4 0 0 0 OA 熾仁親王日記

著者
高松宮家 編
出版者
高松宮家
巻号頁・発行日
vol.巻3, 1935

言及状況

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また、同じく高松宮家編纂の『熾仁親王日記』には、明治12年に徳川宗家から刀剣を贈るために、宗家と田安家所蔵刀がいくつかリストアップされたものが大久保一翁を介して送られており、その中で田安家蔵として観世正宗が記載 (此の時は宗家から会津正宗が献上) 続 https://t.co/JTOjIclsQ5
熾仁親王日記 3巻 https://t.co/9i8qvWdVSs 熾仁親王行実 下巻 https://t.co/N66RoA2mcs 少なくとも有栖川宮を引き継いだ高松宮家では「観世正宗は田安家から」と認識していたことになる ”徳川慶喜”からもらったというのは、どこからきたんだろう?
訂正有栖川宮の記録は明治23ではなく明治12年 徳川家から刀剣献上の打診したときのリストに観世正宗が田安家蔵として書かれている この時は宗家から会津正宗が献上されている 他にもリストに本庄正宗、五月雨江が入っているが 欲しい言われたら本庄献上したのか?? https://t.co/0PcN27qfN4
観世正宗は明治維新前後で 徳川家  or  徳川慶喜から 有栖川宮に献上ということがよく刀剣書に 書かれているけど その有栖川宮の明治12年の日記に 田安徳川の蔵刀として観世正宗が載っている (この時會津正宗が献上) https://t.co/0PcN27qfN4 明治18年には有栖川宮出陳で遊就館展示
田安に観世があったのでは?というmy疑惑は 熾仁親王日記(M12.10.10)の 田安の蔵刀リストに観世正宗があることからです (熾仁親王=有栖川宮=観世正宗の所有者) https://t.co/0OaIn3A32P 維新の時に有栖川宮に渡ったとされるが???

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