日下和尚 (@osho184064)

投稿一覧(最新100件)

RT @machi82175302: 拙稿「慶応期後半の中央政局と薩摩藩―幕薩・薩長融和と薩英戦争を中心に」(『神田外語大学日本研究所紀要』15号)は「KUIS学術情報リポジトリ」で公開されました。 https://t.co/AMFvBExx7b
@sakura0915sou なお、加徳丸事件をネットで検索したところ、長谷川洋史「 新史料奥平壱岐「適薩俗記」と薩州商社(3)」という論文を見つけました。こちらは土持の調査報告書をベースにされているので、文久四年正月十二日説を採用されています。 ↓ https://t.co/ARNSrRvyAq

3 0 0 0 土佐史談

RT @oretatami: 松村巌のとさ史談68号「坂本龍馬」 近江屋の奥さんに取材してて「妻の談によれば、中岡は焚飯を食いたいというてこれを近江屋の妻に求め、近江屋の妻は為めに焚飯を拵えて進めたりと云う」に 奥様レシピ教えてください!の突撃したい。 https://t.co…
こちらの論文中の「表1『都下諸流試合姓名帳』(弘化4年4月)にみる練兵館門下生の他流試合数」に出てくる「近藤道場」って、試衛館の事だろうか。 https://t.co/GW8onVFRxK

52 0 0 0 OA 豊橋市史談

RT @oretatami: 豊橋の国学者羽多野敬雄の書簡に文久3年12月の以蔵の動向が出てくるんだ。 羽多野さんへ攘夷事件を語ったり新居の飯田武兵衛本陣に泊まったりしてる。 https://t.co/8xzDM9MkbO
RT @zasetsushirazu: 重田麻紀「毛利家家臣による知行地支配の基礎的考察」(『駿台史学』171、2021年)は、元治甲子戦争(禁門の変)の責任者として切腹した幕末期の当主・益田親施(益田右衛門介)が有名な、長州藩の永代家老・益田家について、家臣団や知行地をめぐる…
RT @zasetsushirazu: 笠谷和比古「幕末の「不平等条約」問題に関する一考察」(『大阪学院大学法学研究』47-1・2、2021年)によれば、「日米修好通商条約をはじめとする一連の国際条約は、その締結当初は決して不平等条約ではなかった。それが明治の時代に移行するなか…
RT @mitsuha001: 本間精一郎が気になり調べたら『越佐維新志士事略』という本を国デジで見つけた。大正十一年刊。 https://t.co/GCo7G2dOEn
RT @zasetsushirazu: 文久2年閏8月20日(1862年10月13日)、本間精一郎が死去。安政期に、幕臣の川路聖謨に仕えたことがある。笹部昌利「「人斬り」と幕末政治」(『鷹陵史学』31)曰く、「越後出身の浪人で、義挙を企て、土佐の吉村寅太郎とも親交」があった。岡…
RT @zasetsushirazu: 明治17年10月12日、川路高子が死去。幕末の幕臣・川路聖謨の妻で、聖謨が自殺した後、川路家当主になる孫の川路太郎が海外留学から戻るまで、家を守らなければならなかった。井上勲「史料紹介 川路高子『上総日記』解題」(『学習院大学史料館紀要』…
RT @zasetsushirazu: 昭和14年9月7日、渡辺蒿蔵(天野清三郎)が死去。吉田松陰の松下村塾門下生の、最後の生き残り。幕末期には奇兵隊にも加入した。海外留学して帰国した後、造船技術者として活躍。牛見真博「近代造船の先駆者・渡辺蒿蔵(下)」(『大島商船高等専門学校…
RT @zasetsushirazu: 元治元年7月20日(1864年8月21日)、平野国臣や古高俊太郎が死去。元治甲子戦争(禁門の変)の騒擾の中、六角獄で処刑。笹部昌利「幕末期公家の政治意識形成とその転回」(『仏教大学総合研究所紀要』8)は、三条実美が平野の論策に感銘し、影響…
RT @zasetsushirazu: 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)、武市瑞山(武市半平太)と岡田以蔵が死去。笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)は、武市ら「土佐勤王党による藩外交主導の状況」に対す…
RT @kokeshinookimon: たとえば、岩倉は慶應3年(孝明天皇崩御の翌年)においても幕府否定を明言してはおらず、幕府の存続を前提とした意見書を書いている(155コマ目冒頭)。 https://t.co/1cFbvW5aCI
RT @ronbuntter: こんな論文どうですか? 坂下門外の変以前の大橋訥庵と宇都宮藩 (2010年度萌芽的プロジェクト研究B6「後期水戸学史料研究会」 研究報告 水戸藩と幕末の政治情報)(田中 有美),2012 https://t.co/F1xrdaFtaN

