弥勒の道プロジェクト (@mirokunomichi)

投稿一覧(最新100件)

RT @kawamo_art: 時代は下がりますが、国宝浄瑠璃寺三重塔内部彩色の置上には、淡い緑色が用いられている部分があり、蛍光X線分析の結果、銅や鉛等が検出されました。 中世以前には、緑色顔料で盛り上げる彩色技法が存在した? 「国宝 浄瑠璃寺三重塔の初層内部装飾について」…

135 135 0 0 OA 平治物語[絵巻]

RT @ks_arai3: @goshuinchou 知らなかったのだ。 教えてくれてありがとうございますのだ。 エンガチョのwiki画像の解像度が低いので 探してみたのだ。 御礼に御覧くださいのだ。 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/cUVlL…
RT @kojima_sakura: 「永禄六年北国下り遣足帳」についての拙稿です。 解説:https://t.co/Fvcvzg8G9y 全文と論文:https://t.co/aw8kDACXgs 論文PDF:https://t.co/YdpxXWukQq 当初の山本光正氏と…
RT @kojima_sakura: 「永禄六年北国下り遣足帳」についての拙稿です。 解説:https://t.co/Fvcvzg8G9y 全文と論文:https://t.co/aw8kDACXgs 論文PDF:https://t.co/YdpxXWukQq 当初の山本光正氏と…
RT @lenti_taiga: CiNii 論文 - 実範の阿弥陀観 : 付・東寺観智院所蔵『観自在王三摩地』翻刻 https://t.co/eLYZTGXdQ7 #CiNii
RT @lenti_taiga: CiNii 論文 -  中ノ川実範の生涯とその浄土教:新出資料『念仏式』と『阿弥陀私記』を中心に https://t.co/FJg4fqIPeG #CiNii >のちに苫米地誠一氏が疑問を呈しているが、実範は真言と浄土の境界にいた人物である…

6 0 0 0 OA 五畿内志

ところが、享保二十年(1735)発行の五畿内志山城志にある報恩院(岩船寺)の項を見ると、境内にある十三重石塔や不動明王磨崖仏の造立年まで紹介しているのに、阿弥陀像については触れられていません。https://t.co/yDP2eoFCif https://t.co/d6kQhrnGcJ
当尾から狭川に入ると、同じように石仏が多いのに、結構違いがあることに驚かされます。狭川には十九夜講の如意輪観音像が多いのがとても面白いです。これは当尾では全く見られません。十九夜講は関東から東北で盛んで、大和高原北部は飛地のような存在だそうです。https://t.co/BipzRnpby4

6 0 0 0 OA 奈良の石仏

みろくの辻弥勒磨崖仏は昔「足の神さん」と呼ばれていて、草鞋や杖などがお供えされていたという話が「加茂の昔話」に載ってるんですが、同様の話が他のどこにも載ってないので本当かなと訝しく思っていました。ところが昭和18年の本に草鞋がぶら下げられているとの記述が
黒田曻義 著「当尾と柳生の寺々:浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他」昭和18年関西急行鉄道刊を見ていたら、浄瑠璃寺奥之院の不動明王は下半身しかないと書かれていました。https://t.co/m6lTIaYHwk https://t.co/z2CyNWBkni
笠置山及附近写真帖(明42)に載っている泉橋と木津川もなかなかすごいです(https://t.co/pbyrF76ytY)。当時はこんな帆船が木津川を行き来してたんですね。木津あたりまで「笠置山及付近」とまとめているところに、後醍醐天皇行宮としての笠置山が、大変な人気観光地だった事がうかがい知れます
笠置山及附近写真帖(明42.9)本に、燈明寺三重塔①が掲載されていました(https://t.co/uOtMJkgSLA)。現在、横浜の三渓園にある三重塔です(https://t.co/r5lRNA8Yag)。加茂の御霊神社がかつては燈明寺でした。本殿②の右側の山林に残る平坦地③④に三重塔がありました。こんな感じだったんですね。 https://t.co/D39loroIwJ
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒川嶋美貴子 「中世後期における「氏神」信仰と参詣 : 京都に生きた公家の信仰を中心に」 『文化學年報』65 (2016) https://t.co/0z1yOPqvac
加納鉄哉らが、浄瑠璃寺吉祥天の厨子から厨子絵を取り外した際、本物のかわりに嵌め込んだ模造品ですが、模造扉込みで撮影された写真がありました(https://t.co/4ZyfoZtFeY)。これを本物と比べるとあまり厳密に模していない気はします。(あったとして)中も推して知るべし?https://t.co/fe22nR2IMS https://t.co/zcxw5UoC7D

