https://t.co/KZn63HtgZh
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英国のフットパスと地域活性化 : Walkers are welcome タウンの活動
イギリスのフットパスや「歩く権利」の進展はおもしろいです。日本の場合、山道が里道として市町村の管理となっていますが、イギリスではそういう小道は行政の管理下になかったということでしょうか。そうだとすると日本にはこうした道をつなげる上で有利な点もありそうです。https://t.co/YuCvJRtadg https://t.co/gfCbJIaGVU
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
元亨釈書の実範の項です。実範が見た夢の話も出てきます。https://t.co/ABzeH9fWAz(32-33) 黒田曻義「当尾と柳生の寺々 - 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他 -」関西急行鉄道でその内容が現代文に翻訳されています。https://t.co/JOdkuMRsE2 https://t.co/fJFJ5N2Kgm
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中ノ川実範の生涯とその浄土教 新出資料『念仏式』と『阿弥陀私記』を中心に
ネットで読める実範上人の生涯についてはこちらがよくまとまっています。実範は大治二年(1127)高野山御塔の落慶供養で唱礼を勤めたそうで、実範は声明でも達人であったと推察されるとのこと。>佐藤哲英「中ノ川実範の生涯とその浄土教」https://t.co/BebgjaFhOq https://t.co/3oohcodWIt
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眞言声明小談
こちらの論考では、進流声明が中川寺から高野山に移ったのは、久安三年(1147)と特定しているんですけど、だいたいは久安年中とされます。何が根拠なのかわかりませんでしたが、リーフレットの年表では久安三年としました。https://t.co/gnkWMfMUSI https://t.co/InGdQtcZ26
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南山進流聲明概説
お勉強中。今さらながら、中川寺址リーフレットで進流声明の本拠を高野山に移すことを了承した中川寺住職「慈業上人」を「慈行上人」と誤記していたことに気がつくなど...
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奈良の石仏
西村貞「奈良の石仏」昭18で、ミロクの辻弥勒磨崖仏が紹介されているのですが、「尊像のかたはらにある雑木の類には、草履をくくりつけて賽してある」と書かれています。そういう光景は見たことがないのですが、昔は引用先のように、草履がくくりつけてあったのかも。https://t.co/C6exESAmET https://t.co/oA14jP8vUJ https://t.co/w5lrKul6ml
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(書評)小澤浩著『中山みき―「心直し」から「世直し」を説いた生き神教祖』
RT @kei___: @mirokunomichi 内山永久寺は 江戸時代は津藩城和領 ちょっと縁を感じますね これだけのお寺が明治の廃仏毀釈でどうにもならなくなったんですね https://t.co/rzn6fBIjFo 江戸末期に始まる天理教の歴史にも名前が登場してま…
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日本の荘園はなぜ教えにくいか
RT @Naga_Kyoto: 荘園を「私的大土地所有」として理解するのは間違い!という記事。歴史学ではとっくに覆された見解が今も生き残っている理由に関する考察もされている。大変勉強になりました。 岡野 友彦「日本の荘園はなぜ教えにくいか」 https://t.co/ZoB0N…
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笠置山独案内
ん〜〜?? 大倉笠陰「笠置山独案内」(明治19)には、千手ケ滝(せんじゅがたき)は、上人墓のあたりにあると書かれてますね。上人墓付近に滝の音なんかしてなかったです。どこにあるんだろう。。。https://t.co/tlJxnxyOUJ https://t.co/i0hfHpLbFv
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史蹟勝地笠置山
笠置山史談会「史蹟勝地笠置山」(昭和5)の図を見ると千手滝が描かれてます。でもそこへ行く道がないです。昔は弥勒石のあたりに木が生えていなくて、谷を挟んだ東側の山に、滝が見えたんじゃないかという気もします。https://t.co/z5ejax5FUP https://t.co/78lmNZo7HR
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大和めぐり
昭和13年の観光案内に木津川下りが紹介されていました。5人いれば出て、一人80銭だそうです。https://t.co/EtcuRaqxv1 https://t.co/WD7tqYnQ4Y
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国宝 浄瑠璃寺三重塔の初層内部装飾について
