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正しくは『国後島・択捉島=南千島(或いは千島南部)の領有権はサンフランシスコ講和条約で放棄した』が、政府の公式見解だった、ですね。諦めかけたと言うより『領有権は放棄済』です。サンフランシスコ講和会議前の政府の国会での説明や、講和会議での吉田茂日本全権やダレス米国全権の発言からすると、それは正しいです。
>これって四島の帰属問題に影響を与えるほどの問題なんでしょうか?
影響が皆無とは言えないでし ...
いわゆるダレスの恫喝は、平和条約が締結されなかった事に、全く完全に無関係とは言えない、ってぐらいじゃないですかね…
なぜかと言うと、
1956年7月からのモスクワでの交渉で重光葵は、四島返還をソ連が認める見込みが立たず、涙を呑んで二島返還で手を打とうとする
が、日本の本国政府が強硬に反対しそれを認めず
一旦交渉を中断する毎になり、その帰路のロンドンで重光はダレスに恫喝された ...
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