1 0 0 0 OA 仏像仏画物語

木村小舟「仏像仏画物語」(昭和16(1941)年)によると、浄瑠璃寺吉祥天立像は、戦前東京帝室博物館に寄託されていて、よく知られていたらしいです。https://t.co/SPghkhrMsv https://t.co/gOdzaLMDkS

6 0 0 0 OA 奈良の石仏

柳生を経て笠置へ続く滝坂の道に弥勒如来を刻ませた璋円僧都が、笠置寺を再興した貞慶上人の弟子だったというのは、確かに興味深いです。あと「奈良の石仏」の図版に、当尾にあるミロクの辻弥勒磨崖仏の拓影があったんですが、お顔がちゃんとあって驚きました

6 0 0 0 OA 奈良の石仏

春日御流記に、南都焼討後の大仏殿再興にあたり、石材の多くが地獄谷の山中から切り出されたので、興福寺の璋円僧都が、霊地として路傍大小の石に諸仏を刻んで衆人に結縁せしめたとあるそうです(西村貞「奈良の石仏」昭和18 https://t.co/AX2G5kKSeB )。朝日・夕日観音はその諸仏だろうとのこと。 https://t.co/wXwrP4haEW
坂上 雅翁「光明山寺を中心とした南都浄土教の展開」https://t.co/gX3tg4lSAD https://t.co/KiRuJoJ15T
RT @lenti_taiga: J-STAGE Articles - 実範の阿弥陀観 : 付・東寺観智院所蔵『観自在王三摩地』翻刻 https://t.co/aowMMjUsOh

1 0 0 0 OA 元亨釈書 30巻

元亨釈書の実範上人に関するページはこちら(一枚目と二枚目)。ちなみにこの後、泉涌寺俊芿を挟んで、叡尊、忍性と続きます。13巻は戒律派特集になってますね。https://t.co/4qkm72lAZA で、招提千歳伝記で、実範上人が唐招提寺を訪れたことを記録しているページは三枚目。https://t.co/LfGbiFEWWw https://t.co/bIqw7EPdDk
なぜかといえば、実範が唐招提寺を再興したと伝わっているからです。中川寺開山後、実範は唐招提寺から中川寺へ樋を伝って清水が流れてくる夢を見て唐招提寺へ戒律を学びに行くのですが、境内は田畑となっていてそこにはお爺さんがいるばかり、、というお話が残っています。https://t.co/xkRjHGFerh https://t.co/qlURsoy0R1
RT @chang_ume: 今回のブラタモリ「京都・西陣編」の参考文献その4。高橋俊也ほか2009「「蓮台野」(京都左大文字山麓)の空間的特質に関する考察」『日本建築学会計画系論文集』637。近代における西陣の市街地拡大について。https://t.co/QddFAxs4Rx…
RT @chang_ume: 今回のブラタモリ「京都・西陣編」の参考文献その3。山田邦和1996「京都の都市空間と墓地」『日本史研究』409。京都の葬送地に関する歴史的変遷の基礎文献です。 https://t.co/Yc29nYZHrQ #ブラタモリ #西陣

2 0 0 0 OA 浄瑠璃寺文様

RT @kyusen0508: @mirokunomichi @erimutchi 「昭和初期に発行された四天王の装飾文様を模写したカラー木版刷りの稀少本」は、『浄瑠璃寺文様』第1輯~第12輯(昭和3年)でしょうか?モノクロですが、国会図書館デジタルコレクションで見ることが出来…

3 0 0 0 OA 春日権現験記

春日権現験記二軸永久衆徒闘乱事、どういうシーンなのかなと思って国会図書館デジコレで探してみました。覆面の侍は、かなり激しい合戦の後方にいて、一人だけ覆面なんですね

