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投稿一覧(最新100件)
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太平記
射日神話は羿(ゲイ)が10の太陽のうち9を射落としたという話。「異国の昔、尭の代に十の日出でたりしを、羿と云ひける者承つて、九つの日を射落せり。」(『太平記. 第2編』大町桂月 校訂 至誠堂書店) https://t.co/grdDdRJLrq
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越佐史料
直江兼続の母方のおじいちゃん、足利義秋(義昭)から書状もらってる。やるじゃん。 https://t.co/KzVTrKeIZZ
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伊州故事考
「正祇云」の「正祇」とは土田杜若のことだと判明。これにて一応一件落着でしょう。「杜若軒 正祇之別号也」(『伊州故事考. 巻之下』) https://t.co/AE9yZdj9bF
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史籍集覧
『承久兵乱記』に「こうきやう」とあるの確認。『群書類従』のだけど。 https://t.co/9dKphKSaTY
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群書類従
註に『承久軍物語』(『群書類従』)に「こうげう」とあり、「こうぎょう」と呼称されていた可能性は高いと。たしかに「あざりこうげう」とありますね。 https://t.co/YJ15JtGIEb
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球磨史話
ところで相良清兵衛頼兄は邸内に学堂を建てて、京都から鈴木寿庵という易学者を招き、子の頼安は学堂を改造して易堂と名付けたという話がある。これとこの遺構とは関係あるか無しか? https://t.co/dC2NyLGsbG
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書画大観
『書画大観. 解説 乾卷』(書画大観刊行会 編 大正5-6)に「梶原朝景筆書状」として掲載されてはいる。 https://t.co/IBLUcmFFLM
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満洲地誌
ただし、この『満洲地誌』、別の部分では「因テ之ニ姓ヲ賜ヒ愛親覚羅トナシ」と書いてる。出典は「清太祖ノ実録」っぽいが、実録にも「愛新覚羅」と書いてるはず。 https://t.co/lEKTzv6jcS
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満洲地誌
『満洲地誌』(参謀本部編纂課 編 明27)は、この部分「我朝姓ヲ得テ愛新覚羅氏ト曰フ」となってる。 https://t.co/8isSPdKWFs
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支那史研究
「清朝国号考」(市村瓚次郎 1909)「我朝得姓曰愛親覚羅氏。国語謂金曰愛新。可為金源同派之證」とあるが、『支那史研究』(昭14[1939])では「我朝得姓曰愛新覚羅氏。国語謂金曰愛新。可為金源同派之證」と修正されている。しかし引用文以外では「愛親覚羅」のまま。 https://t.co/fBoCDbjVlB
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奉天通志
なお『奉天通志』(〔昭和9〕1934)では「我朝得姓曰愛辛覚羅氏。国語謂金曰愛辛。可為金源同派之證」と、どちらも「愛辛」となっている。 https://t.co/NqUC1AnZPe
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新撰支那国史
「我朝姓ヲ得テ愛親覚羅氏ト曰フ、国語ニ金ヲ謂ヒ愛新ト曰フ、金源同派ノ證トナスヘシ」やはり「愛親」と「愛新」になってる。こっちは読み下しだから、「清朝国号考」がこれを引用したとは考えられず。 https://t.co/jgZAbKhHqg
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西鶴文撰集
なお『西鶴文撰集』(昭和7)の「人たらしの女」の注に「人たらし-人蕩し 淫賣」とあり。 https://t.co/NR2NLUDEPt
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近世日本国民史豊臣氏時代
そもそも「人たらし」を「人蕩し」と表記した例は「元来人蕩しの名人なる秀吉が」と『近世日本国民史豊臣氏時代. 甲篇』(徳富猪一郎 大正9-11)にあり。 https://t.co/oWrcjeDCvU
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雪窓夜話抄
これかな?『雪窓夜話抄. 巻上』「怨霊のたゝりの事」 https://t.co/oEXYSQ81sn
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近世実録全書
この話検索しても出典がなかなか見つからない。加賀騒動の浅尾の蛇責めは実際にあったことではない、実例は督姫がやったのみだ。なんて書いてるのがあったりする。 https://t.co/RUSKZZZPZi
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国史の建設と完成 : 学習指針
「御歴代天皇御追號讀法」「御歴代天皇の御追號讀法は今度次の如く決定した。この称え方は宮内省に於て御裁可を経た上決定されたもので、従来とかく不統一の讀法があつたものも、これによつて正規に一定したのである。(昭和十五年八月) https://t.co/qsNsmRUhVT
