4 0 0 0 OA 防長回天史

著者
末松謙澄 著
出版者
末松春彦
巻号頁・発行日
vol.第3篇下(第4), 1921

言及状況

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幕末期の長州藩(萩藩)の杉山松助(すぎやま まつすけ)について調べたい。彼について書かれた史料等はないか。(特に文久2年(1862年)の後半の彼の動静を知りたい。)

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早速『防長回天史』 https://t.co/FlHzRpZb6h を読んでいます。文久三年(1863年)に足利三代木像梟首事件(コマ番号9、p.8.)とかあの... 歴史とは視点次第で大分異なって見えるということと何でも二項対立… https://t.co/WFLl9GiJZ5
該当箇所「防長回天史四」264~265頁 https://t.co/x9eg6nb9pm 小説なんかで言われてる「攘夷ムリって指摘したから(蒙昧な)攘夷派に斬られた」ってのとはニュアンス違った。
防長回天史. 第3篇下 https://t.co/LVjjfYqSnk 波多野さん先頭?直ぐ後ろが佐世さん>賀茂行幸の時の並び 「退紅細立烏帽子 舎人」の退紅は検索したら https://t.co/6h57qjiQZZ が引っかかった #エンカウント金吾
http://t.co/DfxtgWNjCx 攘夷決行日当日 能登の如きは砲撃は意なきなりと因て南木工之助を光明寺に遣はし軽挙事を誤るべからざるを告ぐ光明寺党固より急激の徒多し之れを聞き嘆じて曰く我徒逡巡決せず敵艦の遁去を致さば遺憾之れより甚しきはなしと営中騒然命を奉ずるの色なし
http://t.co/Sx7Mkw7vrj 「春輔事は京都において内々同盟決心仕候事に付同行に仕り候訳は彼人より別けて嘆願書御覧被下候」by聞多 伊藤公直話読む限りでは、俊輔がイギリス行決めたのは山尾等と合流した後なんですよねぇ
http://t.co/CMkQMGYdbB 攘夷決行記事より先に長州ファイブが出航した…… 周布政之助伝でも参照されていた、佐藤貞次郎さんの手記の手記とファイブの書簡が掲載されてました。 周布さん「長州に於て一の器械を求度思ふなり其器械と云ふは人の器械なり」
防長回天史. 第3篇下 http://t.co/NZ4j4BkekX P.115 四月二十日の夕方、将軍に召し出されて色々話した後、晩餐を分けてもらって「世子其懇情に感ず」と。安定の人たらし将軍。 メニューが「向皿は煮染?小芋夕顔乾瓢舟焼玉子、香の物は奈良漬瓜なり」わりと庶民的
防長回天史. 第3篇下 http://t.co/pSpUQYfkYf 折角なので攘夷決行あたりを読もうと思ってザーッと見てたら、四月中旬に世子から報奨として銀五枚もらってました。 そういえば、波多野さんは世子と一緒に国元戻ったのかな? 小倉処分のとき下関だし #エンカウント金吾

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