6 0 0 0 OA 奈良の石仏

西村貞「奈良の石仏」に、若草山の地蔵石仏が元どこにあったか書かれているとのことでしたので、国会図書館デジタルコレクションで探してみました。一説によると、興福寺貫主の大西良慶師が幼時大患を患い地蔵菩薩に救われたので、大金を投じて現在地へ運び出したのだとか。https://t.co/3AzzrjEglm https://t.co/GHvAF9Ikgv
大乗院寺社雑事記の明應二年(1494)十二月二十五日の記事に隋願寺に関する記述があります。二百年前に本堂が炎上し今は灌頂堂を本堂としていること、三重塔も崩れてしまったこと、山伏たちが百年あまり前に岩船寺に移ったこと、などが書かれています。https://t.co/NLWalq87DO https://t.co/ZruHdilw5b
RT @ktgis: 戦時改描された地形図の場合、図郭外の定価欄が()でくくられている。改描は昭和12年から実施されたが、改描図の発行日は改描以前の地図と同一のままなので、それ以前の発行日でも注意が必要。「5万分1地形図作成史周辺の諸般新事実」地図 35, 1997 https…
大乗院寺社雑事記の文明十八年三月二十三日に、平野の辻(今の緑ヶ丘浄水場あたり)で中川寺勧進のため猿楽を開く旨、あちこちに札が立てられたのだけど、そこは山城国じゃなくて大和国だと「高矢」の辻からクレームがついた、という記事があります。https://t.co/Zdjc3kuc7q https://t.co/CzNbrXicHr
先ほどのサイトで黒田曻義「当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他」に明治40年ごろの円成寺多宝塔の状態がわかる記述があることが紹介されていました。もうボロボロで大正初年には取り壊されたとのこと。https://t.co/SAWR3BUjXI「上層は軸部だけで壊れかけた臨時の屋根が架けてあった」 https://t.co/kSINseUDxo
この実範上人御廟塔、大正13年には奈良まで運び出され、危うく転売されそうになったと言いますから驚きです
実範上人御廟塔は実は実範上人のお墓かどうかわかっていません。五輪塔は鎌倉時代のもので、実範の没年と整合しないことから、もしこの五輪塔がお墓だとすれば、光明山寺(江戸期までに廃絶・蟹満寺近くの山中にあった)で没して百年後ぐらいに分骨したものかと言われます。https://t.co/R2MsP1MVvX https://t.co/ZWXU2F65No
興福寺の大乗院寺社雑事記に尋尊が般若寺、中川寺、浄瑠璃寺、隋願寺を巡礼した記事があります。岩船寺は隋願寺の流れもくんでいます。記事にある寺々が、実範上人のご縁で今また中川寺跡に集うというのはなんとも感慨深いものがありますね。一献用意したかった気分です
RT @lenti_taiga: CiNii 論文 -  中ノ川実範の生涯とその浄土教 https://t.co/FJg4fqIPeG #CiNii
RT @mirokunomichi: 体内墨書については、猪川和子「京都高田寺薬師如来像と藤原実方の歌」美術研究294で詳しく考察されています。台座裏の和歌のほか、後頭部内に「南無阿弥陀仏」の墨書があり、ご住職は、これは庶民にとっては南無阿弥陀仏の方が馴染みやすいからだろうと解…
体内墨書については、猪川和子「京都高田寺薬師如来像と藤原実方の歌」美術研究294で詳しく考察されています。台座裏の和歌のほか、後頭部内に「南無阿弥陀仏」の墨書があり、ご住職は、これは庶民にとっては南無阿弥陀仏の方が馴染みやすいからだろうと解釈しておられました。https://t.co/IlJwVB3DDC https://t.co/FlnLlIAoxu
で、近デジをなんとなく眺めてたら、実範大徳の文字を東大寺戒壇院受戒記に見るなど。近デジは画像としてしか閲覧できませんが、もしこういうのを全部ネットからテキスト検索できたら、とても嬉しい一般人はたくさんいると思います
東大寺雑集録に中川寺の構成について記述があるとのことでしたので、近代デジタルライブラリーで調べてみたのですが、残念ながら該当の記事(薬師院文書第二)は「大日本仏教全書」には収められていないようで、ネットで確認することはできませんでした。https://t.co/fAbZJVuoWA
RT @kaerusan: 堀口甚吉(1968)によれば、浅草十二階の基礎には「地下2丈に松杭20尺のものを打ち、その上に4寸角の筏地形をしその上に厚さ2尺5寸巾8尺のコンクリートを打った」とある。 https://t.co/r4wnqyaMG2

