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南紀徳川史
後半部を家譜に含めているからか。 南紀徳川史はここらへん https://t.co/nMZgoblTfU
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和歌山市史
https://t.co/u8CLvi7Uxp 個人送信対象のやつ
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南紀徳川史
『南紀徳川史』、真鍋貞成のところに戸田民部少輔(勝隆)が死んだあと秀吉に召し出された戸田家臣?9人の筆頭として安見右近(勝之)が挙がってるのね https://t.co/pJZ0YPxnnk この頁(個人送信対象)
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石山軍記
岡吉正の信長狙撃の出典探してる。石山軍記だと鈴木重幸(多分架空の人物)が草むらから信長を狙い撃ってるけど、吉正がこれに近いことをした(木陰から撃った)って話がネットにはあった。https://t.co/Mx2Kb84j7C 鈴木重幸の件はここの右頁3~4行目あたり。
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古筆手鑑『筆陣』所収羽柴秀吉書状 (調査報告 114)
中平景介「織田・毛利戦争と淡路」では桑山修理進宛羽柴秀吉書状から秀吉による安宅攻めがあったとしている https://t.co/RktV4xc0ay が、藤田達生氏は同書状について「安宅氏由緒創出史料群に含まれるものとして、検討を要する文書に位置づける」としている(つまり怪しい) https://t.co/FfLhOJzYYx
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和泉市史
「泉邦四県石高寺社旧跡幷地侍伝」の記述で、『和泉市史 第二巻』317頁掲載。https://t.co/1klMdgzVhW 国立国会図書館の個人送信対象のやつなので登録したら見れます。みんな登録しよう
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和歌山県日高郡誌
「政岸」、直光の入道名だった(『和歌山県日高郡誌』1166頁 https://t.co/6TzVp7I8tR )。直光の肖像画、坊主から微妙に髪伸びた風だと思ったらそういうことか。というか僧衣着てたわ
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芸藩輯要 : 附・藩士家系名鑑
https://t.co/SSkzZQWK4W もう一つ、吉益匡明の載ってる頁
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芸藩輯要 : 附・藩士家系名鑑
湯川目当てで『芸藩輯要』見てたら吉益いたわ。「畠山ニ改」ってある… https://t.co/NeoiSs7RcJ ここの右上らへん
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芸藩輯要 : 附・藩士家系名鑑
もう一つの出典『芸藩輯要』はあった。湯川丹波勝春いた https://t.co/sxRIV5SHNc
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和歌山県史
https://t.co/JwzEEMccRU 『和歌山県史 人物』513頁の「湯河太郎五郎」、直春の子で丹波守を名乗るってそのまんま光春(勝春)ですね。https://t.co/bBonejB1Jj 比較的最近wikipediaにも記事できてた人
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御坊市史
https://t.co/mpimyHJS5P 『御坊市史』3巻史料編1、55-56頁の「口上之覚」が播磨屋さんのところの系図2に近いのかな。当主のみの系図なので直光や直春の兄弟は載ってない。ここでの直春嫡男が勝春
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和歌山県日高郡誌
『和歌山県田辺町誌』の系図は『和歌山県日高郡誌』(大正12)から引いてきたやつかな https://t.co/QgEJfa4feJ こっちには出典書いてあった
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和歌山県田辺町誌
10代当主=政春とするのは https://t.co/8VGqNJ7m3m 『和歌山県田辺町誌』106頁など。1971年出版の本だけど1930年の本の復刻版。
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紀伊続風土記
wikipedia湯河直光、紀伊続風土記によると享禄元年に江口の戦いで云々とあるけど、紀伊続風土記には享禄元年なんて載ってないじゃねーかコラー https://t.co/2DLudQDvIV 江口の戦い→天文元年に堂建立、なので時系列おかしいってのは残るが(江口の戦いは天文18年)
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三春町史
RT @noimago: 三春町史. 第8巻 (近世資料 1 資料編 2) https://t.co/P4xAWMmhp1 ええっ、細川昭元の子孫が!? …これは有名か。
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戦国軍記の新史料 : 「畠山実記」(「高野合戦雑記」)の紹介
平三郎左衛門尉で検索したらあった、加地宏江「 戦国軍記の新史料 : 「畠山実記」(「高野合戦雑記」)の紹介」『人文論究』32巻1号、1982年(関西学院大学リポジトリ) https://t.co/IAmV6atUnl なるほど平三郎左衛門尉知茂…