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国民学校私の国民科国史の研究授業
「即ち、第十八代はんぜい天皇、第二十三代けんぞう天皇、第四十三代げんめい天皇、第百九代めい正天皇であります。」(『国民学校私の国民科国史の研究授業』宮腰他一雄 昭和16) https://t.co/MJsJTLUMGM
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国史大辞典
「ゲンミヤウテンワウ 元明天皇」(『国史大辞典. 第2回(か-こ)』吉川弘文館 昭和3-4) https://t.co/8qBj01zyWZ
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現行法規解釈の鍵 : 法律の謎
ちなみに「斉明はメイ(漢音)で其後はミヤウ(呉音)となり更に孝明はメイとなつた」(『現行法規解釈の鍵 : 法律の謎』)とあるので、「元明げんみょう」ということですね。 https://t.co/nC8dvLngOe
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国史大辞典
「ゴミノヲテンワウ 後水尾天皇」(『国史大辞典. 第2回(か-こ)』吉川弘文館 昭和3-4) https://t.co/CheKisTHtG
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大日本神名辞書
「〇 ゴミノヲテンワウ」(『大日本神名辞書』明治神社誌料編纂所 大正1) https://t.co/oCKGwUaRYH
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現行法規解釈の鍵 : 法律の謎
「後水尾(第百七代) ゴミノヲ ゴミヅノヲではない」(『現行法規解釈の鍵 : 法律の謎』渡部万蔵 昭和12) https://t.co/nC8dvLngOe
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国民の日本史
「斎藤秀龍は素と山城山崎の油商の子であったが、父と妻を伴うて美濃に来り、長井藤左衛門に仕えて」みたいな解釈ばっかりで『山城守を生む』が無視されてたから釣られてしまった… https://t.co/SfwwuVVjHo
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新編会津風土記
「秋風道士桃林 印(契悟)」という文書があるから同一人物か。「桃林契悟」は諡号だと書いてるのあるけど、諡号なのか?という新たな疑問。 https://t.co/S3oqIUFxy5
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伊賀文化産業城落成記念全国博覧会誌
あと良くわからないのが『伊賀文化産業城落成記念全国博覧会誌』(三重県上野町 編 昭13)に「龍蛇傳説で有名な田代池」とあることで、蛇喰池じゃなくて???と謎。 https://t.co/yWWli4TzgZ
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源平盛衰記
『源平盛衰記』は「上総介忠清」と書いてるとこもあれば「上総守忠清」と書いてるとこもある(16コマと22コマ)。これは混同だろう。 https://t.co/1W5sPyRZb0
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史料通覧
ところが、平安時代の公家平信範の日記『兵範記』には「上総守」とある。同時代の一級史料。一か所だけなら誤記かもしれんが、何か所もそう書いてある。 https://t.co/MnC8uvH5kH
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猿飛佐助 : 真田三勇士
「拙者は猿飛佐助幸吉と申すものでござる」(『猿飛佐助 : 真田三勇士』大正6)忍者が「ござる」を使ってるのはざらにある。ただし忍者だけがというわけでは無さそうではある。 https://t.co/tWP3L2pZtl
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日本史蹟大系
馬入川はアイヌ語で「バニ(下流)」「ウングル(人)」で「下流の人」という意味だとか。さすがにこれはどうなんだろう?ただ「馬入川」の語源が本当に頼朝の故事なのかは考えて見る価値はあるだろう。 https://t.co/fQoLWfUxqg
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故実叢書
『故実叢書. 武家名目抄』(塙保己一)の「輿馬部」で(中略)とされてるところですね。馬に関する記事だから省略されてる。 https://t.co/5mzn5R1Ifm
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通俗日本全史
「師清立所(タチドコロ)に村上海賊の家督に供はり」(『後太平記』) https://t.co/TU4CeN9FVq
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絵本太閤記
もちろん『武功夜話』の方ではなく『絵本太閤記』の方。江戸中期の読本で当然信用度は低いけど、創作ではなく伝承を元にしてる部分も多いと思われ、全く役に立たないわけではないと思う。 https://t.co/PnHuMhpIXv
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古事類苑
「ゐなか 日本紀に田舍をよめり、田家も同じ、萬葉集に居中と書り、田居の中といふにや、又堰中といふにや」(倭訓栞) https://t.co/RBGuEYMZkM
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国語漢文中辞林
