国家鮟鱇 (@tonmanaangler)

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武田元明調べてたらいちいち出典で行き詰まる。 「武田元明の最後について〔お尋ね〕」「しかし、私が今日まで学んだ範囲では武田元明が明智光秀に組したという記録には未だ巡り会ったことがありません」 https://t.co/JtCt1zSVbS

1 1 0 0 OA 福井県史

福井県史(大正9)「義景継嗣の夭死に會し傷心憂悶し加ふるに閨門亦亂れしかば義昭その頼むに足らざるを知り」と義昭の越前退去理由を書いている。 https://t.co/N60iUPL2hT
瑩山紹瑾-峨山韶磧-源翁心昭という流れ。瑩山は「白山の氏子」と自称してたらしい。峨山もウィキペディアによれば白山修験道の行者説があるそうだ。 https://t.co/XNj9JqopvJ

1 1 0 0 護法童子

「護法童子」についてはあまり注目されていないという論文(1973)。すごく興味深いことが書いてある。 https://t.co/Ltn5D9fIlD
ついでに『米国の家庭及社会』(明治41)の「日傘と帽子」 https://t.co/WJemKW7LSP
『外人の観たる日本』(明治40)。日本見物に来た欧州の一紳士V氏の日本人評(という体裁。イザヤ・ベンダサン的な?)。「日傘」で検索してて見つけた。 https://t.co/VfCBLZok3n

1 0 0 0 OA 贈位諸賢伝

「三淵長薫の子長して、長岡播磨守元常の嗣となる」とあるから細川元常が「長岡」を称していたという説があるのか。つまり義昭追放後よりずっと前から「長岡」だったと。 https://t.co/Re10O7gSHQ
『簠簋抄』は「清明」の母が「化来の者」であり、清明が信田の森を尋ねたら古狐に会ったという話で、父と母の出会いとかのエピソードは無いようだ。 https://t.co/795rODxGoP
ちなみにこっちの論文だと「彦部雅楽頭晴直長男弥太郎信勝」とあり、孫四郎は嫡男ではないと思われるが、よくわからん。 https://t.co/sfM09GBVVA
この論文だと『彦部家系図』に彦部雅楽頭晴直と子の孫四郎輝信が殉死したとある。養子の可能性もあるけどわからない。 https://t.co/NxKyokhN6U

5 0 0 0 OA 言継卿記

ん?「彦部雅樂頭、同孫四郎、」とあって次に小さい文字で「小林弟」とあるので孫四郎が小林弟なのかと思ったのだが違うのか? https://t.co/8FaCsWopjp
山梨県に伝わる護良親王妃雛鶴姫の伝説は昭和初期に生成されたものだそうだ。 https://t.co/ePV5xRQJRG
検索したらあっさり見つかった。「トカラ列島小宝島の海賊伝説」。元々与助という海賊の伝説があったところに、キッドの埋蔵金騒動によって「新しい伝説の生成」があったようだ。 https://t.co/v00RdwhoK4
で、「織田信長の信心・不信心の様相 : 中世宗教史のなかの信長」 https://t.co/xF3AxhNzIK
「富岡鐵斎--賛文に潜むもう一つの藝術観」という論文に鉄斎の絵の逸話について「これは一休と蓮如が共に阿弥陀仏を揶揄した話であって、阿弥陀仏を尊い仏様と尊敬し、礼拝するという一般的な常識から極めて外れた話である」と説明してる。違うでしょと思う。 https://t.co/6nsaOUabDd

1 0 0 0 OA 一休和尚

『一休和尚』(狂禅坊編 大正2)に一休が「阿弥陀といふものは全体何の為めに置きますかな」と聞くと、蓮如が「これは異なお訊ね、あれは看板でござる」と答えたとある。その前に「米櫃の掃除をして居ります」とあるから、この米櫃とは阿弥陀像なんだろう。 https://t.co/Xwgadfq56Q
類話はあって『笑ひながら修養になる一休珍問答集』(昭和17)に阿弥陀如来像のことだと思うが「興行の木戸銭取りの看板」と蓮如が言ってる。 https://t.co/vsCM4in9n1
でも論文にもこんなこと書いてある。「フランス革命の時にハイチへ亡命したフランス人の家系で」(『風と共に去りぬ』における模倣の欲望)。 https://t.co/vrJrrE9AAb
ペドロ・コレイア氏のことは仏教史学者上川通夫氏の出張報告にも出てくる。「確かな研究手法と見識を備えておられると感じた」。 https://t.co/KCZXvd0tav
で、今検索したら「岐阜城の空間認知 : 文献・絵図・考古資料を用いて」(内堀信雄)という論文 https://t.co/nI6zPbsj5I
「獲麟」については孔子が言いたかったことは何か?とそれが後世にどう解釈されたのかということがあって、一概に「獲麟」はどういう意味かということは言えないと思われ。 https://t.co/p9VXW8D5zH

