国家鮟鱇 (@tonmanaangler)

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2 1 0 0 OA 古文書時代鑑

『古文書時代鑑. 続編 下』(大正14-昭和2)に「細川忠興夫人明智氏自筆消息」。「署名のたは、たまを略せるなり」 https://t.co/p9ferHslUC

1 1 0 0 OA 西教史談

『西教史談』(大正15)に「玉子夫人」とあった。『国史教授に必要なる日本女性史』(昭和6)は単に知らなかっただけか。ただ当時はあまり周知されてなかった感じはする。 https://t.co/d3Dq7i6beo
『細川忠興夫人隠棲地由来記』(昭和11)に「玉子の方」とあった。 https://t.co/OLF8YvupYl
『歴史的に観たる日本女性』(昭和10)「細川忠興の妻は名を藤波といひ、明智光秀の三女であつた」これは何だ? https://t.co/eLyJEN31ZQ
『国史教授に必要なる日本女性史』(昭和6)には「日本名は知られてゐないので」って書いてあるんだけど、当時はわからなかったのか、この著者が知らなかっただけなのか? https://t.co/o2qHgaBA4v
@MasamichiMoz 扇は「中啓」という神拝扇だそうです。この体制で柏手が難しそうというのは普通にできると思うのでちょっとわかりません。 https://t.co/I7nKmt7XJ0
この大野晋説を言語学者の村山七郎氏が痛烈に批判した。「ある国語学者の語源探究--大野晋博士の語源説」(CiNii にリンクが無いけど検索すれば読める) https://t.co/Vl0gXOVv4W
「バビロン学会と古代学研究所 : 日本における古代オリエント学研究の黎明」(佐藤 進)。 https://t.co/jI3p0Q4pwD
「弁護士 原田敬吾とバビロン学会の設立」(森 征一) https://t.co/VQcWcZUo2a

2 1 0 0 OA 歴史以前

ちなみに当の原田敬吾氏本人が大正14年に「シュメール」と表記してる。 https://t.co/rulJ1IFLmN
なぜなら先に紹介した『シュメルバビロン社会史』(井上芳郎)のはしがきに「日本に於けるバビロン學の先駆者であり、バビロン學舎の創設者並に會長たりし故原田敬吾先生の學德を偲びて」と書いてあるから。 https://t.co/GZneCL5QsS

2 2 0 0 OA 大百科事典

『大百科事典』(平凡社 昭和7年)「シュメール」 https://t.co/kXlTqx3pKD
「日本における金瘡治療の展開 : 白朝散を中心に」 https://t.co/S70j2pY47q
「豊臣政権の番医--秀次事件における番医の連座とその動向」(宮本義己)見たいけどこれも図書館に無い… https://t.co/SFXHf82z6t

2 0 0 0 OA 日本基督教史

なお同じ山本秀煌氏の『日本基督教史. 上巻』(大正14 1925年)には「教名グラシアGraciaと称す、充るに伽羅奢の字を以てす」とこっちは「伽羅奢」と書いてあるわけだが。 https://t.co/kvDMunapUV
今検索したら「倭の女王国と部族国家との関係」という論文があった。「四種類があつてそれぞれ違つた性格を有する國である」とあり、それはわかるんだけど、それが一つの史料の中で同時に使用されてる実例が他にあるのかという俺の疑問を解消させる… https://t.co/NCyKHZcNu3

1 0 0 0 OA 勝間田町誌

『勝間田町誌. 正篇』(昭和2)に面白い記述。姿見橋という史跡は以前は後鳥羽上皇の遺蹟となってたが、「近頃考古学者が頻りに勝田荘-今の勝間田町-御通過は後醍醐帝であるという論が盛になってきて」当を得た考証だと思うので後醍醐帝に改め… https://t.co/ShjLkcY1hU
「すなわち当年の賄料に関しては、家康側に収納にあたっての煩が無く、収納分だけを得ることができるということであり、家康への秀吉の気遣いをみることができる。」(天正年間における家康への近江在京賄料について)著者は片山正彦氏。 https://t.co/ITlKmjw2Ui