「渡邊数馬【名】鳥取藩士。靫負の子。父、同藩の河合又五郎に殺されたるにより、復讐を思ひて、姉婿荒木又右衛門と共に(略)」(『国語漢文中辞林』畠山健校閲)畠山健は日本の国文学者。 https://t.co/yS0qhYfW0M
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国文学発達史
「池田家の臣渡邊数馬が、荒木又右衛門の助太刀によつて、父の仇河合又五郎を討つた名高い事實に取材したもので」(『国文学発達史』永井一孝)永井一孝は日本の国文学者。 https://t.co/ofioste9UE
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日本人名辞典
「ミチノスケ 道之輔(武藤)水戸藩士。筑波山の挙に加り、元治元年九月鹿島に自殺す」(『日本人名辞典』芳賀矢一 大正3) https://t.co/5ui8MYRHLM
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近世殉国一人一首伝 : 4巻
武藤道之助も同年9月に鹿島で自殺したようだ。 https://t.co/g0Og8i93Wo
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水戸藩史料
西野孝太郎信吉(祀官)という人が元治元年(文久4年1864)に天狗党の乱で戦死しているが、同一人物だろうか?一本杉の仇討ちは同年1月の出来事。 https://t.co/IO5LMlTBmD
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少年藤田東湖伝
少年藤田東湖伝(中村時蔵 昭和9)に宮本佐一郎という東湖の剣術の師匠が出てくる。まあ小説だけど。なお仇討ちに関わることは一切でてこない。 https://t.co/dp7B8Fb3uK
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甲子雑録
『甲子雑録』に「宮本鹿之助」とある。書状の写しだと思われ「庫之助」の誤写の可能性もあるけど、「太郎」を「之助」とはさすがに誤写しないだろう。 https://t.co/PCvA9XUZ44
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敵討
最初に見た『敵討』(平出鏗二郎)に宮本庫太郎は「僅に九歳(或は七歳ともいふ)」と書いてあって、それで興味を持ったわけだが。直木三十五の小説『針ヶ谷悲話』でも庫太郎七歳となってる。 https://t.co/icTj3Flgg5
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通俗仏教百科全書
『通俗仏教百科全書』(明23-24)は霊異記にあるとして「邪神の事」という記事を載せるが、教訓は「邪神に事(つかふ)る者は損ありて益なし」で、人の寿命は生まれた時から決まってると、『霊異記』が言ってないことを書いてる。 https://t.co/1mBejgRpRa
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日本紋章学
だが、これは『日本紋章学』(沼田頼輔 1926)の誤読であること、ほぼ疑いない。 https://t.co/6oMQMTMKbF
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神田の伝説
興味深いことに、平賀源内説が載ってる「神田の伝説」だが「神田川」という鰻屋は「土用丑の日は鰻屋の書入れ日であるのに此の日に限って店を休むことになつて居る」とある。 https://t.co/Pko84Vikd8
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麗斎叢書
「沢潟大夫直伝」とあるのも「沢潟大夫」は伊勢御師だけど、実は水野忠邦のことだと思われ、その他も同様で水野忠邦イジリを集めたものだと思われ。 https://t.co/opjz4Cw2Hg
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麗斎叢書
『麗斎叢書. 3』「前代未聞阿房鏡」も水野忠邦の風刺だと思われ。 https://t.co/T0mmTq3oUM
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続国訳漢文大成
『資治通鑑』ならNDLで見れますね。 https://t.co/yM7Gu0zMAS https://t.co/pUCqwccjEw
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訂正康煕字典
康煕字典に「唐會要云太宗時尼波維國獻菠薐菜」とある。(『訂正康煕字典. 10』) https://t.co/iwRw3R8OPa
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徳川実紀
と思ったけど、このエピソードは『徳川実紀』のものでは?『徳川実紀』のソースは「額波集・名将名言記」とある。 https://t.co/rdd5W2n0S0
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本草学論攷
白井光太郎博士は『本草学論攷』でも『武家深秘録』の当該部分に触れている。 https://t.co/w6MwpdKEy6
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日本博物学年表
日本博物学年表(1908) https://t.co/raNQX2VAtr
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本草啓蒙補遺
筑前福岡藩第10代藩主黒田斉清著の『本草啓蒙補遺』。「孔雀」とあるが、記事は「カラクン(七面鳥)」。孔雀の一種と考えてたようだ。 https://t.co/42NDYPcXx2