1 0 0 0 OA 甲斐叢書

『甲斐叢書. 第10巻』に「武田信玄ノ時地蔵原ニ龍地新町ヲ建テ」とあった。「蔵原」ではなく「地蔵原」なのか?「甲斐市龍地地蔵原」という地名があるから、こっちが正しいのだろうか?だがしかし…保留。 https://t.co/rYQrHJaDl4

3 0 0 0 OA 甲斐志料集成

『甲斐志料集成. 6』に「寺ハ今北山筋龍池村ニアリ」とある。今は龍地村(竜地)にあるというのだから、前は蔵原にあったということだろう。 https://t.co/aWAgSbXww6

2 0 0 0 OA 甲斐志料集成

『甲斐志料集成. 5』に「古地ハ蔵原ニアリ」と書いてある。蔵原は現北杜市高根町藏原だと思われ。 https://t.co/3cY8flXogr

3 0 0 0 OA 松平記 : 校訂

さらに『松平記』に「毛利新助と云ふもの義元の首をとりしが、左の指を口へさし入れ義元にくひきられしと聞へし」とある。『松平記』の成立年は不明だけどこっちの方が先だと思われ。 https://t.co/GqQ84JPZtA
山内菜央子氏の論文うなずける部分が多い。「かくして詞書と絵との間のズレが浮き彫りになった」(「山中常盤絵巻」研究--女性表象をめぐって) https://t.co/cRv8wMBelt

2 0 0 0 OA 寺子屋

「尤も宗幸を村に留めて置いたのが子弟教育のためであつたか又書記としてゞあつたかそれともその両方のためであつたかは本文が簡単過ぎて明瞭でないが、平泉博士が之を解して子弟教育のためであつたとされることには大いなる無理はない様に思はれる」寺子屋 石川謙 昭和10 https://t.co/I8yQWLqBzj

6 3 2 2 OA 光秀 : 戯曲

それはそうと明智滝朗氏は大正13年の時点で既に煕子と書いてるわけですね。 https://t.co/L22Y3HBdrX

1 0 0 0 IR 沢庵と武家

「御家にハ随分之衆も御座候つれ共、年よりはて、止められぬ道にて、皆々はて申候。又次々ノ人の甲斐根性ヲ御覧立被成、情の死を仕様ニ御仕立候事専用候」 https://t.co/EAFpcfKxIF
「丹波国牢人没落、殊大将分荻野十郎左衛門尉父其外随分者共討死」(北野社家日記) https://t.co/16UDRI8fV9

8 0 0 0 OA 家忠日記

「随分者三拾二人うち取り候て家康かけかわ(掛川)まて」(家忠日記2) https://t.co/pIYDHZbLne

1 0 0 0 OA 織田信長

『織田信長. 前編』(小泉策太郎 1897[明治30])に「利政薙髪道三と号す、蓋し亦た乱世の一梟雄なり」とあるな。しかしこれを当時そう言われていたと解釈するのは無理。 https://t.co/zb5bXNrByV

1 0 0 0 OA 現代之土浦

土浦の等覚寺は元は極楽寺と言い開基は八田知家の子の了信。時代がかなり遡る。元は真言宗の僧で明玄と号したが親鸞に帰依して法名を了信としたそうだ。 https://t.co/h1UfkimejK
『静岡市史編纂資料. 第6卷』に「浮田備考斎」「後に静岡で歯医者のことを備考党と異名するのもこの人から起こったもので」とある。 https://t.co/OJwXcOJUKt