1 0 0 0 OA 言継卿記

『言継卿記』に「清筑後息才鶴丸」とあるから男子の名前として「才鶴(丸)」があるな。 https://t.co/r3r1NnxuuO
「仏教における「食」(第3回国際日本学コンソーシアム)」(頼住光子)俺が前に見たのはこの論文じゃないけど、ここにも書いてある。 https://t.co/k6JIVk3cL8
「戦国大名と情報管理に関する研究」(小林健彦)「重ねて氏真は、永禄十年の十二月初旬頃家臣の遊雲斎永順を越府へ派遣し(中略)謙信はこれに対して要明寺を使僧として永順と共に駿府へ派遣する」云々。 https://t.co/HX5TXwe2eX

4 0 0 0 OA 大日本古文書

@buqimingri 『大日本古文書』にも「輝虎今川氏ニ使僧ヲ遣ス」とありますね。https://t.co/u7bbLVE3oZ

6 0 0 0 OA 武家事紀

『武家事紀』に収録されてるんだな。秀吉辞世の句の前。 https://t.co/tYe9Qmgm41

2 0 0 0 OA 筆のすさび

『筆のすさび』(大町桂月 著 明45)「地獄の鬼に逢ひたりといふ逸話、関八州古戦録に見ゆ」朝比奈弥太郎の話。 https://t.co/XRypGj2T25
平安時代の仏教説話集『地蔵菩薩霊験記』「日金山の地蔵の事」。ここでは地獄とされてるのは熱海で日金山の地蔵菩薩が山から下りて救うという話のようだけど。 https://t.co/X37SLLOIjR
この前の「火車の誕生」の論文で「二桝をつかひて」とか「二舛ヲ用者」は面白いと思った。 「米を買うとき大きな枡で買い、売るときは小さな枡で売る不正」のことだそうだ。 https://t.co/xDq5lsUNCA
アリノリさん紹介の 「小豆洗いの起源について : なぜ小豆を洗うのか」 https://t.co/ByOnG7clR6
「火車の誕生 (兆・応・禁・呪の民俗誌)Birth of Kasha」(勝田 至) https://t.co/xDq5lsUNCA

8 0 0 0 OA 史籍集覧

「新公方ヲ討申スヘキ企アリト風聞区々ナリケレハ此以後江州ノ御住居叶カタク君臣危キヲ踏テ如何有ント日ヲ送ラル」(『続応仁後記』) https://t.co/rKaS3INur7

7 0 0 0 OA 史籍集覧

『朝倉始末記』「佐々木左京大夫義賢入道承禎ヲ御頼アリケレトモ(中略)剰ヘ心替ノ旨仄聞エケル間義昭公力ヲ及ハセ給ハス若狭守護(略)」二次史料だけど六角が心替したという噂を聞いたから若狭に脱出したのであって六角が公然と裏切行為をしたと… https://t.co/hSg24G1y1i

16 0 0 0 OA 史籍集覧

『足利季世記』「先若狭国エ御下リ有リケル。人々ハ過半矢島ニ被留北国御安座ヲ被定ハ可召寄由仰ラル」二次史料だけど過半は矢島に留めたと書いてあった。 https://t.co/QH14nr3T95

2 0 0 0 OA 史料綜覧

『史料綜覧. 巻11』 https://t.co/qxXErMfGbM https://t.co/dwWOKZqYRk
NHKあさイチの特集関係で検索してたら見つけた論文「日本ではなぜ近代的避妊法が普及しないのか」 https://t.co/MMnmeZan2f