RT @kawamo_art: 時代は下がりますが、国宝浄瑠璃寺三重塔内部彩色の置上には、淡い緑色が用いられている部分があり、蛍光X線分析の結果、銅や鉛等が検出されました。 中世以前には、緑色顔料で盛り上げる彩色技法が存在した? 「国宝 浄瑠璃寺三重塔の初層内部装飾について」…
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平治物語[絵巻]
RT @ks_arai3: @goshuinchou 知らなかったのだ。 教えてくれてありがとうございますのだ。 エンガチョのwiki画像の解像度が低いので 探してみたのだ。 御礼に御覧くださいのだ。 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/cUVlL…
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[資料紹介] 永禄六年北国下り遣足帳
RT @kojima_sakura: 「永禄六年北国下り遣足帳」についての拙稿です。 解説:https://t.co/Fvcvzg8G9y 全文と論文:https://t.co/aw8kDACXgs 論文PDF:https://t.co/YdpxXWukQq 当初の山本光正氏と…
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中世後期の旅と消費 : 『永禄六年北国下り遣足帳』の支出と場(3. 流通・消費の場)
RT @kojima_sakura: 「永禄六年北国下り遣足帳」についての拙稿です。 解説:https://t.co/Fvcvzg8G9y 全文と論文:https://t.co/aw8kDACXgs 論文PDF:https://t.co/YdpxXWukQq 当初の山本光正氏と…
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実範の阿弥陀観 : 付・東寺観智院所蔵『観自在王三摩地』翻刻
RT @lenti_taiga: CiNii 論文 - 実範の阿弥陀観 : 付・東寺観智院所蔵『観自在王三摩地』翻刻 https://t.co/eLYZTGXdQ7 #CiNii
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中ノ川実範の生涯とその浄土教
RT @lenti_taiga: CiNii 論文 - 中ノ川実範の生涯とその浄土教:新出資料『念仏式』と『阿弥陀私記』を中心に https://t.co/FJg4fqIPeG #CiNii >のちに苫米地誠一氏が疑問を呈しているが、実範は真言と浄土の境界にいた人物である…
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五畿内志
ところが、享保二十年(1735)発行の五畿内志山城志にある報恩院(岩船寺)の項を見ると、境内にある十三重石塔や不動明王磨崖仏の造立年まで紹介しているのに、阿弥陀像については触れられていません。https://t.co/yDP2eoFCif https://t.co/d6kQhrnGcJ
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近世大和高原地域における十九夜講伝播と宗教景観形成に関する社会地理学的研究
当尾から狭川に入ると、同じように石仏が多いのに、結構違いがあることに驚かされます。狭川には十九夜講の如意輪観音像が多いのがとても面白いです。これは当尾では全く見られません。十九夜講は関東から東北で盛んで、大和高原北部は飛地のような存在だそうです。https://t.co/BipzRnpby4
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奈良の石仏
みろくの辻弥勒磨崖仏は昔「足の神さん」と呼ばれていて、草鞋や杖などがお供えされていたという話が「加茂の昔話」に載ってるんですが、同様の話が他のどこにも載ってないので本当かなと訝しく思っていました。ところが昭和18年の本に草鞋がぶら下げられているとの記述が
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
黒田曻義 著「当尾と柳生の寺々:浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他」昭和18年関西急行鉄道刊を見ていたら、浄瑠璃寺奥之院の不動明王は下半身しかないと書かれていました。https://t.co/m6lTIaYHwk https://t.co/z2CyNWBkni
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笠置山及附近写真帖
笠置山及附近写真帖(明42)に載っている泉橋と木津川もなかなかすごいです(https://t.co/pbyrF76ytY)。当時はこんな帆船が木津川を行き来してたんですね。木津あたりまで「笠置山及付近」とまとめているところに、後醍醐天皇行宮としての笠置山が、大変な人気観光地だった事がうかがい知れます
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笠置山及附近写真帖
笠置山及附近写真帖(明42.9)本に、燈明寺三重塔①が掲載されていました(https://t.co/uOtMJkgSLA)。現在、横浜の三渓園にある三重塔です(https://t.co/r5lRNA8Yag)。加茂の御霊神社がかつては燈明寺でした。本殿②の右側の山林に残る平坦地③④に三重塔がありました。こんな感じだったんですね。 https://t.co/D39loroIwJ
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中世後期における「氏神」信仰と参詣 : 京都に生きた公家の信仰を中心に