5 0 0 0 OA 名古屋市史

『名古屋市史.  地理編』(大正4-5)にも「旧家」として「義歯義眼義鼻工備考斎和助」が挙げられている。 https://t.co/8KQMMtgxXm
藤野斎の孫に藤野卓爾という人がいて、この人が『京都府北桑田郡誌』に関わっている模様。 https://t.co/xX2LHtKwjd
調べたところどうも『勧懲記』ではなく『諫懲記附録』というものに載ってるっぽい。享保成立だから『藩翰譜』より後か。『読まれる女性たち--「将軍外戚評判記」と「大名評判記」』 https://t.co/MheKuquHpR

2 0 0 0 OA 言継卿記

@Toshirou_m というか一次史料に4~5人にてって書いてますね。 https://t.co/ogjynDJnvr

1 0 0 0 OA 韡村遺稿

「其外祖中瀬氏為惟任氏外姻幼時養於我秀林夫人所故助三郎仕於我冒外氏」(『韡村遺稿. 乾』)「外祖=母方の祖父」「外姻=妻の実家」か?ちょっと意味がわからない。 https://t.co/y06X7rHGoP
と思ったら割と簡単に見つけられた。「芥川敵討実録の展開」(田中則雄)『吉永記』『石見国吉永乱記』 『野藪談話』『談海』『談海集』『摂州芥川之駅薦僧之敵討実録』 https://t.co/567rhoDhaI
「天海(此人は明智光秀の後身といふ説がある。或はさうかも知れない。家康はかういふ政治的手腕を有つてゐる)」『真正日本の創建とその使命』(田代倫 1947) https://t.co/SrOMC0OEzC

2 0 0 0 OA 古文書時代鑑

『古文書時代鑑. 続編 下』(大正14-昭和2)に「細川忠興夫人明智氏自筆消息」。「署名のたは、たまを略せるなり」 https://t.co/p9ferHslUC

1 0 0 0 OA 西教史談

『西教史談』(大正15)に「玉子夫人」とあった。『国史教授に必要なる日本女性史』(昭和6)は単に知らなかっただけか。ただ当時はあまり周知されてなかった感じはする。 https://t.co/d3Dq7i6beo
『細川忠興夫人隠棲地由来記』(昭和11)に「玉子の方」とあった。 https://t.co/OLF8YvupYl
『歴史的に観たる日本女性』(昭和10)「細川忠興の妻は名を藤波といひ、明智光秀の三女であつた」これは何だ? https://t.co/eLyJEN31ZQ
『国史教授に必要なる日本女性史』(昭和6)には「日本名は知られてゐないので」って書いてあるんだけど、当時はわからなかったのか、この著者が知らなかっただけなのか? https://t.co/o2qHgaBA4v
@MasamichiMoz 扇は「中啓」という神拝扇だそうです。この体制で柏手が難しそうというのは普通にできると思うのでちょっとわかりません。 https://t.co/I7nKmt7XJ0
この大野晋説を言語学者の村山七郎氏が痛烈に批判した。「ある国語学者の語源探究--大野晋博士の語源説」(CiNii にリンクが無いけど検索すれば読める) https://t.co/Vl0gXOVv4W
「バビロン学会と古代学研究所 : 日本における古代オリエント学研究の黎明」(佐藤 進)。 https://t.co/jI3p0Q4pwD
「弁護士 原田敬吾とバビロン学会の設立」(森 征一) https://t.co/VQcWcZUo2a

2 0 0 0 OA 歴史以前

ちなみに当の原田敬吾氏本人が大正14年に「シュメール」と表記してる。 https://t.co/rulJ1IFLmN
なぜなら先に紹介した『シュメルバビロン社会史』(井上芳郎)のはしがきに「日本に於けるバビロン學の先駆者であり、バビロン學舎の創設者並に會長たりし故原田敬吾先生の學德を偲びて」と書いてあるから。 https://t.co/GZneCL5QsS

2 0 0 0 OA 大百科事典

『大百科事典』(平凡社 昭和7年)「シュメール」 https://t.co/kXlTqx3pKD
「日本における金瘡治療の展開 : 白朝散を中心に」 https://t.co/S70j2pY47q
「豊臣政権の番医--秀次事件における番医の連座とその動向」(宮本義己)見たいけどこれも図書館に無い… https://t.co/SFXHf82z6t