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雙解英和大辞典 再版
『雙解英和大辞典 再版』[明治25(1892)]には「Turkey 墨西哥國鶏(シチメンテウ)、土耳古鶏」とある。「墨西哥國=メキシコ」。また増えた! https://t.co/7MzFpcZvBb
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和訳英辞書
同じ『和訳英辞書』1869(明治2年)に「Guinea-hen,s. 七面鳥ノ類」とあったりする。Turkeyの訳はカラクンチョウなのに。なお「Guinea hen」の現代の意味は「(雌の)ホロホロチョウ」 https://t.co/MNpdRs5VQo
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和訳英辞書
『和訳英辞書』1869(明治2年)に「Turkey,s. 白露國鶏(カラクンテウ)」とあり。「白露國」はベラルーシか? https://t.co/4tTr7Ey4D4
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平等院鳳凰堂空間の荘厳と機能に関する総合的研究
住職というけれど、大学の非常勤講師もやっていて、科研費の補助金が交付されてる研究にも参加してるんですよね。 https://t.co/JQQAQLsOI1
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大日本地誌大系
村の東(萬願寺村の隣)に萬願寺という小名(小字)があって、村の西に東光寺という小名があると日野本郷の説明にあるのも、加西市のとは関係ないんだろうけど、少しおやっ?と思ってしまったり。 https://t.co/1jBVNR7EoP
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邦文日本外史
ところがですよ、さらに『邦文日本外史』というのを見たら「範頼、五萬騎を以て西門に向ひ」と、ここでも「西門」になってる。一体なんなの? https://t.co/jpvW9wCqTB
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訳文日本外史
なんじゃこれと思ったが、さらによく読めば、元の漢文が載ってて「範頼以五萬騎向東門」とある。やっぱ「東門」じゃん。もう大混乱。 https://t.co/ItYAVPVW4I
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訳文日本外史
ところが念のために他も見てみたら、『訳文日本外史』に「範頼、五萬騎を以て西門に向ひ」とあってびっくり。「東門」でなく「西門」になってる。 https://t.co/0gJCzCSrAB
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啓蒙日本外史
と思ったら、さらによく読めば驚くべきことが!最初に見たのが『啓蒙日本外史. 四』で、そこには「二月三日ヲ以テ一ノ谷ヲ攻ム、範頼五萬騎を以テ東門ニ向フ」とある。ところが https://t.co/f1vujiiRIs
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教訓お伽夜話
『教訓お伽夜話. 後編』だと「何とその亀の子を私(わし)に売つて呉れないか?」とある。 https://t.co/NQYNITwZ2U
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日本お伽噺集
こっちの『日本お伽噺集』には「その亀の子ををぢさんにくれないか」になってる。単に子供向けに漢字減らしてるだけかもしれないけど。 https://t.co/LHIKMGCZXf
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中世初期の「謀叛」と平治の乱
これか『中世初期の「謀叛」と平治の乱』「律令では天皇・朝廷への反逆とされていた「謀叛」は、承久の乱を経て中世初期にはどのような法概念に変わったのか。」俺の関心どんぴしゃの本だ。 https://t.co/fp1AigzYJv
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大日本仏教全書
『吾妻鏡』『北条九代記』以外での「謀曲」の使用例。『中尊寺経蔵文書』。 https://t.co/TmknYN375I
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徳川実紀
でも、『徳川実記』には「鹿四十三頭兎一頭」とか書かれてたりする。 https://t.co/D5ZFCQggHm
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宇治拾遺物語
『宇治拾遺物語』に「犬一疋」とあった。鎌倉時代の用例。 https://t.co/gwARsggygh
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神竜院梵舜日記
『神竜院梵舜日記』に「牛一疋」とあった。牛も「疋」か。 https://t.co/Tj5sEhwJ5n
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続史籍集覧
『武政䡄範』の書礼に「鹿一疋二疋之事」とあった。「兎一疋二疋之事」ともある。 https://t.co/kllnDDeILP
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山鹿素行集
『山鹿素行集. 第7卷』に「鮭魚一頭」とあるな。 https://t.co/JMADpiJ9uz
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一切経音義 : 100巻
『一切経音義』に「生魚一頭干魚五頭」とあった。 https://t.co/OwZ9lUt7RA https://t.co/6WsfC5Anpg
