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西郷隆盛本人が、(不平士族が)『内乱を起こしそうなのを対外的軍事行動に振り向けて国を興す』と板垣退助宛の書簡で語っています。 板垣宛明治六年八月十七日付け書簡から引用します。 「内乱を冀ふ心を外に移して、国を興すの遠略は勿論、旧政府の機会を失し無事を計て、終に天下を失ふ所以の確証を取て論じ候処」 (↓で見られる大西郷全集第二巻の七五四~七五五頁で見られます) https://archive. ...
はい。 っていうか、西郷隆盛は「道義外交に基く平和的な使節」として自らが使節になろうとしたのだ、という毛利敏彦の主張は、ネットなどではいまだに支持者がいるようですが、いわゆる「トンデモ」としての扱いが一般的だと思いますよ。 西郷隆盛の書簡から引用します。 まず、板垣退助宛明治六年八月十四日付け書簡からの引用です。 『是非此処を以戦に持込不申候ては、迚も出来候丈けに無御座候 ...
>西郷隆盛の征韓論って、朝鮮半島を征服するって内容だったんですか? そうだったようですね。 旧薩摩藩士の有馬純雄(別名有馬藤太)がその回顧録「維新史の片鱗」(日本警察新聞社・1921年)の二六九頁で… 『若し西郷先生の主張通りに成って愈々海外に兵を出すと云うことに成れば文官側としては伊地知さんと私とが文官側で随行することと定められて居た。 「お前は占領した地方地方の事を捌いて ...
「榎木誠の情熱的読書のすすめ」というプログの「歴史を学ぶ面白さを再認識させられた吉村昭の対談集」にヒントになるような記載があります。 このプログによれば、有馬藤太という人物が、西郷隆盛に攘夷について質問し、書き残したとあります。このプログは写真が続き、かなり下の方にお目当ての記載があります。 http://enokidoblog.net/talk/2016/10/19183 関連箇 ...
ご指名頂きましたが、征韓論VS遣韓論については、毛利敏彦の“説”に対する田村貞雄などの批判をかなり後になって知って、“毛利敏彦の遣韓論って、こりゃトンデモだ”と判断して以降、ほとんど私の知識は成長しておりません。論争自体も、毛利敏彦は論文で反論しなくなり、新書などの一般人向けの本で自説を言い続けるだけのような状態になり、立ち消えになったように理解しています。(言い換えれば、毛利敏彦の主張は、他の学 ...
>なぜ西郷らはは朝鮮と国交正常化をしようと思ったんでしょうか? 江戸時代、朝鮮と日本の間には 外交関係はあった。(朝鮮通信使など…) 明治政府が、自分たちが正統な政府になった事を通告した(”大政一新通告”)ところ、その文章が、「皇」の字を日本の事の記述に使っている事などを理由に、受け取りを拒否した。 この朝鮮側の態度を無礼として、派兵する事を主張したのが征韓論です。征韓論に反 ...

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有馬藤太の回顧録『維新史の片鱗』に恐らくこの都城六勇士に関する件と思われる話が語られています(23〜25ページ)。>RT 「伏見の役所をのぞいて射撃を受けて逃げて来た」とありますので多分。 国会図書館デジタルコレクションでは30〜31コマあたり。 https://t.co/qzv8oQk0R5

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編集者: 笛吹岬
2020-08-09 08:22:35 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

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