1278 0 0 0 OA 明治天皇行幸年表

『明治天皇行幸年表』(明治天皇聖蹟保存会 編、大行堂、昭和8年)の96頁に記載がありました。(国会図書館デジタルコレクションでは56コマ) https://t.co/51Gmk4UMUP https://t.co/MChuhJINNR

15 0 0 0 OA 南洲翁逸話

RT @TatsuUwa: 家近良樹『西郷隆盛』でも参考にされてたこれ、面白い。鹿児島の各町村に調査委員を置いて、まだ存命だった古老からの聞き取りを収めたもの。鹿児島に銅像が出来たときに発行されたらしい。こういう仕事は本当に重要で、いい仕事されたと思う。 https://t.c…
RT @zasetsushirazu: 明治16年3月30日、幕末の山陵奉行だった戸田忠至が死去。外池昇「神武天皇陵御修復と戸田忠至「中元御祝義金三百疋」」(『成城大学共通教育論集』7、2014年)は、文久の修陵をめぐる戸田の悪評や、宇都宮藩家老の家督の身分から異例の大出世を遂…

10 0 0 0 OA 鉄舟言行録

RT @itaru_ohyama: 山岡鉄舟は武士道を「神・儒・仏、三道融和」だとしている。 https://t.co/ezTHVq6wBz 「鉄太郎、之を名付けて武士道と云ふ」 武士道という概念を提唱したのは俺だ! そうなんだけど、それって通俗道徳も中味は同じでしょ
RT @zasetsushirazu: 青山忠正「王政復古前後の政局と公議-新発田藩を事例に-」(『歴史学部論集』10、2020年)曰く、王政復古政変前後の政局では、「その他大勢」の在京諸大名勢力が京都政局の多数意見を形成し、政局の方向性を掣肘した。長州藩毛利家の官位復旧の問題…
RT @zasetsushirazu: 井上勲「幕末政治社会の形成」(『学習院大学史料館紀要』9)によれば、ペリー来航に際して福井藩の松平慶永(松平春嶽)らが主張した、オランダから要求拒絶の意志を米国に伝達してもらう方法は、自ら折衝の場を設けて逆に通信の関係が成立することを避け…

5 0 0 0 OA 維新の史蹟

RT @T_urade1987: @busyo3 こちらが詳しいです。豊後屋の本姓は辻井で写真まで掲載されていますね。友七は明治十六年没。宿帳も残っていたと書かれています。 https://t.co/77dRTGOxYV
RT @zasetsushirazu: 弘化3年12月13日(1847年1月29日)、箕作省吾が死去。『坤輿図識』などを編纂し、世界地理を紹介。吉田松陰らに影響を与えた。辻田右左男「箕作省吾「坤輿図識」-著者をめぐる1,2の問題-」(『奈良大学紀要』2)曰く、省吾の著作は幕末社…
RT @zasetsushirazu: 大正5年1月25日、佐々木権六(佐々木長淳)が死去。越前福井藩出身で、幕末期には鉄砲製造など軍事の分野で働き、明治期は養蚕技術者になった。長野栄俊「佐々木権六(長淳)に関する履歴・伝記史料の紹介」(『若越郷土研究』52-2)は、研究の少な…
RT @zasetsushirazu: 明治33年1月5日、秋月悌次郎が死去。幕末の会津藩出身で、文久3年8月18日政変の立役者の1人。明治期に熊本で教師となり、同僚の小泉八雲から敬愛された。中西達治「会津藩降伏と秋月悌次郎」(『金城学院大学論集 人文科学編』16-1)は、戊辰…
RT @zasetsushirazu: 慶応3年10月3日(1867年10月29日)、土佐藩が大政奉還を建白。井上勲「大政奉還運動の展開過程」(『学習院大学文学部研究年報』20)曰く、徳川慶喜は土佐藩論に、幕府から離反しつつある勢力を議院制に組み込み、「幕府もしくは徳川氏の政治…