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大日本史料
建仁元年(1201)の史料に「牛一頭」とあった。 https://t.co/xFadDlhWbw
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大日本史料
貞和2年(1346)の史料に「御牛一頭」とあった。なお馬は「疋」 https://t.co/eg87pfVrDB
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四天王剿盗異録 : 源家勲績
『四天王剿盗異録 : 源家勲績. 巻之4』(滝沢馬琴)に「狼の子二頭(にひき)」とあるの見つけた。 https://t.co/XjdOnVsbA0 https://t.co/AnuLxevclr
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玉葉
国書刊行会の『玉葉』だと「云行家云義經[不]召取之間諸國衰弊人民滅亡歟」と「不」を補って「行家・義経を召し取らなければ」としてるけれども、「不」は余計ではなかろうか。 https://t.co/noOkaEXjoi
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日本霊異記
国デジのこれは意訳だな。「己が高徳を恃み賎形の沙弥を刑ちて、以て現に悪死を得し縁」が漢文の原文か。しかし原文は沙弥を打って2日後なのに8日後になってるのはなぜか? https://t.co/rTBK0ikASh
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憑依する悪霊--軍記物語の天狗と怨霊に関する試論
ただ2001年の論文に「長屋王の怨霊化を認める見解も、近年は有力となっている」とあるから、逆に言えばそれ以前は否定的見解が有力だったということか。 https://t.co/LdphK8d8z8
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古代日本の都城と木簡
@LWorkes 寺崎先生の主張の要旨は下に載ってます。長屋王家木簡による推定です。 https://t.co/Or8BLVo7Iy
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「ポスト構造主義」と歴史学--「従軍慰安婦」問題をめぐる上野千鶴子・吉見義明の論争を素材に
「不在史料」云々という話。上野・吉見論争的なやつですかね? https://t.co/vorFct6JRK
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「うはなり」「こなみ」の諸相(1):平安時代を中心に
弘徽殿女御らが光源氏の母の桐壺更衣にしたのが一種の「うはなり打ち」だという。弘徽殿女御は桐壺帝の第一皇子を産んでいる。北条政子は頼家の出産後に亀の前に「うはなり打ち」したという。このあたり似てる。 https://t.co/q0cqRjNgRU
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豊太閤と其家族
『豊太閤と其家族』の出典は『武徳編年集成』だと考えられ、8月22日の記事なんだから、「天正十八正月廿二日」は単純な誤植の可能性が高い。 https://t.co/kjCDfZIyHx
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豊太閤と其家族
朝日姫は駿府の瑞龍寺に生前しばしば参詣したので、秀吉が供養塔を建てたと。 https://t.co/kjCDfZIyHx
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「扇の的」考:――「とし五十ばかりなる男」の射殺をめぐって――
那須与一が扇の的を射た後に、舞をした平家方の男を射た話。義経の非情さとの解釈が主流だが、従来の解釈の問題点を指摘する論文。 https://t.co/28ck1ju1KQ
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源翁心昭と山林料〓
この論文は前に殺生石調べた時に見た。今見返したら海蔵寺と山梨の寺についても書いている。けれど「現在は臨済宗建長寺派に属しているが」といったように書いてて、問題には深入りしてない。 https://t.co/iNyvXhZ1QU
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蛇塚由来記 : 落城秘怨史
「妾(わらは)は此(こ)の山(やま)の麓(ふもと)に住(す)む猟師(きこり)の娘(むすめ)に御座(ござ)りまする。」とある。おわかりだろうか? https://t.co/w2tOpoWxo0
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豊臣時代史
『豊臣時代史』(田中義成)にもより具体的に書いてあるから、あるにはあるんだろう。一体どこに? https://t.co/KbGy8uQMPw
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史籍集覧
史籍集覧の『備前老人物語』、あと現代思潮新社の『備前老人物語 武功雑記 (古典文庫 57)』も見た。見落としてはいないと思うんだけどな。一体どこに? https://t.co/BU458RDNnp
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安土桃山時代史
『安土桃山時代史』(渡辺世祐)によれば、『備前老人物語』に秀吉が木下彌右衛門の子と書いてあるそうなんだけど、俺の知ってる『備前老人物語』では全然見つからない。 https://t.co/uIPRbYuRbC
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安土桃山時代史