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒川嶋美貴子 「中世後期における「氏神」信仰と参詣 : 京都に生きた公家の信仰を中心に」 『文化學年報』65 (2016) https://t.co/0z1yOPqvac
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南都十大寺大鏡
加納鉄哉らが、浄瑠璃寺吉祥天の厨子から厨子絵を取り外した際、本物のかわりに嵌め込んだ模造品ですが、模造扉込みで撮影された写真がありました(https://t.co/4ZyfoZtFeY)。これを本物と比べるとあまり厳密に模していない気はします。(あったとして)中も推して知るべし?https://t.co/fe22nR2IMS https://t.co/zcxw5UoC7D
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仏像仏画物語
木村小舟「仏像仏画物語」(昭和16(1941)年)によると、浄瑠璃寺吉祥天立像は、戦前東京帝室博物館に寄託されていて、よく知られていたらしいです。https://t.co/SPghkhrMsv https://t.co/gOdzaLMDkS
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奈良の石仏
柳生を経て笠置へ続く滝坂の道に弥勒如来を刻ませた璋円僧都が、笠置寺を再興した貞慶上人の弟子だったというのは、確かに興味深いです。あと「奈良の石仏」の図版に、当尾にあるミロクの辻弥勒磨崖仏の拓影があったんですが、お顔がちゃんとあって驚きました
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奈良の石仏
春日御流記に、南都焼討後の大仏殿再興にあたり、石材の多くが地獄谷の山中から切り出されたので、興福寺の璋円僧都が、霊地として路傍大小の石に諸仏を刻んで衆人に結縁せしめたとあるそうです(西村貞「奈良の石仏」昭和18 https://t.co/AX2G5kKSeB )。朝日・夕日観音はその諸仏だろうとのこと。 https://t.co/wXwrP4haEW
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光明山寺を中心とした南都浄土教の展開
坂上 雅翁「光明山寺を中心とした南都浄土教の展開」https://t.co/gX3tg4lSAD https://t.co/KiRuJoJ15T
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実範の阿弥陀観 : 付・東寺観智院所蔵『観自在王三摩地』翻刻
RT @lenti_taiga: J-STAGE Articles - 実範の阿弥陀観 : 付・東寺観智院所蔵『観自在王三摩地』翻刻 https://t.co/aowMMjUsOh
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元亨釈書 30巻
元亨釈書の実範上人に関するページはこちら(一枚目と二枚目)。ちなみにこの後、泉涌寺俊芿を挟んで、叡尊、忍性と続きます。13巻は戒律派特集になってますね。https://t.co/4qkm72lAZA で、招提千歳伝記で、実範上人が唐招提寺を訪れたことを記録しているページは三枚目。https://t.co/LfGbiFEWWw https://t.co/bIqw7EPdDk
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
なぜかといえば、実範が唐招提寺を再興したと伝わっているからです。中川寺開山後、実範は唐招提寺から中川寺へ樋を伝って清水が流れてくる夢を見て唐招提寺へ戒律を学びに行くのですが、境内は田畑となっていてそこにはお爺さんがいるばかり、、というお話が残っています。https://t.co/xkRjHGFerh https://t.co/qlURsoy0R1
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「蓮台野」(京都左大文字山麓)の空間的特質に関する考察
RT @chang_ume: 今回のブラタモリ「京都・西陣編」の参考文献その4。高橋俊也ほか2009「「蓮台野」(京都左大文字山麓)の空間的特質に関する考察」『日本建築学会計画系論文集』637。近代における西陣の市街地拡大について。https://t.co/QddFAxs4Rx…
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京都の都市空間と墓地 (特集 平安京・京都の葬制・墓制)
RT @chang_ume: 今回のブラタモリ「京都・西陣編」の参考文献その3。山田邦和1996「京都の都市空間と墓地」『日本史研究』409。京都の葬送地に関する歴史的変遷の基礎文献です。 https://t.co/Yc29nYZHrQ #ブラタモリ #西陣
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春日権現験記
春日権現験記二軸永久衆徒闘乱事、どういうシーンなのかなと思って国会図書館デジコレで探してみました。覆面の侍は、かなり激しい合戦の後方にいて、一人だけ覆面なんですね
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奈良の石仏
西村貞「奈良の石仏」に、若草山の地蔵石仏が元どこにあったか書かれているとのことでしたので、国会図書館デジタルコレクションで探してみました。一説によると、興福寺貫主の大西良慶師が幼時大患を患い地蔵菩薩に救われたので、大金を投じて現在地へ運び出したのだとか。https://t.co/3AzzrjEglm https://t.co/GHvAF9Ikgv