6 0 0 0 OA 五畿内志

そしてさらに半世紀ほど遡った享保二十年(1735)発行の五畿内志山城志にある報恩院の項を見ると、境内にある不動明王磨崖仏の造立年まで紹介しているのに、本尊については何も触れていません。このころ今のご本尊が岩船寺になかったことは明らかです。https://t.co/DhNuLCVFRw https://t.co/3BbwEDyzyQ
また、大乗院寺社雑事記文明十一年十月の記事では、成身院順宣が、3日から鹿背山に出張し、16日に中川寺へ移ったことが書かれています。https://t.co/ULumLPjE7G https://t.co/XPqNiLfKiE
大乗院寺社雑事記文明元年七月九日の記事にある末寺一覧を見ると、「鹿山」と「成身院」が共に書かれています。https://t.co/cHQknAwx4A https://t.co/Z7VVvpsouG

2 0 0 0 OA 眞言声明小談

こちらでも声明の歴史に触れられていました。>東洋音楽研究 Vol. 1954 No. 12-13 /岩原諦信「眞言声明小談 」(PDF)https://t.co/gnkWMfMUSI https://t.co/d4tGTmLAoA
かつて中川寺を本拠としていた南山進流声明について、くわしく解説されています。>東洋音楽研究 Vol. 1954 No. 12-13 /中川善教「南山進流声明概説」(PDF)https://t.co/1JtqBdFdA9 https://t.co/d4tGTmLAoA
上野記念財団研究報告所41の「南山城の宗教環境〜山寺というトポス」を読んでいた大乗院寺社雑事記の興味深い記述が紹介されていました。それは享徳4年(1455)4月4日条にある記述です。https://t.co/N1z3WBMHP3 https://t.co/wMN3Xnv6TU
RT @savejoruriji: 中川寺勧進興行の記事は大乗院寺社雑事記の文明18年(1486)3月24日の項にありました。平野は現在緑ヶ丘浄水場がある平らな高台です。こんなことしてたんですねえ。民衆の力を感じます。https://t.co/YqrzEIwPHm https:…

4 0 0 0 Museum

RT @savejoruriji: MUSEUMは国会図書館デジタルコレクションから複写できるみたいです。今度関西館で複写してこようと思います!https://t.co/Gsz4YwthzQ
RT @kei___: @savejoruriji 事実を元に作られたフィクションなんでしょうね https://t.co/dTfppDTmPv
RT @mujinazaka: なかでも、丹敦・渡辺伸一「奈良公園周辺における鹿垣の分布とその残存状況―フィールドワークに基づく報告と考察―」(『奈良教育大学紀要』人文・社会科学53-1、2004年)http://t.co/kB5rH6ebFoという論文を知ったのは大きな収穫。…
原文)七月十九日/明日筒井順尊・箸尾爲國・十市遠相・成身院順盛等、率人勢可入自分之館之由必定旨云々、多武峯寺同心合力云々、自明日天一天上也、且如何、不得其意者也、自國他國相語之云々、http://t.co/7cbvVbRAMO http://t.co/JDkOL2RfRX
ということで、中川寺焼亡を記録した大乗院寺社雑事記「文明十三年七月廿一日 今曉大雨下、日中晴、夕部雨下(明け方大雨降る、日中晴れ、夕べ雨降る)」の記事を、こう現代語訳してみました。 http://t.co/7cbvVbRAMO http://t.co/G8rN2Wp4uU
書き忘れてましたが、大乗院寺社雑事記の文明十三年七月廿一日の記述です。http://t.co/7cbvVbRAMO http://t.co/Cztv96z37G
この記述↓の読み下しと現代語訳にチャレンジ中です。おわかりになる方お助けください。文中にある地名や人名についても、ご教示いただけましたらありがたいです。よろしくお願いしますm(_ _)m。https://t.co/8lzIdAnx8e http://t.co/7cbvVbRAMO
ということで、漢文苦手なので、途中何言っているのかよくわかりません(^^;。中川寺が焼けた時の解説では「寺内の争いから」としているものもあったのですが、そういうニュアンスはあまりないような、あるような。。。元記事はこちら>http://t.co/7cbvVbRAMO

