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投稿一覧(最新100件)
中世から近世までだと、鎌倉・室町・江戸全てじゃないですか(・_・;)
おまけに「公武対立史観」なんて用語を使用しなさいって・・・。
下記にUPLを貼っておきます。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jerasskenkyu/38/0/38_KJ00006793780/_pdf
今から30年前の論文だけど、「公武対立」と高校生が勘違いするこ ...
所領に関して詳しく調べた史家として笠谷和比古氏がいます。
氏の講演の際に、文禄三年年当時の各大名の所領を克明に記した地図を頂いたのですが、石高の算出もされたとのことでした。
おそらく、このような資料は一般には出回っていないと思います。
笠谷氏はおそらく、江戸時代初期まで写本の来歴が遡れる国立公文書館蔵『当代記』から調べたと考えています。
下記のUPLを貼り付けましたので、お調べに ...
九条兼実が書き記した日記『玉葉』が宜しいかと思います。
下記に近代デジタルライブラリーのUPLを貼っておきますので、ご確認ください。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772050
近代デジタルライブラリーにて編者・貝原益軒全集が閲覧可能です。
コマ5辺りから『黒田家譜』になります。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1023982
原文は漢文、仮名混じりは読み下し文だと思います。
『信長公記』も原文は漢文です。
一般に流布している現代語訳は確か史家の奥野高廣氏が読み下し文に訳したと承知しています。
この逸話は、『利家夜話』が出典であろうと承知しています。
下記に近代デジタルライブラリーのUPLを貼っておきます。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953320
コマ番号44を指定していただくと質問部分の事が記されています。
この逸話のポイントは、仲が悪い蒲生氏郷と細川忠興が同席している事でしょうか。(両者の不仲を伝える逸話の多いこと)
...
歴史研究家が、関ヶ原の合戦直前の大名石高を調べる際に根拠として引用される『大日本租税志』に慶長三年(質問の時期とは一致しませんが)の国ごとの石高が記されています。
下記はこの史料が閲覧できる近代デジタルライブラリーのUPLです。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800003/273
長門13万6千石
周防16万7千石
石見20万石
安芸19 ...