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古いところだと『近江輿地志略』(18世紀)に「志賀郡坂本の産士也」とあるけれど、これが最初なんだろうか? https://t.co/xlLHitUDrX
「孝霊天皇五年一夜に地裂けて湖となり駿河富士山湧出す」近江輿地志略 https://t.co/KdsmhksgDj 富士山の浅間大社 浅間山 朝熊山 日本武尊「吾嬬者耶(嬬、此云菟摩)」」 あずま東,吾妻,我妻,吾嬬 近江と大和の朝妻 近江坂田の衣通郞姬を娶る 允恭天皇の諡号:朝津間,淺津間,朝津間,朝嬬 (^▽^;)
興福寺は最澄さんは興福寺仁秀門弟と(南都叡山戒壇勝劣事 https://t.co/0yWWIgmUCk 喧嘩? 延暦22(803)年開基の坂田郡世継村興福寺という縁起書。 延暦寺戒壇院は827年 https://t.co/P6v620MLzp 。 近江輿地志略の世継の興福寺は天台宗 https://t.co/8JpvLGfD5X の方が矛盾? 椿井文書メモ
関寺小町「ワキ「……小野の小町こそ。衣通姫の流とは承れ……」 「地「さる程に初秋の短夜。はや明方の関寺の鐘。シテ「鳥もしきりに。地「告げ渡る東雲の。あさまにもならば。……」 https://t.co/c5lIGKvGmA 近江輿地志略「朝妻村……朝妻或は旦妻に作る」 https://t.co/T7Us6DcyHt 椿井文書メモ
近江輿地志略(※1734)「朝妻川……或は天川と號す。源は大清水川・平松川・梓川・醒井川等……醒井の邊にて醒井川……箕浦村の南に至ては箕浦川……飯村の傍に於て飯村川」P.953 https://t.co/T7Us6DcyHt 椿井文書メモ https://t.co/4rt88efqsg
『世継神社縁起之事』の興福寺は南都興福寺別院。 開基は仁秀、本尊は釈迦さんで 藤本孝一先生が椿井文書説があると書いた『興福寺官務牒疏』 https://t.co/EEXh4gJUoc と同じ。 『近江輿地志略(1733)』にも世継の興福寺は天台の寺として出てくる https://t.co/8JpvLGfD5X https://t.co/NUs62EykTP
世継(蛭子)神社は『近江輿地志略(1733)』によれば祭神不明 https://t.co/8JpvLGfD5X 、 『淡海木間攫』(1792) https://t.co/5oYMgjWXMl では蛭子大明神。 椿井文書メモ https://t.co/PoG76MjCjP
でも世継にある興福寺について 『近江輿地志略』(1734) https://t.co/8JpvLGfD5X は天台、 『世継神社縁起之叓』は「南都興福寺仁秀僧正於此地建立……号名興福寺以為南都別院」と書いているのが大きな違い。 『興福寺官務牒疏』は「世継寺。號興福寺」。 椿井文書メモ https://t.co/mdZ6WNHYgz
『世継神社縁起之叓』に延暦22年南都別院がとある。 近江輿地志略(1734)世継村の欄に「興福寺遺址」とある https://t.co/8JpvLGfD5X 。 延暦22年槻本公奈弖麻呂は祖父が生長した地名の坂田宿禰(息長真人同祖)を賜る(新撰姓氏錄)。千熊長彦が額田部槻本首の始祖 https://t.co/xI5mrDgpRK 椿井文書メモ https://t.co/SEkLhvGTg1
『世継神社縁起之事』は「天野川」という漢字を使用してるけど、 1900年大日本地名辞書 https://t.co/jG5f8DQBpe 以前にその漢字を使用した文書を探せない。 天ノ川(淡海木間攫)天川(近江輿地志略) https://t.co/T7Us6DcyHt とかならあるんだけれど。 椿井文書メモ https://t.co/hGTJFmalE5
謎だ「葦積郡(古代) https://t.co/SAkl3387H9奈良期に見える郡名 天平宝字6年5月の「近江国符案」に「葦積郡」とあり,また「延喜式神名帳」にも阿志都弥神社……「善積郡」(平遺2281・補171・補226)……高島郡域にあった「和名抄」の善積郷……」 https://t.co/9Tb6lIkhHF
磯村・礒崎神社御祭神日本武尊から見て 磯村→筑摩村→朝妻村→世継村は 世継、すなわち枚方市樟葉宮で即位する継体天皇への血筋の道。 世継村の対岸は高島。 礒崎神社前の結石も、湖底で対岸の白髭社に繋がってるという https://t.co/9Tb6lIkhHF 椿井文書メモ https://t.co/98ENLcawrS
近江輿地志略によれば朝妻村は旦妻に作るという https://t.co/T7Us6DcyHt 。旦は朝日、つまり東の日。東はあずま。吾妻。磯村の磯崎神社の日本武尊の「あずまはや=弟橘媛」 椿井文書メモ
朝妻郷・朝妻筑摩 https://t.co/zl6egJMRnK は磯村の礒崎神社のヤマトタケル https://t.co/9Tb6lIkhHF の 「吾嬬(吾 菟摩)」で、湖水に浸る結石(烏帽子岩)も七夕なのかもしれないね https://t.co/MC7Rey8N1N 椿井文書メモ
『淡海温故録』の磯村のページ、「みを」でも読めない。(^▽^;)(^▽^;) https://t.co/5l6xMb69YF かつては坂田郡ではなく善積郡だった伝承、地質学的に何か裏付けあるのかな? https://t.co/T7Us6DcyHt 湖底地形図でわかるかな? 富士山って近江富士のこととかかな? 椿井文書メモ
『淡海温故録 https://t.co/LX1Kjqkj6H 』の世継村と朝妻村のページ、 ・・・・・みみず文字が躍ってる。(^▽^;)(^▽^;)(^▽^;) https://t.co/ecXL4XeTBa 磯村の磯崎神社の伝承は不思議だ。湖に一夜で沈んで残ったと。駿河国の富士山出現って意味わかんない https://t.co/9Tb6lI2GQ7 椿井文書メモ
近江國絵圖 https://t.co/9WIcsGNXv0 と 近江輿地志略 https://t.co/T7Us6DcyHt と 筑摩社並七ヵ寺之繪圖 https://t.co/Nvh9uZoyPS 。 この絵図でこの地域の神社は無社格でも神社合祀されずに済んだようにも思える。 椿井文書は功有りなのかもしれないね https://t.co/zEGmbV7B42
@TaniYoko 旧坂田郡世継村の世継神社=蛭子(ひるこ)神社は無社格だし、 朝妻村朝妻神社も昔は牛頭天王。 上に大正時代の名前があるので、消えた神社が一目でわかる https://t.co/T7Us6CUXPV 。 生き残れた神社のうち何割かは椿井文書で神社明細帳を出したのかもしれない。
しかも、これらのすばらしい本の数々は、インターネットで誰でも自由に閲覧することができるようになっているのです! 『大日本仏教全書』https://t.co/T73enW71VI。 『群書類従』https://t.co/617EdjyTW8。 『近江輿地志略』https://t.co/j3PtWAgqtC。 『大正新修大蔵経』https://t.co/ovssVYfcyB。 https://t.co/IkR8cX2Mst

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編集者: Bcxfubot
2020-12-18 08:19:48 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。
編集者: Kiyoweap
2019-05-19 13:31:17 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

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