6 0 0 0 OA 五畿内志

ちなみに江戸時代の山城志では、岩船寺ではなく報恩院として紹介されています。http://t.co/t4MVWbV15u http://t.co/ikOiknQRJy
西日本では大和高原北部に集中しているとのこと。不思議です。>近世大和高原地域における十九夜講伝播と宗教景観形成に関する社会地理学的研究 https://t.co/7L2ehTTGwC 「十九夜講が現在の奈良市忍辱山地区からおおよそ同心円状に伝播してゆく過程が明らかになってきた。」
どこかで見た話だなあと思ったら、たぶんこれが元ネタですね。文体は変えてあるものの共通するところが多いので、おそらくこれを参照しているものと思います。でも斧峠という地名は出て来ません…。 http://t.co/JcYEe0ctjD http://t.co/YiL1TIdiEh
実範上人御廟塔。黒田曻義著「当尾と柳生の寺々」によると大正13年「末法の徒輩」によって奈良まで運ばれ売られそうになったそうで、元に戻されたものの元々の位置がここかどうかはわからないようです。http://t.co/SWFPgKvb7l http://t.co/4W0pyZ8YZ1
ちなみに、浄瑠璃寺の本堂前の池の端に置かれているこの水盤は「とにかく珍しいもの」なんだそうです。ほうほう。http://t.co/sa4wsw1Na4 http://t.co/Adl62oECkf
福智院のお地蔵様は1203年笠置町に近い狭川両町で作られたそうです。それが1254年現在の福智院に移されました。室町時代の1478年地蔵堂が修理されるのですが、その修理について書かれた論文が、当時の熱狂を伝えていておもしろかったです。https://t.co/CF42jGmdsn
インターネットすごいなあ。こんなものまで読めるとは! 文明13年(1481)7月、中川寺が焼亡したときのことが書かれています。>近代デジタルライブラリー - 大乗院寺社雑事記. 第7巻 http://t.co/7cbvVc9K0W http://t.co/m7tmk3XUdE
昭和18年のこの略地図には現在ある浄瑠璃寺と岩船寺を結ぶ車道が書かれていませんね。唐臼の壷を通る道しか書かれていません。あの道ができたのは戦後なのか。。。>http://t.co/dUMXnAxBig http://t.co/29X1EMURLp
東里村史の中川寺に関する記述はほぼ全部この本の引用でした。巻頭言を読むとこれが出版されたのがたいへんな時代だったことを思い起こさせます…。>当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他 http://t.co/bikqeBgDzJ
簡単な地図(昭18)もありました。これを見ると弥勒の辻から笠置寺までは谷沿いの集落をたどるかんじですね。中ノ川から鶯の滝を経て春日大社に下りる道もやっぱり書いてあります♪>当尾と柳生の寺々 http://t.co/dUMXnAxBig http://t.co/29X1EMURLp
京都と奈良の県境となっている道は「笠置街道」みたいです。弥勒の道=笠置街道。>近代デジタルライブラリー - 当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他 http://t.co/qK9TZjRity 「…中川寺址、浄瑠璃寺、岩船寺は笠置街道沿ひに…」