2 0 0 0 OA 日本基督教史

なお同じ山本秀煌氏の『日本基督教史. 上巻』(大正14 1925年)には「教名グラシアGraciaと称す、充るに伽羅奢の字を以てす」とこっちは「伽羅奢」と書いてあるわけだが。 https://t.co/kvDMunapUV
今検索したら「倭の女王国と部族国家との関係」という論文があった。「四種類があつてそれぞれ違つた性格を有する國である」とあり、それはわかるんだけど、それが一つの史料の中で同時に使用されてる実例が他にあるのかという俺の疑問を解消させるものではないと思う。 https://t.co/kPB0FB8FEF

1 0 0 0 OA 勝間田町誌

『勝間田町誌. 正篇』(昭和2)に面白い記述。姿見橋という史跡は以前は後鳥羽上皇の遺蹟となってたが、「近頃考古学者が頻りに勝田荘-今の勝間田町-御通過は後醍醐帝であるという論が盛になってきて」当を得た考証だと思うので後醍醐帝に改めたという。 https://t.co/rL7fy0Nfyt
「すなわち当年の賄料に関しては、家康側に収納にあたっての煩が無く、収納分だけを得ることができるということであり、家康への秀吉の気遣いをみることができる。」(天正年間における家康への近江在京賄料について)著者は片山正彦氏。 https://t.co/ITlKmjw2Ui

2 0 0 0 OA 言継卿記

『言継卿記』に「清筑後息才鶴丸」とあるから男子の名前として「才鶴(丸)」があるな。 https://t.co/r3r1NnxuuO
「仏教における「食」(第3回国際日本学コンソーシアム)」(頼住光子)俺が前に見たのはこの論文じゃないけど、ここにも書いてある。 https://t.co/k6JIVk3cL8
「戦国大名と情報管理に関する研究」(小林健彦)「重ねて氏真は、永禄十年の十二月初旬頃家臣の遊雲斎永順を越府へ派遣し(中略)謙信はこれに対して要明寺を使僧として永順と共に駿府へ派遣する」云々。 https://t.co/HX5TXwe2eX

4 0 0 0 OA 大日本古文書

@buqimingri 『大日本古文書』にも「輝虎今川氏ニ使僧ヲ遣ス」とありますね。https://t.co/u7bbLVE3oZ

7 0 0 0 OA 武家事紀

『武家事紀』に収録されてるんだな。秀吉辞世の句の前。 https://t.co/tYe9Qmgm41

2 0 0 0 OA 筆のすさび

『筆のすさび』(大町桂月 著 明45)「地獄の鬼に逢ひたりといふ逸話、関八州古戦録に見ゆ」朝比奈弥太郎の話。 https://t.co/XRypGj2T25
平安時代の仏教説話集『地蔵菩薩霊験記』「日金山の地蔵の事」。ここでは地獄とされてるのは熱海で日金山の地蔵菩薩が山から下りて救うという話のようだけど。 https://t.co/X37SLLOIjR
この前の「火車の誕生」の論文で「二桝をつかひて」とか「二舛ヲ用者」は面白いと思った。 「米を買うとき大きな枡で買い、売るときは小さな枡で売る不正」のことだそうだ。 https://t.co/xDq5lsUNCA
アリノリさん紹介の 「小豆洗いの起源について : なぜ小豆を洗うのか」 https://t.co/ByOnG7clR6
「火車の誕生 (兆・応・禁・呪の民俗誌)Birth of Kasha」(勝田 至) https://t.co/xDq5lsUNCA

8 1 0 0 OA 史籍集覧

「新公方ヲ討申スヘキ企アリト風聞区々ナリケレハ此以後江州ノ御住居叶カタク君臣危キヲ踏テ如何有ント日ヲ送ラル」(『続応仁後記』) https://t.co/rKaS3INur7

8 0 0 0 OA 史籍集覧

『朝倉始末記』「佐々木左京大夫義賢入道承禎ヲ御頼アリケレトモ(中略)剰ヘ心替ノ旨仄聞エケル間義昭公力ヲ及ハセ給ハス若狭守護(略)」二次史料だけど六角が心替したという噂を聞いたから若狭に脱出したのであって六角が公然と裏切行為をしたとはなってない。 https://t.co/xqPrf9Koxw