2 0 0 0 OA 広島県史

@motohikosato64 うーん、そうかもしれませんね。広島県史には「下総」と書いてあるんですけど。 https://t.co/5uBwcPYkx5
「真設印帝鑑図屏風と狩野甚丞について」(武田恒夫 1973)が鍵を握ってるぽいがネット公開されてないので不明。 https://t.co/hc07061Ehb
たとえば「中近世における韃靼人図の受容--個人蔵本の紹介と位置づけ」(並木誠士2008) に 「とくにこのうちの一点には,狩野宗秀・甚丞父子が使用していた「元秀印」が捺されている。」とある。 https://t.co/n4clFrN4Sv
「狩野宗秀に就いて」(持丸一夫1948)。絵画史の基礎知識ほぼ無い状態で読んでるから難しいけど、この論文が宗秀=元秀の学説の嚆矢なのかな?それ以前に「四季花鳥図屏風と筆者元秀に就いて(秋山光夫)」で論じられてるそうだが詳細不明。 https://t.co/cXzctrFO8q

2 0 0 0 OA 愛知県案内

あと「織田信長が其の臣の余語正勝に命じて再建せしめたと謂う」との説明が複数あって史実か否かはわからんけど、こっちは伝承があったと思われる。焼いたのは信長かもしれんが再建したのも信長(と語られてきたと思われ)。 https://t.co/slizQLo1hJ

1 0 0 0 OA 日本国宝全集

長興寺(豊田市)の織田信長像が話題になってたので国デジで調べてたら戦前の解説があった。「併し、實を言へば本像にはいくつかの疑問がある」云々と書いてある。 https://t.co/o3uxnYVutp
「太郎五郎男」は最所「太郎五郎の息子」という意味じゃないかと思ったんだけど、他の用例みると違うのかとも思う。ただ、石清水八幡宮の「安居会の頭役は年少の祠官が就いており、安居会の頭役を務めることが一種の通過儀礼であった」という指摘が… https://t.co/pcWWHOlyXT
「飛鳥時代推古朝による天の北極及び暦数の獲得」という論文がこの問題を考えるのに非常に約に立つ。といっても専門的すぎて理解できるのはほんの一部だけど。「推古十一年春分節のポラリスと帝星と北斗七星」という図は一目瞭然で俺の求めてたもの… https://t.co/a9N76mZYAC
ふるさと 日本の昔ばなし セレクションでさっきやってた「厚狭の寝太郎」に関する論文 https://t.co/s1AVLk7Lo6

2 0 0 0 OA 武将感状記

『武将感状記』 (日本名著文庫) / 淡庵子 編 (聚栄堂, 1921) のp142-143 https://t.co/lV1MYbK3sr
「日本人は研究不正を犯し易いのではないかという印象がある.だが,Fangらによれば,」「ドイツの研究不正,率は突出している印象だ.」 https://t.co/aqEVuOI5gs
小柳敦史氏の2013年の書評「レーフラーのバルト批判は興味深いものであるだけにこの文献の書誌情報が欠けていて一次文献にたどりつけなかったのはとりわけ残念であった。」 https://t.co/Bk9WRZgoU7

1 0 0 0 OA 日蓮宗高僧伝

とりあえず見つけた『日蓮宗高僧伝』の説明はツッコミどころ満載。ただしそういう伝承があったのだとしたら、これはこれで検討材料にはなると思われ。 https://t.co/m1Xwguytgy
というか序文も大伴旅人作説で定まってるわけじゃないんだな。 https://t.co/Zv65lLtGtB
「員外思故郷歌」が大伴旅人の歌だというのは現在の定説なのか?明治時代の本には山上憶良で「其の作なる事疑なきが如し」とまで書かれているけど。 https://t.co/IHpmSDwzpe