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11 11 11 11 OA 大日本仏教全書

RT @HisadomeK: 今更ですが、国会図書館デジタルコレクションで《大日本仏教全書》が読める事に気付きました。 台密の『阿娑縛抄』はこちら。 https://t.co/wB0vceTamV
RT @musimaro40: ◎平田篤胤系の国学者であった松山高吉 松山のキリスト教入信は、事象として見る限り、 皇国思想にこりかたまったナショナリストが 突如として神の愛を説く普遍的宗教の信仰へ と転じたかのごとくである・・ 嶋田 彩司先生 松山高吉のこと https:…
RT @hrtmtsk: 太郎丸博(2020)「メタ分析によるセクハラ大学教授の平均年齢と身分の推定」『京都社会学年報』28: 15-27。これは気になります。 https://t.co/fWfXsHgMZa
RT @ronbuntter: こんな論文どうですか? モデル蛯原友里とOLスタイル(山村 明子),2008 https://t.co/zss6Bal3Tb <B>目的</B> ファッション雑誌によるトレンド提案と、それらを支持する消費者像を分析し、現代ファッションの背景を探る…
RT @kawamo_art: 時代は下がりますが、国宝浄瑠璃寺三重塔内部彩色の置上には、淡い緑色が用いられている部分があり、蛍光X線分析の結果、銅や鉛等が検出されました。 中世以前には、緑色顔料で盛り上げる彩色技法が存在した? 「国宝 浄瑠璃寺三重塔の初層内部装飾について」…
紙類の規格制定の発端とその経緯 (1) https://t.co/o3NP42z8Ox
紙類の規格制定の発端とその経緯 (2) https://t.co/URzUeHN8ph
RT @inotti_ele: @marxindo 高等教育システムにおける文学部の構造 他の官立大学は,すべて理工系を中心として おり,実学系に偏重していたのである。 近代日本の文学部が国家,社会双方から軽視 されてきた状況は,西欧各国と比較しても異様な在り方だったと言わな…
RT @yas_mal: 自分が疑問に思ってたあたりは、この論文の冒頭部でだいたい解消したかな。 「天道」は、中国の儒教がルーツで、仏教/神道/(陰陽道)と混交したもの。 そして、江戸時代のどこかで太陽と同一視され、「お天道様」に転換した。 https://t.co/d8osf…
十誦律の式叉摩那の六法戒が諸律蔵で一番「淫」に厳しいのでそれはないかと。十誦律の「出産した比丘尼」というエピソードも詳しい検討が必要だと思います。 https://t.co/YQxpHkIpk1 https://t.co/isIUe0J6gg
「日本の歴史学にマルクス主義が与えた影響について多面的に検討する英文論集(共著)を英米圏で刊行する企画」があるのか。https://t.co/JL2im1u3pk
網野善彦と共産主義運動との関係について、論文があったんだ。https://t.co/1hMwBCUHq8

32 31 31 0 OA 名紙譜

RT @poponainai: 水心子正秀の名刺といえば屋代弘賢。 名刺譜というのがあって肩書きと名前が紐づいているの。 水心子正秀の肩書きは「鍛治達人」です。 出典: https://t.co/opL4lTn8Py 写真は私の薄い本より。 https://t.co/skvP…
RT @NDLJP: 立法調査資料『#調査と情報-ISSUE BRIEF-』No.1147「ふるさと納税の現状と課題―返礼品競争への対応と残された課題―」(PDF:533KB)を掲載しました https://t.co/H72gYFtQux
メモ:商工省総務局復興第一課 編1948.賠償指定工場事業転換手続 https://t.co/6ZqkBxGcvj
RT @hi_masai: 小林昭七先生による「数学論文の書き方(英語編)」 https://t.co/MOwFglbsGQ 冠詞の使い方など、勉強になりました。辞書を引く大切さも。 学生の頃、検索ヒット数で英語を調べていたら 「辞書を引きなさい。多数決で正しさを決めるのは科…

74 74 74 0 OA 柳田國男の交通論

RT @Naga_Kyoto: 田中 大介「柳田國男の交通論」 https://t.co/eZbaiB1wFS >柳田は汽車で移動中、窓外の風景をいちいち解説し、本を読む以外はこの学生に向けて延々喋り続けていたように見受けられる こういう人地理研にいっぱいおるな https:/…

74 74 74 0 OA 柳田國男の交通論

RT @Naga_Kyoto: 田中 大介「柳田國男の交通論」 https://t.co/eZbaiB1wFS >柳田は汽車で移動中、窓外の風景をいちいち解説し、本を読む以外はこの学生に向けて延々喋り続けていたように見受けられる こういう人地理研にいっぱいおるな https:/…
RT @BungakuReportRS: 小島 雪子 - 平安時代文学における「よもぎ」「蓬」について(一)――平安初期までの漢詩文における「蓬」を中心に―― https://t.co/sEGMbKKPzJ

74 74 74 0 OA 柳田國男の交通論

田中 大介「柳田國男の交通論」 https://t.co/eZbaiB1wFS >柳田は汽車で移動中、窓外の風景をいちいち解説し、本を読む以外はこの学生に向けて延々喋り続けていたように見受けられる こういう人地理研にいっぱいおるな https://t.co/IYBU4KcDDd
CiNii 論文 -  「きさらぎ駅」今昔 : スマホサイズ化されるネットロア https://t.co/kbrVy8rzg0 面白そう
RT @BungakuReportRS: 古市 将樹 - 三筆三蹟はなぜ三筆三蹟なのか (1)三筆三蹟の語られ方について 【本論でおこないたいのは、「三筆」「三筆」という呼称ができ て、他の能書を三筆・三蹟から区別(分節)する記号として作用したという指摘である】 https…

