3 0 0 0 OA 木戸孝允文書

著者
木戸公伝記編纂所 編
出版者
日本史籍協会
巻号頁・発行日
vol.第二, 1931

言及状況

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https://t.co/o1eCLvoh1o そしてにべもない前田さんのお返事
https://t.co/M3HNEbeS6N 長州征伐まだ続いてるのに竹田を欲しがる木戸さん 貰えないんだったら貸してくれるだけでいーよ!って全然よくないと思うんですがそれは
https://t.co/uHg6rzfRvg 骨まで濡れる木戸さんと薩摩に甘き珍しきもの贈るのと時山、君はどこにいるんだい
田中先生は投書の内容は藩邸に潜居する久坂等を大阪に退去させろって勧告したものだと断言してますけど、どっかに内容参照できるような史料があったんですかね。桂さんの手紙(https://t.co/DeZrdY7gxH)からはわからないんですけど
https://t.co/DeZrdY7gxH あ、よく読んだら妻木先生は「老兄へ御馬今朝拝借之事願呉候」にしててちょっとニュアンス違うなあ。
この時の広沢さんの帰山時機って、広沢真臣日記の年譜だと12月の上旬~中旬は近藤さんの相手をしていたと有るんですけど、↓小田村さん宛の手紙だと13日の夜に帰ってきたように読めたので。。。防長回天史とかで時系列確認したほうがいいかな https://t.co/KQYDKMThnQ
@3103_ky そういえば元治元年の2月?の書簡でも"中九一条も其後いかヽ哉"とかあるんですけど、中村さんの件ってどれだけ引張ってたのか…… http://t.co/pKDgE9t6Fr
@3103_ky ……三月十二日も朝四ツ頃(9時半)に対州藩の多田さんのところまで来てくれと、乃美さんにお手紙書いてるので、朝っぱらから呼び出すのは普通なのか。昔の人は早起きだなぁ。 http://t.co/4QDa9WnThu
http://t.co/rnetHFLTAC 「自然今朝申上候とき匇卒に相認候事に付、弟心底ちがひ認とも不仕哉と奉存候。今朝四ツ時と申心得に而先刻より御まち申上居候」 乃美さん宛て。当時の常識的に、早朝から「9時半から打ち合わせしたい」と言いだす桂さんってどうなんだろう?
当の桂さん http://t.co/Sjntduv0RR ↑の真ん中 「御隊中に冷飯同様にて芸行致し度と之人ども自然有之候得は同行可致乍然先生かぶにては却て恥入候義に付・・・」 言ってることはよく分かりませんが、冷飯という単語のチョイスに嫌そうな気配を感じたり、感じなかったり
松菊木戸公伝で参照されてた桂⇒杉孫書簡を探していたら、これ閏5/27の書簡だったんですが、桂さん27日もう一通杉さんに手紙出してました。(54-55コマ) http://t.co/79NUjc7SZp 多分、一通目出した後、杉さんと話して追い打ちで手紙だしたのかなと

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