4 0 0 0 OA 本居宣長全集

TBSでは『「二ホン」は江戸時代になってからと言われており、江戸時代の国学者本居宣長が「国号考察」のなかで記載している。』とあるけど、「国号考察」が探しても見つからず「国号考」のことでは?で、ざっと見たけどそんなことは書いてないよ… https://t.co/WGToIPrAqb
「史料至上主義 上野千鶴子」で検索すれば数は多くないけど、それなりにヒットする。上野輝将氏の論文もある。 https://t.co/vorFcsOADC
勘助非実在説を唱えたのは田中義成で、当然その根拠を提示した。一つは『甲陽軍鑑』の誤謬だが、田中が指摘した7点の誤謬のうち文句なく当たっているのは2点に過ぎず4点は「田中の方が誤りを犯していると言うべき」だという。 https://t.co/xva8ibJQ1E
『国史を貫く神社物語』(昭和18)「明治二年信長の勤皇をよみせられ、織田神社建立の勅命がありましたが、やがて建勲社と改められ、明治八年には別格官幣社に列せられました」 https://t.co/MByPxjAUpS
@motohikosato64 さようですか。自分が近年見たのですごかったのは「直江状研究諸説の修正と新知見」(宮本義己)ですね。今福・白峰等著名研究者を強烈に批判してます。俺は詳しくないんでどっちが妥当なのかわからないけど。 https://t.co/1Dfgtszs2R
『誤解を恐れずに言えば、「甲陽軍鑑考」はまだ三〇歳の研究者が書いた考証的な小論だったのである。』 https://t.co/xva8ibJQ1E 田中論文を擁護するならこういった形のが適切でしょうね。
『江戸時代. 上』 https://t.co/gZLGwPcZef 『江戸時代興隆期』 https://t.co/SWDdIvhHDV これらの説明も上の『近世世相史』と非常に似通っている。ということは原典となるものがあるのだろう… https://t.co/tcRrfCwYe4

1 0 0 0 OA 江戸時代

『江戸時代. 上』 https://t.co/gZLGwPcZef 『江戸時代興隆期』 https://t.co/SWDdIvhHDV これらの説明も上の『近世世相史』と非常に似通っている。ということは原典となるものがあるのだろう… https://t.co/tcRrfCwYe4

2 0 0 0 OA 近世世相史

『近世世相史』「之れを捕ふることを禁じられたれば府中には鳶鳥の類益々多きを加へ、人の害を為ければ元の鷹匠餌差の輩に命じて之を捕へ、八丈島・三宅島等に放たしめしこともありしといふ。」これに類似した説明が多い。 https://t.co/bTYqEccQVX
こんな論文あった。「鮭字考(人文・社会科学編)」(高久由美) 面白い。 https://t.co/DITLG0OZs4

2 0 0 0 OA 岡崎市史

(永禄9年)12月3日付誓願寺文書の写真あった。花押もくっきり(傳勧修寺家書状) https://t.co/W9WDceYjyd

37 0 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

大窪藤五郎については『寛政譜』のこの情報が全てなのかな? https://t.co/eBkR6ML6vp
これとは別件でつい最近HG先生のナナメ読みの記事みて調べてたんだけど、「徳川和子の入内と藤堂高虎」という論文があって、これが気になるんですよね。このへん無知なんでまだ読み込めてないんだけど。 https://t.co/cHwv1IGNbF
平安時代の「うはなり打ち」についての論文。『宝物集』や『吾妻鏡』は同時代史料ではないけど。女性当人は処罰されないけど、関係者は全くお咎めがなかったわけではない感じ。 https://t.co/q0cqRk4jTU

3 0 0 0 OA 上杉謙信伝

@buqimingri 確かめたところ「逆心」でした。すいません。 https://t.co/CQHYxixrvS
@Toshirou_m 「広忠-頼忠」となっている系図は『岐阜県土岐郡妻木村史』に引用されてます。簡略化されてるのではないかと思いますが。『土岐氏主流累代史』の系図が筆者の渡辺俊典氏が考察したものという可能性はありますけど、だとし… https://t.co/ZNwslbaFVx