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大乗院寺社雑事記
大乗院寺社雑事記の明應二年(1494)十二月二十五日の記事に隋願寺に関する記述があります。二百年前に本堂が炎上し今は灌頂堂を本堂としていること、三重塔も崩れてしまったこと、山伏たちが百年あまり前に岩船寺に移ったこと、などが書かれています。https://t.co/NLWalq87DO https://t.co/ZruHdilw5b
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5万分1地形図作成史周辺の諸般新事実
RT @ktgis: 戦時改描された地形図の場合、図郭外の定価欄が()でくくられている。改描は昭和12年から実施されたが、改描図の発行日は改描以前の地図と同一のままなので、それ以前の発行日でも注意が必要。「5万分1地形図作成史周辺の諸般新事実」地図 35, 1997 https…
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大乗院寺社雑事記
大乗院寺社雑事記の文明十八年三月二十三日に、平野の辻(今の緑ヶ丘浄水場あたり)で中川寺勧進のため猿楽を開く旨、あちこちに札が立てられたのだけど、そこは山城国じゃなくて大和国だと「高矢」の辻からクレームがついた、という記事があります。https://t.co/Zdjc3kuc7q https://t.co/CzNbrXicHr
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
先ほどのサイトで黒田曻義「当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他」に明治40年ごろの円成寺多宝塔の状態がわかる記述があることが紹介されていました。もうボロボロで大正初年には取り壊されたとのこと。https://t.co/SAWR3BUjXI「上層は軸部だけで壊れかけた臨時の屋根が架けてあった」 https://t.co/kSINseUDxo
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
この実範上人御廟塔、大正13年には奈良まで運び出され、危うく転売されそうになったと言いますから驚きです
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
実範上人御廟塔は実は実範上人のお墓かどうかわかっていません。五輪塔は鎌倉時代のもので、実範の没年と整合しないことから、もしこの五輪塔がお墓だとすれば、光明山寺(江戸期までに廃絶・蟹満寺近くの山中にあった)で没して百年後ぐらいに分骨したものかと言われます。https://t.co/R2MsP1MVvX https://t.co/ZWXU2F65No
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大乗院寺社雑事記
興福寺の大乗院寺社雑事記に尋尊が般若寺、中川寺、浄瑠璃寺、隋願寺を巡礼した記事があります。岩船寺は隋願寺の流れもくんでいます。記事にある寺々が、実範上人のご縁で今また中川寺跡に集うというのはなんとも感慨深いものがありますね。一献用意したかった気分です
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中ノ川実範の生涯とその浄土教
RT @lenti_taiga: CiNii 論文 - 中ノ川実範の生涯とその浄土教 https://t.co/FJg4fqIPeG #CiNii
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京都高田寺薬師如来像と藤原実方の歌
RT @mirokunomichi: 体内墨書については、猪川和子「京都高田寺薬師如来像と藤原実方の歌」美術研究294で詳しく考察されています。台座裏の和歌のほか、後頭部内に「南無阿弥陀仏」の墨書があり、ご住職は、これは庶民にとっては南無阿弥陀仏の方が馴染みやすいからだろうと解…
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京都高田寺薬師如来像と藤原実方の歌
体内墨書については、猪川和子「京都高田寺薬師如来像と藤原実方の歌」美術研究294で詳しく考察されています。台座裏の和歌のほか、後頭部内に「南無阿弥陀仏」の墨書があり、ご住職は、これは庶民にとっては南無阿弥陀仏の方が馴染みやすいからだろうと解釈しておられました。https://t.co/IlJwVB3DDC https://t.co/FlnLlIAoxu
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大日本仏教全書
で、近デジをなんとなく眺めてたら、実範大徳の文字を東大寺戒壇院受戒記に見るなど。近デジは画像としてしか閲覧できませんが、もしこういうのを全部ネットからテキスト検索できたら、とても嬉しい一般人はたくさんいると思います
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大日本仏教全書
東大寺雑集録に中川寺の構成について記述があるとのことでしたので、近代デジタルライブラリーで調べてみたのですが、残念ながら該当の記事(薬師院文書第二)は「大日本仏教全書」には収められていないようで、ネットで確認することはできませんでした。https://t.co/fAbZJVuoWA
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浅草12階凌雲閣の建築について : 建築史・建築意匠