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11 11 11 11 OA 大日本仏教全書

RT @HisadomeK: 今更ですが、国会図書館デジタルコレクションで《大日本仏教全書》が読める事に気付きました。 台密の『阿娑縛抄』はこちら。 https://t.co/wB0vceTamV
RT @musimaro40: ◎平田篤胤系の国学者であった松山高吉 松山のキリスト教入信は、事象として見る限り、 皇国思想にこりかたまったナショナリストが 突如として神の愛を説く普遍的宗教の信仰へ と転じたかのごとくである・・ 嶋田 彩司先生 松山高吉のこと https:…
RT @hrtmtsk: 太郎丸博(2020)「メタ分析によるセクハラ大学教授の平均年齢と身分の推定」『京都社会学年報』28: 15-27。これは気になります。 https://t.co/fWfXsHgMZa
RT @ronbuntter: こんな論文どうですか? モデル蛯原友里とOLスタイル(山村 明子),2008 https://t.co/zss6Bal3Tb <B>目的</B> ファッション雑誌によるトレンド提案と、それらを支持する消費者像を分析し、現代ファッションの背景を探る…
RT @kawamo_art: 時代は下がりますが、国宝浄瑠璃寺三重塔内部彩色の置上には、淡い緑色が用いられている部分があり、蛍光X線分析の結果、銅や鉛等が検出されました。 中世以前には、緑色顔料で盛り上げる彩色技法が存在した? 「国宝 浄瑠璃寺三重塔の初層内部装飾について」…
紙類の規格制定の発端とその経緯 (2) https://t.co/URzUeHN8ph
紙類の規格制定の発端とその経緯 (1) https://t.co/o3NP42z8Ox
RT @inotti_ele: @marxindo 高等教育システムにおける文学部の構造 他の官立大学は,すべて理工系を中心として おり,実学系に偏重していたのである。 近代日本の文学部が国家,社会双方から軽視 されてきた状況は,西欧各国と比較しても異様な在り方だったと言わな…
RT @yas_mal: 自分が疑問に思ってたあたりは、この論文の冒頭部でだいたい解消したかな。 「天道」は、中国の儒教がルーツで、仏教/神道/(陰陽道)と混交したもの。 そして、江戸時代のどこかで太陽と同一視され、「お天道様」に転換した。 https://t.co/d8osf…
十誦律の式叉摩那の六法戒が諸律蔵で一番「淫」に厳しいのでそれはないかと。十誦律の「出産した比丘尼」というエピソードも詳しい検討が必要だと思います。 https://t.co/YQxpHkIpk1 https://t.co/isIUe0J6gg
「日本の歴史学にマルクス主義が与えた影響について多面的に検討する英文論集(共著)を英米圏で刊行する企画」があるのか。https://t.co/JL2im1u3pk
網野善彦と共産主義運動との関係について、論文があったんだ。https://t.co/1hMwBCUHq8