1 0 0 0 OA 九州視察報告

「薩摩隼人と士風」(重野安繹)。 https://t.co/r8CwvstPga
早稲田大学図書館蔵教林文庫『猿鹿懺悔物語』(翻刻)田嶋 一夫 「 織田信長の比叡山焼討を、比叡山に近いと思われる立場から描いた『猿鹿懺悔物語』について、教林文庫本(早稲田大学図書館蔵)を翻刻し、簡単に書誌を記したもの。」 https://t.co/MeJDQuBbMj
悪女には自害しないという特徴があるみたいだが淀殿は一般に自害とされてるな。非自害の伝記もあるんだろうか?ありそうな感じもするけど詳しくないので知らない。 https://t.co/GyoAoLjdH1
久野雅司氏の論文の注に参考文献として加藤彰彦氏の論文「織田信長の美濃侵攻・統一と足利義秋の上洛」が詳しいとある。ところが同論文では「信長の違約行為」としている。よくわからん。 https://t.co/uvds0bkgem
「宗教・文化研究所公開講座講演録要旨 頼政の射たモノ : 平家物語の内と外」という論文を見たら、まさに二つの説話が並立しているのは延慶本と覚一本だけだという。 https://t.co/dVPMXFJWNw

3 0 0 0 OA 大僧正天海

『大僧正天海』(須藤光暉)。当時は公開されてなかったと思うけど、今は公開されてるので確認すれば「奇説」と一刀両断してることがわかる。 https://t.co/EkUmM1YidK

1 0 0 0 OA 虚心文集

さらに言えば、鵯越が事実でないと「最近の研究」で考えられていることを戦前・戦中の人が知るはずもなく、歴史学者の黒板勝美は鵯越を肯定している。 https://t.co/90likvn1u7

2 0 0 0 OA 佐渡風土記

『佐渡風土記」高坂弾正渡海之事 https://t.co/ywUmJrYpgA

1 0 0 0 OA 蕗原拾葉

『甲鑑戰跡紀行』には「信玄公の新鎌倉を開かるの企ありしを誤て伝るならん」とあるけれど… https://t.co/iA4iiLZsnM
検索したら、俺の推理と同趣旨の、ただしより詳細な論文が去年発表されていた。『明智軍記』の光秀没年 https://t.co/7qXhLz7yaT

1 0 0 0 OA 蕗原拾葉

『蕗原拾葉. 第4輯』(昭10至昭15)『甲陽軍鑑末書』の「新鎌倉」についてしっかり書いてあった。 https://t.co/iA4iiLZsnM

25 0 0 0 OA 甲斐志料集成

永禄12年の小田原攻めのルートは「相模川を左にあてて、岡田・あつぎ・かね田・三田・つまたに陣取り給ひ」とあり、現在の相模川の西を通っている。 https://t.co/GcUbVKOCd2
要は「紀元前200年ごろ」というのはかつて弥生時代の始まりが「紀元前3世紀頃」とされていたことの名残だろう。なおこの説が受け入れられた理由の一つに「東胡の遼東への侵入」という史実との一致があったそうだ。 https://t.co/p20R470DGr
ただし似たような説はあった。大野晋氏のタミル語起源説で『日本語の起源 新版』に「そこに紀元前数百年の頃,南インドから稲作・金属器・機織という 当時の最先端を行く強力な文明を持つ人々が到来した。」と書いてあるそうだ。 https://t.co/b5dYB9TnsF

3 0 0 0 OA 玉葉

ふと思ったんだけど「多田行綱自山方寄、最前被落山手、云々」(『玉葉』)を行綱が山から山手(山よりの地)に下りてきたと誤読して、行綱が義経に変化していったなんてことは無いだろか? https://t.co/QcgCEZLzNg

32 0 0 0 OA 群書類従

さらにその元はこれだな。ただし「百万」は出てこない。いつどこで付加されたのかはわからない。 https://t.co/WwbwaQ9ueV
大谷吉継のエピの元は多分これだな。吉継・秀吉じゃなくて蒲生氏郷・稲葉一鉄だけど。 https://t.co/jheibrzryt