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丹波山国荘の代官設置と三好長尚
RT @nknatane: 馬部隆弘「丹波山国荘の代官設置と三好長尚」https://t.co/B6e7hzXsmN 公開されていた。戦国期の畿内近国における荘園代官の位置づけを考える上でも大変興味深い内容だ。 https://t.co/U6a0D4bfvW
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史籍集覧
厳助往年記によると天文22年に閏正月があった https://t.co/N5QP6xXztY
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反訓にみる「相反相因」について
朱捷「反訓にみる「相反相因」について」『同志社女子大学 総合文化研究所紀要』38巻、2021年。https://t.co/ENdnE5lKU6 反訓はなんかそういう法則があるんやでというより語義が変わっていく中でたまたまそういう状態があっただけという感じっぽい。
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常山紀談
『常山紀談』https://t.co/ilQxg45czF の「悪右衛門は要害から敵をおびき出して討ち取った」ってのが「赤井の呼び込み戦法」の元ネタだろか。これが、黒井城の戦いで光秀を撃退したのも呼び込み戦法だったんだと拡大解釈されていった説
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後法興院記
波々伯部五郎が比叡山焼いた出典見れた。『後法興院記』明応8年7月20日条。https://t.co/4r9uwGMrv0
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多聞院日記
塙直政は当時「守護」と呼ばれたので間違いなかった。大和守護兼任の件について、『多聞院日記』に「去廿三日ニ塙九郎左衛門尉当国ノ守護ニ被相定了云々」とあり(https://t.co/5YzC2z5iv3 右上の真ん中ら辺)。
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群書類従
『細川両家記』にある「(永禄六年)三月廿二日に。池田山城守同勘右衛門尉を同内輪にて被誅也。」(https://t.co/pVin35MuAM 右頁6行目)、山城守が勘右衛門尉を誅殺したと読める気がするけど、このとき山城守と勘右衛門尉の二人が殺害されたみたいだから、自分の読み間違いかここの記述が違うのか
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群書類従
ついでに池田知正の項の出典にも使われてる『荒木略記』 https://t.co/DCSuIYjHB1 『織田信長家臣人名辞典』ではここに出てくる「直政」を知正のこととしてるみたいだけど、前ツイの系図だと勝正の子を直正として、勝正の弟の知正とは区別してるっぽい
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紀伊続風土記
https://t.co/zGWdinMwdU たまたま『紀伊続風土記』見てて「畠山政能」の名前を知るなど(左頁下段、則岡氏のところ)。政能で「まさよし」「まさひさ」どちらも読めるっぽいから政義から政尚に改名したで、ってのに両対応できちゃう? 畠山秋高も、書簡の現物があるから昭高でなく秋高表記か
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大日本古文書
https://t.co/KcActBFNWs 具体的にはここで、挙げられてる文書はこれの257 https://t.co/VH1g693oaP
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五畿内志
『大和志』によると北田原城主は坂上丹後守とされる(https://t.co/eC2p30seE7 右ページ3行目、「山田城」の下)。 『鷹山家文書調査報告書』所収の「鷹山氏系図写」によると、鷹山弘頼の娘が坂上尊忠に嫁いでいて、尊忠の父肥後守の代から北田原城主だったらしい。尊忠の官途は丹波守。
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多聞院日記
北田原城主・坂上氏についてメモ。 坂上(さかのうえ)氏は生駒市有里町字坂ノ上が遺称地らしい(『角川日本地名大辞典29奈良県』「たはら 田原」)。永禄10年「田原之坂上」が松永久秀方に属して蜂起(『多聞院日記』永禄10年9月22日条 https://t.co/9B8Ee5lzxM)。「松少へ又裏帰了」とある。
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籾井家日記
https://t.co/K2SWZwnve3 籾井家日記のインターネット公開待ってる。色々ある逸話のどこからどこまでが籾井家日記由来なのか知りたい
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甲陽軍鑑
あったー。https://t.co/P28Z4ZdZW7 品第四十下。「当代日本の四大将」の次の13大将としてカウントされてるのね
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甲陽軍鑑
「臨兵闘者皆陣烈在前、怨敵消滅悪魔降伏怨敵消滅、天地和合皆令満足、過去現在未来」 https://t.co/kXwJLRQFYb これの左の方。最初忍者がよくやるやつだこれってテンション上がってから、最後めちゃくちゃ現代的な単語で〆
