27 0 0 0 OA 群書類従

著者
塙保己一 編
出版者
経済雑誌社
巻号頁・発行日
vol.第壹輯, 1902

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祝部行丸『日吉社神道秘密記』には「八王子、俗形、束帯赤袍、太刀を帯す。千手。国狭槌尊。八十万神を引率して天降る」とあります。 https://t.co/A4nWrsMqkH
日金山の赤白二龍の事は『走湯山縁起』巻第五に記されています。 もし善悪の事が有れば、前兆として此の山岳が必ず震動する。これは神龍が喜怒している時であると説かれています。 https://t.co/x1XfsdjY1m https://t.co/mVlXqY8umW
『走湯山縁起』には、伊豆山権現の容儀を「俗躰、其の長は八尺、壮齢五十余、頭に居士冠子を戴き、身に白素衣裙を着し、健陀色の袈裟を係け、右手に水精念珠を持し、左手に錫杖を把る。柔和忍辱、慈悲和雅也」と記していました。 この神像では居士冠ではなく烏帽子ですが。 https://t.co/ckkzXZq5xI https://t.co/sZKZPTQ615
「牛頭天王が祇園精舎の守護神」という説の出所は何なんだろう? 吉田兼倶『二十二社註式』の祇園社の条に「託宣ニ我、天竺祇園精舎守護ノ神云々、故ニ祇園社ト号ス」と書かれているというのですが、『群書類従』本にはその記述が見当たらないのです。 https://t.co/TG0FyZ3OLR
@turuga7000 『走湯山縁起』巻五のこの箇所、日金山の地下に居る赤白の二龍が喜怒するという。 熱海一帯の火山活動を神格化したものですね。 https://t.co/x1XfsdjY1m
稲荷神も山城国風土記逸文が書かれた頃にウカノミタマだったかどうは判らないと思います。 同逸文を引用した吉田兼倶『延喜式神名帳頭註』の稲荷の項には「倉稲魂神也」に書かれたわけですが。 https://t.co/2FuZSEY9pg
@turuga7000 「走湯大菩薩」は多いですね。『走湯山縁起』だと、「東明山広大円満大菩薩」という号が見られました。本地仏が千手観音なので、『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』に因んだ菩薩号なのでしょう。 https://t.co/UBn3NckABq
吉田兼俱『延喜式神名帳頭註』を読んでいたら、南方刀美(諏訪大社)の項に、「建御名方神、坐信濃国諏訪郡、諏訪上社是也。下社片倉辺命、是手力雄命男也」という記述が有りました。 https://t.co/yxeMmyvu1I
『日吉社神道秘密記』を読むと、鼠祠に関して「帝王子御誕生之事、頼豪法師に勅定有り……」と記していますが、これを鼠祠と号する由来とする説を「非説也」として否定しています。 https://t.co/GR7Hy2SnbS 俗説では頼豪関係と言われているが、日吉社の公式見解としては否定しているのでしょう。 https://t.co/o5sQCiyv5Q
国内神名帳とは、「伊豆国神階帳」 https://t.co/DRwHJEnstZ とか、「上野国神名帳」 https://t.co/c3VpjuXDwH などのように諸国の国内の神名を記したものです。 最後の方は二十二社を各日に配したものでしょう。 https://t.co/Oo3o3ShI88
国内神名帳とは、「伊豆国神階帳」 https://t.co/DRwHJEnstZ とか、「上野国神名帳」 https://t.co/c3VpjuXDwH などのように諸国の国内の神名を記したものです。 最後の方は二十二社を各日に配したものでしょう。 https://t.co/Oo3o3ShI88
しかも、これらのすばらしい本の数々は、インターネットで誰でも自由に閲覧することができるようになっているのです! 『大日本仏教全書』https://t.co/T73enW71VI。 『群書類従』https://t.co/617EdjyTW8。 『近江輿地志略』https://t.co/j3PtWAgqtC。 『大正新修大蔵経』https://t.co/ovssVYfcyB。 https://t.co/IkR8cX2Mst
Tibetan Texts Concerning Khotan. P47,Emmerick, R. E. 1967. Oxford University Press, ホータン王の仏像が文殊菩薩だから、蘇民将来は「後世爾疫気【阿羅波】」なのでは?仮名でなく文殊菩薩の真言「阿羅波遮那」Arhatは阿羅漢 https://t.co/MeqpixABeH
牛頭天王は播磨の明石浦→広峰(広峰神社)→東光寺(岡崎神社)→八坂神社「牛頭天皇 初垂迹於播磨明石浦 移広峰 其後移北白河東光寺」群書類従 https://t.co/jSXH6LtEdg 。その途中で瓜生山、瓜生石なんだ https://t.co/BtcxLCRV0r
こちらは色付きなので、日金山の地下の赤白二龍で間違いないですね。 https://t.co/uILpLVplo2 https://t.co/u1cpdD2rqJ
『尾張国熱田太神宮縁記』https://t.co/Kt32ShBV5pには「新羅沙門道行」と書いて有りますので、同縁記の成立した時期(平安末期~鎌倉初期)には新羅僧と考えられていたようです。 https://t.co/2jBAIxSV68
『二十二社註式』では祇園社の三所を  牛頭天皇(牛頭天王)=進雄尊(素戔嗚尊)  本御前(少将井、婆利女)=奇稲田媛  今御前(蛇毒気神)=龍王の娘 としています。 https://t.co/1AGJk5jS5b
『止由気宮儀式帳』https://t.co/AcSzKP1mYbにおける「丹波国比治の真奈井に坐す我が御饌都神」に比定される真名井神社の鳥居と拝殿 https://t.co/5RuVrKyDsi
『二十二社註式』の祇園社の項https://t.co/1AGJk5jS5b: 「西間 本御前、奇稲田媛垂跡、一名婆利女、一名少将井、脚摩乳手摩乳女」 「中間 午頭天皇、号大政所、進雄尊垂迹」 「東間 虵毒気神龍王女、今御前也」 蛇毒気神は牛頭天王の后(今御前)と解釈できます。
『筥根山縁起并序』https://t.co/hJpnN8L7gkの九頭龍伝説: 西汀有驛路。毒龍凌浪拏雲。人民多不免損害。万巻臨彼深潭。築石台而令祷。爾毒龍改形。捧宝珠并錫杖水瓶。乞欲受降。即呪而繋之以鉄鏁。号其木幹名栴檀訶羅木。厥形九頭毒龍也。 #ブラタモリ
@HisadomeK 『日吉社神道秘密記』https://t.co/evl6dxEsqzによると、二宮は国常立尊、十禅師は瓊々杵尊、八王子は国狭槌尊、三宮は惶根尊です。また、王子宮(産屋神社)の名称は本地仏の文殊師利法王子に由来します。
@HisadomeK 例えば、『二十二社註式』引用の「扶桑明月集」https://t.co/KKrMFrG2Vyによると、二宮(東大宮)は国常立尊、十禅師(樹下宮)は天児屋尊、八王子(牛尾宮)は国狭槌尊、三宮は「五男三女神中三女」(つまり宗像三女神)です。

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編集者: Saigen Jiro
2018-08-11 17:19:54 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

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