しかし『通説は「鳥取城攻めは天正9年の1回だけ」』というけれど、渡辺世祐博士の『安土桃山時代史』(明治40)に普通に書いてある。少なくとも過去において「通説」だったのでは? https://t.co/MNT3jGbjAt
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陰徳太平記
何のことはない。『帝国地名大辞典』の記事の出典は『陰徳太平記』だった。天正8年に秀吉が鳥取城を攻めたというのは「通説」ではなかったかもしれないけれど、普通にあった説であったといえるでしょう。 https://t.co/UMqEkQIT11
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帝国地名大辞典
と考えて検索すれば、天正8年に秀吉が鳥取に進攻した説が存在することは簡単に見つかる。たとえば『帝国地名大辞典』(明35-36) https://t.co/VC9IeAsd5L
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禁苑史話
『禁苑史話』は「酒井の太鼓」を江戸時代からあった伝承としている感じ?歌舞伎狂言で許されたのは明治以降だけど、講釈はあったと言ってる感じ?よくわからないけど。 https://t.co/wZE1NDlT2f
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これは面白い旅の道づれ
『これは面白い旅の道づれ』(大正7)「此時に叩いた太鼓は、其後江戸城に残つたといふ事であります。味方ヶ原軍記の中、酒井の太鼓の一節…。」 https://t.co/OJP4dXAHLI
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史籍集覧
「今程江戸ニ御座候神保左京殿」「左京殿ノ御親父ヲハ長三郎殿ト申候先年大坂陣ノ時仙臺ノ正宗カ味方討ヲ仕リ長三郎殿討死ニテ候」『若州湯川彥右衛門覺書』 https://t.co/I14cbcZ138
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武家事紀
『大坂推察記』を参照したであろう山鹿素行の『武家事紀』に「政宗軍令ニ味方ニテモ崩レカヽルモノハ可討取、シカラサレハ友崩ニアフヘキ由カネテ申付置」云々とあり。 https://t.co/VYT94CVZGx
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良将達徳鈔
幕末に成立し明治に出版された『良将達徳鈔』が『推察記』を引用している。山鹿文庫のが「政宗耳ニ入味方ト知テ討㕝實正也」で、こっちは「政宗耳に入味方と知て討事實正也」だから全く同じ。 https://t.co/5FyT774bDS
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国書解題
そもそも『阪役叢話』がいつ成立したものなのかわからない。『国書解題』にも書いてない。 https://t.co/8NUK33Y2fc
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綜合国史研究
『綜合国史研究. 中卷』(栗田元次 昭11)に「寫本として傳つたものは大坂陣についても、一般的の記録や編書に見ゆるものを除いても、大坂陣物語、大坂御陣覚書…」と列挙する中に『大坂夏陣推察記』がある。 https://t.co/VaHRzMqzMu
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翻刻紹介 藤原山蔭関連寺社縁起二種--国立歴史民俗博物館蔵『久修園院縁起』・福岡県八女郡大光寺蔵『飛形山大光寺縁起』
「当寺を久修園院と額する事は、釈迦如来久遠成道の儀を表し、祇園を修むるの心也 」 と『久修園院縁起』に書いてある。 https://t.co/0nL3YwKTcd
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史徴墨宝
史徴墨宝考証に 日本と ふりかんじが あって https://t.co/fb9C0r70yW 、もっと はやいっぽい。 https://t.co/OCZuvp71Ab
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漢語・仏教語「人間(じんかん・にんげん)」が、「ひと」の意に用いられるようになった時期についての再考
@tonmanaangler https://t.co/RQwV0m1WlD この論文のようですね。残念ながらウェブでみられるわけではないですが。
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関ケ原
「捨伏(すてがまり)」が登場する、直木三十五の『関ヶ原』。https://t.co/KfBOjdAlml これは昭和7年に春陽堂から刊行された版だが、前年の昭和6年に早稲田大学から刊行されているようなので、できればそちらも確認したい。
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海録
「因に云、九十九神といふ妖怪の畫巻あり、是も土佐家の百鬼夜行には猶及ばで、たらぬといふ心なる柳べし、これも亭の同じ時の談なりき、乙未(天保六年)六月九日來話、」 山崎美成『海録』国書刊行会、1915(https://t.co/dg4zSWp5Lq) https://t.co/B5GHuoFCoo
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鎌倉後期・建武政権期の大覚寺統と大覚寺門跡 : 性円法親王を中心として
この「大覚寺の宮」は、後宇多天皇の子である性円法親王であるらしい(https://t.co/XBPxwcPG4d)。 性円は大覚寺門跡。つまり真言僧。 https://t.co/X1zzNInKD0
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