51 0 0 0 OA 源平盛衰記

著者
石川核 校
出版者
有朋堂
巻号頁・発行日
vol.下, 1912

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『源平盛衰記』(有朋堂文庫)を探している。

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@0darkeyes0 https://t.co/uKWAg5GYO6 こちらの179コマ(P343)が源平盛衰記の該当箇所です。 頼朝が巴の首を刎ねよというのに懸命に助命嘆願しています。また義仲にとって巴は妾ですが義盛は妻としたとあります。義盛がただの荒武者じゃないことが分ります。
@goshuinchou 『源平盛衰記』ですね。 「我天岩戸に有し時、落たりし剣也と仰す」 https://t.co/uKkKK7fBIf
@goshuinchou 木曾義仲は白山権現の三馬場に戦勝を祈願。 https://t.co/19iQq76b7o 合戦後には「義仲が力に非ず、偏に白山権現の御計にて平家は亡びにけり」と言い、金劔宮に馬を奉納しています。 https://t.co/zNbmJnFay7
@goshuinchou 木曾義仲は白山権現の三馬場に戦勝を祈願。 https://t.co/19iQq76b7o 合戦後には「義仲が力に非ず、偏に白山権現の御計にて平家は亡びにけり」と言い、金劔宮に馬を奉納しています。 https://t.co/zNbmJnFay7
@goshuinchou 木曾義仲の「火牛の計」が出て来るのは『源平盛衰記』の第二十九巻です。「四五百頭の牛の角に松明を燃して平家の陣に追入る」と書かれています。 https://t.co/I5lBkAwhG5
『源平盛衰記』 https://t.co/CVYucwE6NE によると、道昌が求聞持法を満行した時、電光の如く耀いて明星天子が来影し、虚空蔵菩薩の姿が現れました。その姿を木像に彫ったのが法輪寺の御本尊で、「鎮守は本地虚空蔵、法童法護大菩薩と号す」。 この法童法護大菩薩が電電宮の前身なのだろうか? https://t.co/vS6XcLC3lX
『源平盛衰記』だと安徳天皇は八岐大蛇(龍宮城の次郎王子)の化身なので、龍宮城で龍王に抱かれた姿で登場します。 https://t.co/1oe7DF7Gd1 https://t.co/m8J6rOoizw
『源平盛衰記』巻第四十四 https://t.co/LuBsePVHkL 出雲国簸川上に尾頭共に八ある大蛇と成り、人をのむ事年々なりしに、素盞烏尊、王者を憐み、民を孚み、彼大蛇を失はる。其後此剣を尊取給て、天照太神に奉る。 https://t.co/GMe3IxNmPF

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