5 0 0 0 OA 直江兼続伝

『直江兼続伝』「第九章 兼續の逸事」 https://t.co/VNQkZtl5uU
『先哲叢談』「藤原惺窩」 https://t.co/cqGiJqvd6n

26 0 0 0 OA 常山紀談

「兼続惺窩先生に逢ひし事」『常山紀談』 https://t.co/F8rx0ilRTh

11 0 0 0 OA 和漢三才図会

「うきゝ」「まんほう」「楂魚」 https://t.co/BYwAPyMcg9 「そう たんぽぽのように」のAAみたいな

3 0 0 0 OA 尾張名所図会

『尾張名所図会』「惣五郎塚」 https://t.co/y5p6ET5mph 織田に攻められて云々はここにも書いてない。近代以降に独自研究的なもので加えられたのではないだろうか?

2 0 0 0 OA 尾張志

藪城の近くにあったとされてる安楽寺(城跡と説明するのもあるが誤解)は天文年間に兵火にあったと『尾張志』にある。 https://t.co/uOtdSEJWqM
この論文が少し詳しいな。『知多半島古代史像の追及・試論』 https://t.co/3121Vlu00R

1 0 0 0 OA 張州府志

『張州府志』の「藪城」に「在薮村花井惣五郎居此。今為田園。」とあった。 https://t.co/9JyM9d92WK

1 0 0 0 OA 張州府志

『張州府志』の「惣五郎塚」には城主だとも信秀に攻められたとも書いてなく、藪村の惣五郎が殺されて首が埋められたところとしか書いてない。 https://t.co/DzCeY5GKMM
血と膏(あぶら)で「膏血(こうけつ)」で「纐纈」と同音になるのは偶然か?なお血税一揆でも「血取」「油取」の流言があった。『廃藩置県と民衆』 https://t.co/NPnGYiDwIt

17 0 0 0 OA 和漢三才図会

駢拇(むつゆび)「按荘子云駢拇枝指是也。或手或足拇傍生如指者、赤子時可切去」 https://t.co/DwaphfNzV3

2 0 0 0 OA 弘法大師全集

『般若心経秘鍵』「于時弘仁九年春天下大疫爰帝皇自染黄金於筆端握紺紙於爪掌奉書寫般若心経一巻予範講読之選綴経旨之宗を未吐結願詞蘇生族于途夜変而日光赫赫是非愚身戒徳金輪御信力所為也」 https://t.co/oftJZrLzzO
文観が小野僧正と呼ばれるのは山科区小野の地名からか?東寺長者。また小野と東寺がつながる。気になってしょうがない。小野宮益仁というのは 崇光天皇のことかな? https://t.co/XtItvucm6K
「つくも髪」調べてたらすげートンデモ見つけた。 https://t.co/Nu6SW2nj7o 著者見たら、かの有名な木村鷹太郎だった。
@chika_kiseki @Toshirou_m すいません。『歴名土代』を直接見たのでなくて https://t.co/UiouCSpPmE を見ました。よく見れば「故在富卿子  実□」とありますね。
@Tdr_moeguti4065 @stage1997 「辱致」は用例から察するに「かたじけなく致」と読むのだと思います。 https://t.co/Q4cfPjmXFX
ただ、そもそも輪違紋に唐花が描かれてないという重要な指摘を加藤秀幸氏がしている。 武家肖像画の真の像主確定への諸問題(下) https://t.co/pUbWrqIbCQ

3 0 0 0 OA 集古十種

1800年頃成立の『集古十種』に輪違紋がはっきりと描かれてるから、加筆されたのならそれより前ということになるだろう。 https://t.co/KlRQAD0Iif
『日本史伝川柳狂句. 第17冊』(1944)に「髑髏盃」の文字あり https://t.co/5WqyaNgWP0 ただしこれは髑髏を酒肴にした盃(酒宴)という意味であろう