32 31 31 0 OA 名紙譜

RT @poponainai: 水心子正秀の名刺といえば屋代弘賢。 名刺譜というのがあって肩書きと名前が紐づいているの。 水心子正秀の肩書きは「鍛治達人」です。 出典: https://t.co/opL4lTn8Py 写真は私の薄い本より。 https://t.co/skvP…
CiNii 論文 -  ソヴィエト・ロシアにおける史跡・文化財保護運動の展開 : 情熱家から「社会団体」VOOPIKに至るまで https://t.co/LPP8QD60TH #CiNii
CiNii 論文 -  文化財教育--文化財保護思想を育むために https://t.co/IRXR9EFB8w #CiNii
CiNii 論文 -  「地域文化財」の思想と博物館の創造 (特集 歴史研究と文化財) https://t.co/wlUMOr060m #CiNii
CiNii 論文 -  弥生時代大規模集落の評価:大阪平野の弥生時代中期遺跡群を中心に https://t.co/AHZKuzjXWc #CiNii
CiNii 論文 -  近年の「祭殿(神殿)」説について:主として宮本長二郎説に対する検討 https://t.co/PbCzIMrwuZ #CiNii
CiNii 論文 -  韓半島の初期青銅器文化と初期弥生文化 : 突帯文土器と集落を中心に (農耕社会の成立と展開 : 弥生時代像の再構築) https://t.co/opHl8N6uNf #CiNii
CiNii 論文 -  伊勢神宮棟持柱の古材転用(<連載>すごい〇〇! 第12回) https://t.co/vXtSSQxiI3 #CiNii
CiNii 論文 -  関東地方における弥生時代農耕集落の形成過程 https://t.co/IzFIUNxfwa #CiNii
CiNii 論文 -  唐古・鍵遺跡第74次調査:大型掘立柱建物の検出 https://t.co/4Pr0COufHb #CiNii
CiNii 論文 -  010 太陽にむかう舟 池上曽根遺跡・大型堀立柱 建物の復原 https://t.co/rJ333oGYWJ #CiNii
CiNii 論文 -  9053 棟持柱のある古墳時代の高床倉庫の遺構 : 竜野市揖西町北沢遺跡の事例 https://t.co/xdxkt0j9hN #CiNii
CiNii 論文 -  棟持柱をもつ掘立柱建物の構造復原 https://t.co/N4w5m046Gf #CiNii
CiNii 論文 -  独立棟持柱建物と祖霊祭祀 (縄文・弥生集落遺跡の集成的研究) -- (弥生時代の集落論) https://t.co/Ogw8wV61Jq #CiNii
CiNii 論文 -  弥生・古墳時代の独立棟持柱建物に関する考察 https://t.co/hrBd8ur3dj #CiNii
RT @hi_masai: 小林昭七先生による「数学論文の書き方(英語編)」 https://t.co/MOwFglbsGQ 冠詞の使い方など、勉強になりました。辞書を引く大切さも。 学生の頃、検索ヒット数で英語を調べていたら 「辞書を引きなさい。多数決で正しさを決めるのは科…

74 74 74 0 OA 柳田國男の交通論

RT @Naga_Kyoto: 田中 大介「柳田國男の交通論」 https://t.co/eZbaiB1wFS >柳田は汽車で移動中、窓外の風景をいちいち解説し、本を読む以外はこの学生に向けて延々喋り続けていたように見受けられる こういう人地理研にいっぱいおるな https:/…
RT @BungakuReportRS: 小島 雪子 - 平安時代文学における「よもぎ」「蓬」について(一)――平安初期までの漢詩文における「蓬」を中心に―― https://t.co/sEGMbKKPzJ
CiNii 論文 -  埋蔵文化財発掘調査機関における熱中症予防対策実施状況 https://t.co/enztzF3Bik #CiNii
CiNii 論文 -  民間埋蔵文化財発掘調査会社における労働安全衛生管理の実態 https://t.co/jFjAUax9fP #CiNii
CiNii 論文 -  現代公衆衛生の思想的基盤 https://t.co/XPElo3FRwk #CiNii
CiNii 論文 -  近代日本の公衆衛生・労働衛生思想における体力観 https://t.co/hykxgHJMJ3 #CiNii
CiNii 博士論文 - 安全運動の思想史的研究 : 蒲生俊文と安全第一の誕生 https://t.co/8l7nz5toPH #CiNii

74 74 74 0 OA 柳田國男の交通論

田中 大介「柳田國男の交通論」 https://t.co/eZbaiB1wFS >柳田は汽車で移動中、窓外の風景をいちいち解説し、本を読む以外はこの学生に向けて延々喋り続けていたように見受けられる こういう人地理研にいっぱいおるな https://t.co/IYBU4KcDDd
CiNii 論文 -  「きさらぎ駅」今昔 : スマホサイズ化されるネットロア https://t.co/kbrVy8rzg0 面白そう
RT @BungakuReportRS: 古市 将樹 - 三筆三蹟はなぜ三筆三蹟なのか (1)三筆三蹟の語られ方について 【本論でおこないたいのは、「三筆」「三筆」という呼称ができ て、他の能書を三筆・三蹟から区別(分節)する記号として作用したという指摘である】 https…