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寛政重脩諸家譜
小さい文字、寛政重修諸家譜にないっぽい https://t.co/2EmsnTpfGq のは、大日本史料の編纂者が付けた部分だからかな
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大日本史料
『大日本史料』にあったー。https://t.co/17XiQdV9HH これの前頁から続いてる部分、『寛政重修諸家譜』の「大橋重保」のところにあったらしい
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異国叢書
https://t.co/bwsyFGkN7X ここの小文字部分、「貞政父高政と共に畠山家の復興を図りしも成らざりしが」っていうのがそのまま「両畠山系図」由来っぽい
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大日本史料
『大日本史料 第十一編之八』収録のものなので、国立国会図書館デジタルコレクションで見れます https://t.co/h9XEXpOMRI
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鹿児島県管内小学地誌
https://t.co/3PxRYDXNpY 明治17年出版のこの本とかは「大隈国」
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藩翰譜
『徳川実紀』における本多正信の一向一揆後の動向は『藩翰譜』 https://t.co/9zyEPA8mwc に基づいてるっぽくて、三河を出た後「都の方」に赴いて松永久秀に見られて(?)、それから加賀に行ってる。松永久秀に仕えたかどうかに関してはノータッチ。 https://t.co/HeZ43YnlYS
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三河物語
『三河物語』、正信(本田佐土守)のことが書いてる頁だけど、よ、読めない… https://t.co/WpxLAZ4XFU 現代語訳の本買ってみるか
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徳川実紀
石田三成を保護した時の家康と正信のやり取り(左下の頁)。「帷幄(イアク)の謀臣」、カッコイイ https://t.co/FZjPe6iEWL
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徳川実紀
メモ:『徳川実記』の本多正信(死去の記事に合わせて経歴載せてる) https://t.co/Wkq5PRMSGI
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名将言行録
とりあえず名将言行録見てみたけどここにはなかったっぽい https://t.co/pYa4Dl89Il
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五畿内志
『五畿内志』に津田城や氷室や安見直政載ってるぞってことで見つけた。https://t.co/jruanQQMa7 左頁の古蹟のところに私部城・津田城・氷室。これが後の椿井文書の記述につながるわけやな
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本朝武芸小伝
前半は1714年成立の『本朝武芸小伝』から。https://t.co/AkrRvsKgX6 「持ち帰った」じゃなく「持ち込んだ」にしたのは、『鉄炮記』が津田監物を種子島出身としている風だから(紀伊出身でいいと思うけど)
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支考が語る支考 : 芭蕉入門前
「食べてすぐ寝ると牛になる」の由来、各務支考さんらしいということでググってたら元ネタの句あった。 肉食とかして堕落してると来世で牛になるぞと言われて「牛になる合点じゃ朝寝夕すずみ」と答えたのがそれらしい。https://t.co/H21vXk5U8i ここのpdfの77頁に載ってるやつ。
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群書類従
https://t.co/oMRMQXXd5J 自分の見た両家記(右のページ)
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姓氏家系大辞典
河内小山城が安見氏居城だって話、『姓氏家系大辞典』の安見氏系譜からの引用部分に普通にありましたね。発信源はここかぁ https://t.co/G8QLpmcGDX https://t.co/uurGs46jvq
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寛政重脩諸家譜
ニコ百・安見宗房のところに「『寛政重修諸家譜』によると、佐久間信盛の娘を妻としたとあるが~」とあるのはこの本によるのかな。『寛政~』にはそのままずばり「安見右近大夫某が妻」ってある https://t.co/nE18FTiW0b
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寛政重脩諸家譜
本多正信が松永久秀に仕えたって話、ソースはなんじゃろか。 『藩翰譜』には「正信松永が許に仕へたりしにや詳ならぞ(ず?)」とあるので、仕えたかどうか不明。 https://t.co/9zyEPA8mwc 『寛政重修諸家譜』だと正信が京都に行ったパート自体ない。 https://t.co/iE8F9h5As9
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藩翰譜
