11 0 0 0 OA 中昔京師地圖

著者
森幸安 著図并識
巻号頁・発行日
1000

江戸時代中期の地誌・地図作者森幸安が応仁年間から天正年間に至る百数十年、応仁の乱後の荒廃期の京都の状態を推定、考証して描いた地図の写し。地図余白を考証のテキストが埋める。森幸安の京都関係図は種類、数とも多いが、京都の歴史地図シリーズの構想のもとに編まれた全域図として寛延3年(1750)の4種(平安城以来の過去3時期と寛延当時)と、宝暦3年(1753)の本図を含む3種がある。宝暦の3図は先の3時代をさらに細分する。本図の縮尺は1町6分で、先の4図の1町5分とは異なる。内題角書に皇州緒輿撰とある。皇州緒輿撰は幸安の構想した山城の地誌書、下書の一部のみが当館に伝存する。

言及状況

外部データベース (DOI)

Yahoo!知恵袋 (1 users, 1 posts)

すでにその時点で町家が詰まっていた地域では、 新しい地割は行われませんでした。 「中昔京師地図」にある文章より 「今祇園山鉾出町及其近辺 一條北西陣等町家者、天正以前戦国之時有之云」 (今祇園祭に山鉾を出す町及びその近辺、一条北西陣等の町家は、 天正以前、戦国の時こからあったと言う) 「其時野原地京極以西高倉東又堀川西押小路以南之類皆毎半町有南北街路」 (その時野原地だった京極より西高倉より東、 ...

Twitter (10 users, 10 posts, 10 favorites)

そして中昔京師地図という地図を見つけ・・・ついに念願のものを発見してしまった!!!!! 探しに探した妙観院!!!細川頼元の屋敷!!!!!! https://t.co/9OCS3RtcmR https://t.co/vLbGIfGBAN
『中昔京師地図(https://t.co/RqzWlN6jyD)』で確認してみると、赤丸あたりが実際に付喪神たちが住んだとされる「長坂の奥」。青丸が船岡山。黄ラインが一条通り。 https://t.co/1SXrSzZfcy

収集済み URL リスト