RT @kaerusan: 堀口甚吉(1968)によれば、浅草十二階の基礎には「地下2丈に松杭20尺のものを打ち、その上に4寸角の筏地形をしその上に厚さ2尺5寸巾8尺のコンクリートを打った」とある。 https://t.co/r4wnqyaMG2
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五畿内志
そしてさらに半世紀ほど遡った享保二十年(1735)発行の五畿内志山城志にある報恩院の項を見ると、境内にある不動明王磨崖仏の造立年まで紹介しているのに、本尊については何も触れていません。このころ今のご本尊が岩船寺になかったことは明らかです。https://t.co/DhNuLCVFRw https://t.co/3BbwEDyzyQ
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大乗院寺社雑事記
また、大乗院寺社雑事記文明十一年十月の記事では、成身院順宣が、3日から鹿背山に出張し、16日に中川寺へ移ったことが書かれています。https://t.co/ULumLPjE7G https://t.co/XPqNiLfKiE
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大乗院寺社雑事記
大乗院寺社雑事記文明元年七月九日の記事にある末寺一覧を見ると、「鹿山」と「成身院」が共に書かれています。https://t.co/cHQknAwx4A https://t.co/Z7VVvpsouG
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眞言声明小談
こちらでも声明の歴史に触れられていました。>東洋音楽研究 Vol. 1954 No. 12-13 /岩原諦信「眞言声明小談 」(PDF)https://t.co/gnkWMfMUSI https://t.co/d4tGTmLAoA
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南山進流聲明概説
かつて中川寺を本拠としていた南山進流声明について、くわしく解説されています。>東洋音楽研究 Vol. 1954 No. 12-13 /中川善教「南山進流声明概説」(PDF)https://t.co/1JtqBdFdA9 https://t.co/d4tGTmLAoA
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大乗院寺社雑事記
上野記念財団研究報告所41の「南山城の宗教環境〜山寺というトポス」を読んでいた大乗院寺社雑事記の興味深い記述が紹介されていました。それは享徳4年(1455)4月4日条にある記述です。https://t.co/N1z3WBMHP3 https://t.co/wMN3Xnv6TU
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大乗院寺社雑事記
RT @savejoruriji: 中川寺勧進興行の記事は大乗院寺社雑事記の文明18年(1486)3月24日の項にありました。平野は現在緑ヶ丘浄水場がある平らな高台です。こんなことしてたんですねえ。民衆の力を感じます。https://t.co/YqrzEIwPHm https:…
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Museum
RT @savejoruriji: MUSEUMは国会図書館デジタルコレクションから複写できるみたいです。今度関西館で複写してこようと思います!https://t.co/Gsz4YwthzQ
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文学と美術の相関からみた「風景表象」の体系的研究
RT @kei___: @savejoruriji 事実を元に作られたフィクションなんでしょうね https://t.co/dTfppDTmPv
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大乗院寺社雑事記
原文)七月十九日/明日筒井順尊・箸尾爲國・十市遠相・成身院順盛等、率人勢可入自分之館之由必定旨云々、多武峯寺同心合力云々、自明日天一天上也、且如何、不得其意者也、自國他國相語之云々、http://t.co/7cbvVbRAMO http://t.co/JDkOL2RfRX
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大乗院寺社雑事記
ということで、中川寺焼亡を記録した大乗院寺社雑事記「文明十三年七月廿一日 今曉大雨下、日中晴、夕部雨下(明け方大雨降る、日中晴れ、夕べ雨降る)」の記事を、こう現代語訳してみました。 http://t.co/7cbvVbRAMO http://t.co/G8rN2Wp4uU
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大乗院寺社雑事記
書き忘れてましたが、大乗院寺社雑事記の文明十三年七月廿一日の記述です。http://t.co/7cbvVbRAMO http://t.co/Cztv96z37G
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大乗院寺社雑事記
この記述↓の読み下しと現代語訳にチャレンジ中です。おわかりになる方お助けください。文中にある地名や人名についても、ご教示いただけましたらありがたいです。よろしくお願いしますm(_ _)m。https://t.co/8lzIdAnx8e http://t.co/7cbvVbRAMO
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大乗院寺社雑事記