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CiNii 論文 -  新出史料「羽柴秀吉朱印状 水野忠重宛」「徳川家康自筆 慶長十六年伊勢国年貢皆済状」について https://t.co/1uM1Ltnj9Y #CiNii
CiNii 論文 -  慶長三年における大坂城下の改造をめぐって 〜『西笑和尚文案』所収史料を中心に〜 https://t.co/jHfzHSVI7U #CiNii
CiNii 論文 -  文禄・慶長期における宇喜多氏家臣団の構造 : 分限帳の分析から見る重臣層の負担 https://t.co/mkEz06WSZz #CiNii
CiNii 論文 -  慶長三年九月八日付田丸直昌知行目録(村山半八宛) https://t.co/3IZQDHkHbm #CiNii
CiNii 論文 -  慶長期の京都高瀬川開発に関する文書について : 山城国紀伊郡東九条村長谷川家資料から https://t.co/7auvDuIy8J #CiNii

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27 27 3 0 OA 偏類六書通 7巻

RT @NIJL_collectors: 「辞書にない文字」で「秀吉への想い」との解説が入る。 気になって『偏類六書通』https://t.co/Vuk3mN5Uzr を見ると、「豊」の「古文奇字」として同じ字があった。 https://t.co/p3VJCUQouE
@gutter_ballet_ こちらの論文によると細川政誠は、明応の政変後も文亀3年まで毎年のように近衛家へ年末年始の挨拶に訪れているそうで、註によると子息の誠久は明応2年2月1日に弥五郎、文亀3年7月23日に治部少輔、永正元年… https://t.co/XWdB115W6u
@gutter_ballet_ であれば、こちらの論文の史料に一色七郎、本郷与三郎と共に近衛家を訪れて遊興したという細川治部少輔も、政誠ではなさそう。一色式部少輔、本郷宮内少輔ら奉公衆の同僚のようで、これが永正年間に比定されている… https://t.co/nLEI6dxemE
RT @okjma: @yhkondo @SDResq ハ行音を唇音にするなど良くないとして、「新撰音韻之図」というのを作った人が17世紀末、元禄時代の京都にいました。 『蜆縮凉鼓集』という本に入っています。 ハ行は「変喉」として、ア行の隣に置いています。 https://t.…
RT @yougoha: で、この矛盾を「元常の養子」に変えることで世代的には矛盾を無くしたのが18世紀成立の「御家譜」だったようなのだけど、それで思い出したのがこの藤孝の出自の移り変わり詳細に示してるこの論文 CiNii 論文 - 細川幽斎の出自について https://t…
彦部国直が近衛政家の准后宣下の費用を全額負担したことから政家の娘を後室に迎えたとする、桐生彦部家の伝承に対して、近衛家側からの検証の参考になりそうな論文。近衛政家の人脈および経済基盤について論じられたもの。 https://t.co/B0kIvEqbkz
CiNii 論文 -  新出史料「羽柴秀吉朱印状 水野忠重宛」「徳川家康自筆 慶長十六年伊勢国年貢皆済状」について https://t.co/1uM1Ltnj9Y #CiNii
CiNii 論文 -  慶長三年における大坂城下の改造をめぐって 〜『西笑和尚文案』所収史料を中心に〜 https://t.co/jHfzHSVI7U #CiNii
CiNii 論文 -  文禄・慶長期における宇喜多氏家臣団の構造 : 分限帳の分析から見る重臣層の負担 https://t.co/mkEz06WSZz #CiNii
CiNii 論文 -  慶長三年九月八日付田丸直昌知行目録(村山半八宛) https://t.co/3IZQDHkHbm #CiNii
CiNii 論文 -  慶長期の京都高瀬川開発に関する文書について : 山城国紀伊郡東九条村長谷川家資料から https://t.co/7auvDuIy8J #CiNii