22 0 0 0 OA 史籍集覧

『足利季世記』「先若狭国エ御下リ有リケル。人々ハ過半矢島ニ被留北国御安座ヲ被定ハ可召寄由仰ラル」二次史料だけど過半は矢島に留めたと書いてあった。 https://t.co/QH14nr3T95

2 0 0 0 OA 史料綜覧

『史料綜覧. 巻11』 https://t.co/qxXErMfGbM https://t.co/dwWOKZqYRk
NHKあさイチの特集関係で検索してたら見つけた論文「日本ではなぜ近代的避妊法が普及しないのか」 https://t.co/MMnmeZan2f

2 0 0 0 OA 広島県史

@motohikosato64 うーん、そうかもしれませんね。広島県史には「下総」と書いてあるんですけど。 https://t.co/5uBwcPYkx5
「真設印帝鑑図屏風と狩野甚丞について」(武田恒夫 1973)が鍵を握ってるぽいがネット公開されてないので不明。 https://t.co/hc07061Ehb
たとえば「中近世における韃靼人図の受容--個人蔵本の紹介と位置づけ」(並木誠士2008) に 「とくにこのうちの一点には,狩野宗秀・甚丞父子が使用していた「元秀印」が捺されている。」とある。 https://t.co/n4clFrN4Sv
「狩野宗秀に就いて」(持丸一夫1948)。絵画史の基礎知識ほぼ無い状態で読んでるから難しいけど、この論文が宗秀=元秀の学説の嚆矢なのかな?それ以前に「四季花鳥図屏風と筆者元秀に就いて(秋山光夫)」で論じられてるそうだが詳細不明。 https://t.co/cXzctrFO8q

2 0 0 0 OA 愛知県案内

あと「織田信長が其の臣の余語正勝に命じて再建せしめたと謂う」との説明が複数あって史実か否かはわからんけど、こっちは伝承があったと思われる。焼いたのは信長かもしれんが再建したのも信長(と語られてきたと思われ)。 https://t.co/slizQLo1hJ

1 0 0 0 OA 日本国宝全集

長興寺(豊田市)の織田信長像が話題になってたので国デジで調べてたら戦前の解説があった。「併し、實を言へば本像にはいくつかの疑問がある」云々と書いてある。 https://t.co/o3uxnYVutp
「太郎五郎男」は最所「太郎五郎の息子」という意味じゃないかと思ったんだけど、他の用例みると違うのかとも思う。ただ、石清水八幡宮の「安居会の頭役は年少の祠官が就いており、安居会の頭役を務めることが一種の通過儀礼であった」という指摘がある。 https://t.co/t4HK6sui0i
「飛鳥時代推古朝による天の北極及び暦数の獲得」という論文がこの問題を考えるのに非常に約に立つ。といっても専門的すぎて理解できるのはほんの一部だけど。「推古十一年春分節のポラリスと帝星と北斗七星」という図は一目瞭然で俺の求めてたものにドンピシャ。 https://t.co/MW23bM2pXj
ふるさと 日本の昔ばなし セレクションでさっきやってた「厚狭の寝太郎」に関する論文 https://t.co/s1AVLk7Lo6

2 0 0 0 OA 武将感状記

『武将感状記』 (日本名著文庫) / 淡庵子 編 (聚栄堂, 1921) のp142-143 https://t.co/lV1MYbK3sr
「日本人は研究不正を犯し易いのではないかという印象がある.だが,Fangらによれば,」「ドイツの研究不正,率は突出している印象だ.」 https://t.co/aqEVuOI5gs
小柳敦史氏の2013年の書評「レーフラーのバルト批判は興味深いものであるだけにこの文献の書誌情報が欠けていて一次文献にたどりつけなかったのはとりわけ残念であった。」 https://t.co/Bk9WRZgoU7

1 0 0 0 OA 日蓮宗高僧伝

とりあえず見つけた『日蓮宗高僧伝』の説明はツッコミどころ満載。ただしそういう伝承があったのだとしたら、これはこれで検討材料にはなると思われ。 https://t.co/m1Xwguytgy
というか序文も大伴旅人作説で定まってるわけじゃないんだな。 https://t.co/Zv65lLtGtB
「員外思故郷歌」が大伴旅人の歌だというのは現在の定説なのか?明治時代の本には山上憶良で「其の作なる事疑なきが如し」とまで書かれているけど。 https://t.co/IHpmSDwzpe