ということで、漢文苦手なので、途中何言っているのかよくわかりません(^^;。中川寺が焼けた時の解説では「寺内の争いから」としているものもあったのですが、そういうニュアンスはあまりないような、あるような。。。元記事はこちら>http://t.co/7cbvVbRAMO
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五畿内志
ちなみに江戸時代の山城志では、岩船寺ではなく報恩院として紹介されています。http://t.co/t4MVWbV15u http://t.co/ikOiknQRJy
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近世大和高原地域における十九夜講伝播と宗教景観形成に関する社会地理学的研究
西日本では大和高原北部に集中しているとのこと。不思議です。>近世大和高原地域における十九夜講伝播と宗教景観形成に関する社会地理学的研究 https://t.co/7L2ehTTGwC 「十九夜講が現在の奈良市忍辱山地区からおおよそ同心円状に伝播してゆく過程が明らかになってきた。」
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
どこかで見た話だなあと思ったら、たぶんこれが元ネタですね。文体は変えてあるものの共通するところが多いので、おそらくこれを参照しているものと思います。でも斧峠という地名は出て来ません…。 http://t.co/JcYEe0ctjD http://t.co/YiL1TIdiEh
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
実範上人御廟塔。黒田曻義著「当尾と柳生の寺々」によると大正13年「末法の徒輩」によって奈良まで運ばれ売られそうになったそうで、元に戻されたものの元々の位置がここかどうかはわからないようです。http://t.co/SWFPgKvb7l http://t.co/4W0pyZ8YZ1
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
ちなみに、浄瑠璃寺の本堂前の池の端に置かれているこの水盤は「とにかく珍しいもの」なんだそうです。ほうほう。http://t.co/sa4wsw1Na4 http://t.co/Adl62oECkf
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室町期における奈良福智院地蔵堂の再興と「勧進憑支」 (東洋史特集号)
福智院のお地蔵様は1203年笠置町に近い狭川両町で作られたそうです。それが1254年現在の福智院に移されました。室町時代の1478年地蔵堂が修理されるのですが、その修理について書かれた論文が、当時の熱狂を伝えていておもしろかったです。https://t.co/CF42jGmdsn
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大乗院寺社雑事記
インターネットすごいなあ。こんなものまで読めるとは! 文明13年(1481)7月、中川寺が焼亡したときのことが書かれています。>近代デジタルライブラリー - 大乗院寺社雑事記. 第7巻 http://t.co/7cbvVc9K0W http://t.co/m7tmk3XUdE
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
昭和18年のこの略地図には現在ある浄瑠璃寺と岩船寺を結ぶ車道が書かれていませんね。唐臼の壷を通る道しか書かれていません。あの道ができたのは戦後なのか。。。>http://t.co/dUMXnAxBig http://t.co/29X1EMURLp
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
東里村史の中川寺に関する記述はほぼ全部この本の引用でした。巻頭言を読むとこれが出版されたのがたいへんな時代だったことを思い起こさせます…。>当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他 http://t.co/bikqeBgDzJ
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
簡単な地図(昭18)もありました。これを見ると弥勒の辻から笠置寺までは谷沿いの集落をたどるかんじですね。中ノ川から鶯の滝を経て春日大社に下りる道もやっぱり書いてあります♪>当尾と柳生の寺々 http://t.co/dUMXnAxBig http://t.co/29X1EMURLp
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当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他
京都と奈良の県境となっている道は「笠置街道」みたいです。弥勒の道=笠置街道。>近代デジタルライブラリー - 当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他 http://t.co/qK9TZjRity 「…中川寺址、浄瑠璃寺、岩船寺は笠置街道沿ひに…」
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日本の荘園はなぜ教えにくいか
荘園を「私的大土地所有」として理解するのは間違い!という記事。歴史学ではとっくに覆された見解が今も生き残っている理由に関する考察もされている。大変勉強になりました。 岡野 友彦「日本の荘園はなぜ教えにくいか」 https://t.co/ZoB0NQwCbK https://t.co/jp5DgF5tfR
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