本多正信が松永久秀に仕えたって話、ソースはなんじゃろか。 『藩翰譜』には「正信松永が許に仕へたりしにや詳ならぞ(ず?)」とあるので、仕えたかどうか不明。 https://t.co/9zyEPA8mwc 『寛政重修諸家譜』だと正信が京都に行ったパート自体ない。 https://t.co/iE8F9h5As9
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大日本古文書
後から見た時用メモ:安見助次郎は観心寺文書275号、草部助兵衛は271号。 NDLデジタルコレクションでのURL(271号の頁) https://t.co/VlFEJwYmlX
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魁題百撰相 根来小密茶
浮世絵・錦絵の小密茶 https://t.co/eHvTaFlxmu https://t.co/faY3z7uRVc
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紀伊国名所図会
RT @noimago: 逆に杉坊明算は津田算長の弟とは、どの史料に出てくるのかと調べたら、とりあえず『紀伊国名所図会』にあった。https://t.co/DkgKg1xwY5 左頁後ろから7行目
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本多政重家臣団の基礎的考察--その家臣団構成について
「文献史料からみた私部城」にある、直江兼続配下から本多政重家臣に加わり加賀に同道した安見氏、あった。→本多俊彦「本多政重家臣団の基礎的考察--その家臣団構成について」 https://t.co/LdGRHpNmrY 「安見藤左衛門」らしい。
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大和高山の宮座(一)
古いけど、1974年のこれ https://t.co/sycaQWtV2r でも鷹山頼貞・頼盛は織田信長に敵対したことになってる
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モージャー氏撮影写真資料
RT @sasakitoshinao: GHQのロバート・モージャーが終戦直後に撮影した304枚の写真アルバムはこちら。見飽きない。/国立国会図書館デジタルコレクション - モージャー氏撮影写真資料 https://t.co/81uf7TeSkO https://t.co/0z…
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山城国人狛氏と一族の地域的展開
馬部隆弘「山城国人狛氏と一族の地域的展開」『大阪大谷大学紀要』57号、2023年2月 #こんな論文がありました PDF公開されました。山城の狛氏について出自が渡辺党であり、摂津守護代薬師寺氏の与力や六角氏被官の狛氏も同族であると示す、基礎的な研究となります https://t.co/sdDgOtiGnu
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紀伊守護と紀南の水軍領主
弓倉弘年「紀伊守護と紀南の水軍領主」https://t.co/iExBnh9cfe 畠山尚順の改名時期に関連して。三好一族となった淡路安宅氏が著名ですが、こちらではその本家・熊野水軍の安宅氏や小山氏が、南北朝期から戦国期にかけて国人領主化し、紀伊守護・畠山氏に取り込まれるに至った経緯が説明されています。
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中世の讃岐国人香西氏についての研究
香西氏の最新まとめはこちらにありました。勝賀城跡の調査に従事されている、田中健二先生の考察です。2022年9月30日発行! 田中健二「中世の讃岐国人香西氏についての研究」 https://t.co/IpwtYMRdUi
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和歌山県史
https://t.co/OVVAvi5gyo 今は個人送信で見られるようになった「湯河家文書(東京都)」の平仮名ばかりで読みづらいことでおなじみ(おなじみ?)の2月13日湯河式部少輔宛て畠山稙長書状。腰据えて解読しようとして気づいたことがある
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石山本願寺日記
今更だけど、国会図書館のインターネット提供によって天文日記(石山本願寺日記)もネットで読めるようになる日が来たんだな https://t.co/T2efO2jhWH
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江口合戦への道程 : 三好長慶と細川晴元の思惑
PDFも解禁されたみたいですね 馬部隆弘「江口合戦への道程―三好長慶と細川晴元の思惑―」(『大阪大谷大学歴史文化研究』21号 2021年) https://t.co/0ij919GrAK
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紀伊国名所図会
逆に杉坊明算は津田算長の弟とは、どの史料に出てくるのかと調べたら、とりあえず『紀伊国名所図会』にあった。https://t.co/DkgKg1xwY5 左頁後ろから7行目
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中近世移行期における淀川流路の変化 : 岡・禁野・磯島周辺を対象に
もう一つの論文も、メールで馬部氏に対し頑なに自説を主張する人に対する丁寧な反論だった。色々な人に絡まれておられるなあ…… ⇒馬部隆弘 「中近世移行期における淀川流路の変化 : 岡・禁野・磯島周辺を対象に」 『大阪大谷大学歴史文化研究』20 2020/3 https://t.co/fCCk6Iwb4b
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