5 0 0 0 OA 本居宣長全集

TBSでは『「二ホン」は江戸時代になってからと言われており、江戸時代の国学者本居宣長が「国号考察」のなかで記載している。』とあるけど、「国号考察」が探しても見つからず「国号考」のことでは?で、ざっと見たけどそんなことは書いてないように思われる。 https://t.co/sFquyVZfIi
「史料至上主義 上野千鶴子」で検索すれば数は多くないけど、それなりにヒットする。上野輝将氏の論文もある。 https://t.co/vorFcsOADC
勘助非実在説を唱えたのは田中義成で、当然その根拠を提示した。一つは『甲陽軍鑑』の誤謬だが、田中が指摘した7点の誤謬のうち文句なく当たっているのは2点に過ぎず4点は「田中の方が誤りを犯していると言うべき」だという。 https://t.co/xva8ibJQ1E
『国史を貫く神社物語』(昭和18)「明治二年信長の勤皇をよみせられ、織田神社建立の勅命がありましたが、やがて建勲社と改められ、明治八年には別格官幣社に列せられました」 https://t.co/MByPxjAUpS
@motohikosato64 さようですか。自分が近年見たのですごかったのは「直江状研究諸説の修正と新知見」(宮本義己)ですね。今福・白峰等著名研究者を強烈に批判してます。俺は詳しくないんでどっちが妥当なのかわからないけど。 https://t.co/1Dfgtszs2R
『誤解を恐れずに言えば、「甲陽軍鑑考」はまだ三〇歳の研究者が書いた考証的な小論だったのである。』 https://t.co/xva8ibJQ1E 田中論文を擁護するならこういった形のが適切でしょうね。
『江戸時代. 上』 https://t.co/gZLGwPcZef 『江戸時代興隆期』 https://t.co/SWDdIvhHDV これらの説明も上の『近世世相史』と非常に似通っている。ということは原典となるものがあるのだろう。「島流し」説よりは合理的な説明だけど、これはこれで本当だろうかと思う。

1 0 0 0 OA 江戸時代

『江戸時代. 上』 https://t.co/gZLGwPcZef 『江戸時代興隆期』 https://t.co/SWDdIvhHDV これらの説明も上の『近世世相史』と非常に似通っている。ということは原典となるものがあるのだろう。「島流し」説よりは合理的な説明だけど、これはこれで本当だろうかと思う。

2 0 0 0 OA 近世世相史

『近世世相史』「之れを捕ふることを禁じられたれば府中には鳶鳥の類益々多きを加へ、人の害を為ければ元の鷹匠餌差の輩に命じて之を捕へ、八丈島・三宅島等に放たしめしこともありしといふ。」これに類似した説明が多い。 https://t.co/bTYqEccQVX
こんな論文あった。「鮭字考(人文・社会科学編)」(高久由美) 面白い。 https://t.co/DITLG0OZs4

2 0 0 0 OA 岡崎市史

(永禄9年)12月3日付誓願寺文書の写真あった。花押もくっきり(傳勧修寺家書状) https://t.co/W9WDceYjyd

お気に入り一覧(最新100件)

6 0 0 0 OA 海録

「因に云、九十九神といふ妖怪の畫巻あり、是も土佐家の百鬼夜行には猶及ばで、たらぬといふ心なる柳べし、これも亭の同じ時の談なりき、乙未(天保六年)六月九日來話、」 山崎美成『海録』国書刊行会、1915(https://t.co/dg4zSWp5Lq) https://t.co/B5GHuoFCoo

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6 3 2 2 OA 光秀 : 戯曲

RT @noimago: @Toshirou_m 明智氏が書いた戯曲『光秀』の序に「煕子」という名前が出てきますね。https://t.co/VoEivplYlx

フォロワー(87ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

6 3 2 2 OA 光秀 : 戯曲

RT @noimago: @Toshirou_m 明智氏が書いた戯曲『光秀』の序に「煕子」という名前が出てきますね。https://t.co/VoEivplYlx

9 8 5 0 OA 華族大系

RT @kishimoto_yoshi: 明治2(1869)年に華族制度が始まったときは427家。同17(1884)年に公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の爵位が定められた時には509家まで増加。昭和22(1947)年の制度廃止までに1011家の華族が誕生した。  この華族のルーツを…