7 0 0 0 OA 紀伊続風土記

著者
仁井田好古 等編
出版者
帝国地方行政会出版部
巻号頁・発行日
vol.第2輯 伊都,有田,日高,牟婁, 1911

言及状況

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wikipedia湯河直光、紀伊続風土記によると享禄元年に江口の戦いで云々とあるけど、紀伊続風土記には享禄元年なんて載ってないじゃねーかコラー https://t.co/2DLudQDvIV 江口の戦い→天文元年に堂建立、なので時系列おかしいってのは残るが(江口の戦いは天文18年)
『紀伊続風土記』 https://t.co/SLb8CeNqw5 によると「鎌八幡宮は社壇の中に櫟の大樹あり。囲二丈許。是を神とし祭り鎌八幡宮と称し別に社なし。祈願の者鎌を櫟樹に打入れ是を神に献すといふ。(中略)根より上二丈許の処鎌を打つこと蓑のことく寸地の空隙なし」 #やりすぎ都市伝説
https://t.co/zGWdinMwdU たまたま『紀伊続風土記』見てて「畠山政能」の名前を知るなど(左頁下段、則岡氏のところ)。政能で「まさよし」「まさひさ」どちらも読めるっぽいから政義から政尚に改名したで、ってのに両対応できちゃう? 畠山秋高も、書簡の現物があるから昭高でなく秋高表記か
@turuga7000 『紀伊続風土記』巻之四十八(伊都郡第七)に以下の記述が有ります。 ・長宮 祀神五座(皮張神 皮付神 土公神 大将軍 八王子) ・長宮 祀神六座(八幡 熊野 金峯 白山 住吉 信田) ・衣比須宮 以上三社十二座の神を十二王子といふ https://t.co/s2jq6prIkQ
『紀伊続風土記』によると、「鎌八幡宮は社壇の中に櫟の大樹あり、囲二丈許、是を神とし祭り鎌八幡宮と称し別に社なし、祈願の者鎌を櫟樹に打入れ是を神に献すといふ、祈願成就すへきは其鎌樹に入ること次第に深く叶はさる者は落つといふ……」 https://t.co/x8VZ7mtazx https://t.co/FmkDG9yscw
和歌山県伊都郡かつらぎ町平沼田に高野神社があります。 ところが、『紀伊続風土記』巻之四十七(伊都郡第六)では祇園牛頭天王社と書かれており、祭神も不詳で「当村にては祇園を祀るといふ。或は合せ祀るの神を呼ひ来るならん。本地薬師如来といふ」と。 https://t.co/bj1a2uqNOt https://t.co/4glQvbPcko
『紀伊続風土記』より兄居村https://t.co/x8VZ7mKLY7: 鎌八幡宮は社壇の中に櫟の大樹あり、囲二丈許、是を神とし祭り鎌八幡宮と称し別に社なし、祈願の者鎌を櫟樹に打入れ是を神に献すといふ、祈願成就すへきは其鎌樹に入ること次第に深く、叶はさる者は落つといふ、 https://t.co/pn5gsNfneK

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