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>栃木県の那須塩原市って、戦国時代は那須氏が治めていたのですか? 宇都宮氏、佐竹氏、結城氏などと抗争状態で、戦国時代を通じてずっと那須氏の所領ということはないでしょう。ただ、那須氏は戦国時代、分裂しながらもずっと那須郡の大部分を治めていたようです。 まず応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱で那須家は上の荘(上那須家)と下の荘(下那須家)とに分裂していました。そして応仁の乱の時代に関しては ...
>栃木県の那須塩原市って、戦国時代は那須氏が治めていたのですか? 宇都宮氏、佐竹氏、結城氏などと抗争状態で、戦国時代を通じてずっと那須氏の所領ということはないでしょう。ただ、那須氏は戦国時代、分裂しながらもずっと那須郡の大部分を治めていたようです。 まず応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱で那須家は上の荘(上那須家)と下の荘(下那須家)とに分裂していました。そして応仁の乱の時代に関しては ...
太閤検地時、諸国の生活水準差あるいは食生活の差は小さかったのでしょうか? http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800003/273 尾張 石高57万 祖米高19万 伊勢 石高56万7千 祖米高18万9千 美濃 石高54万 祖米高18万 薩摩 29万3千 9万4千 武蔵 66万7千 22万2千 越後 39万 13万 摂津 35万6千 11万8千 ...
歴史研究家が、関ヶ原の合戦直前の大名石高を調べる際に根拠として引用される『大日本租税志』に慶長三年(質問の時期とは一致しませんが)の国ごとの石高が記されています。 下記はこの史料が閲覧できる近代デジタルライブラリーのUPLです。 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800003/273 長門13万6千石 周防16万7千石 石見20万石 安芸19 ...
毛利輝元の石高は吉川広家・毛利秀元の石高を含み、九州の小早川秀秋・小早川秀包の石高を含みません。ただ「120万石」についてはちょっと注意が必要です。 毛利家文書に天正19年(1591年)旧暦3月13日付で発給された領知朱印状・領知目録が残っておりますが(『大日本古文書 家わけ文書第8 毛利家文書之三』所収)、それによると領知は「安芸 周防 長門 石見 出雲 備後 隠岐 伯耆三郡 備中国之内、 ...
専門家も本当の理由が判っておりません。松下志朗「近世初期の石高と領知高」(経済学研究42巻275頁(1977年))の脚注31によると、「今野真氏の御教示によれば、上杉氏の出羽国分が除かれているのではないかということであるが、後考に俊ちたい」とありますが、その詳細が論文なり本なりに活字化はされていないようです。ただ最上領と上杉領(庄内)はどっちも差出検地ですので、そこに原因があるのは間違いありません ...
専門家も本当の理由が判っておりません。松下志朗「近世初期の石高と領知高」(経済学研究42巻275頁(1977年))の脚注31によると、「今野真氏の御教示によれば、上杉氏の出羽国分が除かれているのではないかということであるが、後考に俊ちたい」とありますが、その詳細が論文なり本なりに活字化はされていないようです。ただ最上領と上杉領(庄内)はどっちも差出検地ですので、そこに原因があるのは間違いありません ...
(1) 1850万9043石7斗4升 太閤検地による慶長3年(1598年)の石高。 野中準編『大日本租税志 中巻』「慶長三年總高」による。 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800003/273 (2) 2217万1689石6斗7升4合 江戸時代初期の石高。 島原松平文庫『御当家雑記』「日本国知行高之覚」による。なおこの数字は、慶長8年(16 ...

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