出版者
国民文庫刊行会
巻号頁・発行日
vol.経子史部 第5巻, 1932

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「奴」のつく言葉…その二 貉奴(かくど) 三国西晋時代にかけて北人は南人を貉奴又は貉子と称して面前で罵(ののし)つした。『貉奴、能く督と作(な)るや不(いな)や』 司馬光『資治通鑑 晋紀7 孝惠帝 太安二年 』 https://t.co/O5F3Uzo6Y5
@Hiro_Satoh 突然こんばんは。https://t.co/GSFJaQM109 で「雄據肆盧川」の訓読が「肆に盧川に雄據す」となっていますが、『資治通鑑』巻87を見ると「肆盧川」が地名かと思います。 https://t.co/QXzdWSjsg8 https://t.co/w55HbiguZO
@Hiro_Satoh ⑤「是非久自見、不可掩也」は、https://t.co/bKpZH9W6zt にもあるように、賈充でなく賈模のせりふなのでは? 以上、気になりましたのでお知らせしました。
@satohkun_ 裴頠も張釈之を引き合いに出していましたし https://t.co/NBmhIKaQgT きっと有名なエピソードなのでしょうね。そして息をするように自然に劉毅をディスるスタイル……。 ところで「取を弓、もしくは弩で」の「取」は「鳥」かと。あと、「不以乘輿之重」の「不」が訓読に現れていないようです。
八王の乱の最中にも「仙人王喬さまだぞ!」的な茶番をしているのが草(『資治通鑑』巻84。https://t.co/omYkYT3rA9 の左ページ最初の段落)。
司馬睿が、安宅の関で弁慶に打擲される義経みたいな目にあっている。https://t.co/ofCrP6aMJQ こういう説話の共通パターンみたいなものでもあるのか、こっちが元ネタだったりするのか、もっと古い元ネタが中国史にあるのか……。
そういえば、王敦さんと同姓同名の王敦さんがいて(注18のところ)、ちょっとびっくりしたのだった。 https://t.co/ND6I3ltl1o
鍾会も https://t.co/iWO73DYVev 杜預も https://t.co/87Wo1lINal 武庫に例えられているけど、鍾会の方は武器の攻撃力に注目したたとえで、杜預の方は庫には何でも揃っていることに注目したたとえ、という感じで違いがあるのがおもしろいな。
王衍は羊祜から見て從甥だそうだが(『資治通鑑』巻79 https://t.co/ZxdU8PBhMV の最後の段落。訓読は https://t.co/Iynk5Vx45S)、具体的にはどういう血縁関係なのかしら。 ていうか、王戎さんは何をしでかしたの……。
石崇は、『世説新語』だと、常軌を逸した贅沢をする人でもあり、刑場に向かう最期のシーンなんかキザの極致でもある。……のではあるけれど、郭槐・賈謐には平気でへつらっちゃう。 https://t.co/8i9mY4Spuz ちゃんと硬骨漢ぽい上奏もしていたのだが。 https://t.co/Iv6fO36UV8 うーん、不思議。
石崇は、『世説新語』だと、常軌を逸した贅沢をする人でもあり、刑場に向かう最期のシーンなんかキザの極致でもある。……のではあるけれど、郭槐・賈謐には平気でへつらっちゃう。 https://t.co/8i9mY4Spuz ちゃんと硬骨漢ぽい上奏もしていたのだが。 https://t.co/Iv6fO36UV8 うーん、不思議。

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