4 0 0 0 OA 英雄を語る

RT @minato_i_: 久坂さんは昭和17年の『愛国詩文二千六百年』(https://t.co/U8IZkbHv1Q)に詩が載っていたり #頭山満 さんの『英雄を語る』(https://t.co/XnYBNZXq0O)にも出てきたりだったので #久坂玄瑞 の名は実は今より…
RT @minato_i_: 久坂さんは昭和17年の『愛国詩文二千六百年』(https://t.co/U8IZkbHv1Q)に詩が載っていたり #頭山満 さんの『英雄を語る』(https://t.co/XnYBNZXq0O)にも出てきたりだったので #久坂玄瑞 の名は実は今より…
RT @wadakogorou: 『松菊公遺芳集』とは、出石郡教育会編『維新史蹟但馬出石に隠れたる木戸松菊公遺芳集』(出石郡教育会 昭和7年)のことだと思います。 国デジで読むことができます! https://t.co/VrwzgQu32u

6 0 0 0 OA 木戸松菊先生

RT @wadakogorou: あ、内容は勿論これだけではありません。私が以前読んで個人的に気になった点を紹介したに過ぎません。蘇峰の講演を文字起こししたものでページ数も多くないので読みやすいと思います。 因みに国デジでも読めます。 https://t.co/zzT0EKi…

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

RT @mia66sa_ga: 一方で、長州侯については「直接会ったこともなく話たこともないが」と断りを入れつつも、「自国の藩士を統御できないのだから無理だろ」と辛辣です…( ̄∀︎ ̄;) それにしても斉彬公ってどこで見てもベタ褒めですよね。それだけ名君だったと言うことでしょう…
RT @nagisanoyuki: この前の桐野先生の講座でいまいち理解が及んでいなかった、幕末~明治初期~征韓論に至るまでの日朝関係。この論文を読んで、少し頭の中が整理できたかも。 明治初期日朝交渉における書契の問題 https://t.co/xHG210h9sT
RT @zasetsushirazu: 明治17年9月15日、安達清風が死去。幕末の鳥取藩出身で、京都留守居を務めた。桜田門外の変に参加した関鉄之介が逃亡中、頼って来た。横山俊一郎『泊園書院の明治維新』(清文同)第4章の元論文「安達清風の学術交流と開拓事業」(『関西大学東西学術…

4 0 0 0 OA 春岳遺稿

RT @nagisanoyuki: みなせさんのツイートを読んで思い出した、家臣達の様子が事細かにわかる春嶽公の筆によるこの漢文。慶應2年2月25日、家老の本多修理(復斎)の別荘で、春嶽公と公のお気に入りの家臣達が、思い思いに詩作したり、お酒を飲んだり、また談笑したりしている様…
RT @zasetsushirazu: 明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働き…
RT @zasetsushirazu: 明治29年8月5日、宮崎元立(宮崎蘇庵)が死去。小白藩医の家に生まれ、大村益次郎や伊東玄朴に師事した。日本で最初に市販された英和辞書『英和対訳袖珍辞書』の校訂者。三好彰「宮崎元立と英学」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』5、…
RT @Yoshisukekusaka: 南貞助さんの略歴を読んだのでメモ。 一 六歳 吉松塾に通学ス 一 十六歳 久坂氏ニ従(?)テ御所ニ戦ヒ又久坂氏ゟ敗戦報知ノ命ヲ受ケテ京師ヲ脱シ路上君公ニ報ス 伊藤博文履歴書 その他、南貞助略歴 https://t.co/leNsCZ…
RT @zasetsushirazu: 池田勇太「元田永孚における開国論への転換」(『異文化研究』11、2017年)は、「攘夷は和親との対で和戦の問題、開国は鎖国との対で国交・貿易の問題」と整理し、鎖国体制下での和親や開国を見据えた破約攘夷論などの外交態度があったことを前提に、…
RT @shibawankok2: 詳しくはこちらの論文を読んでみてください(^^) CiNii 論文 -  <論説>箱館戦争に荷担した10人のフランス人(人文科学編) https://t.co/qVEeiASimk #CiNii

21 0 0 0 OA 武士道

RT @hana76781232: ここでこんなことを解説面で述べたら笑われてしまうだけなんですけど、界隈外の皆さんに一応伝えておきますとですね。幕末武士の武士道を語るなら、文久生まれの明治っ子の新渡戸でなく、幕末大活躍志士の山岡鉄舟と勝阿波守が「武士道」について語っておりまし…
RT @zasetsushirazu: 明治42年5月24日、松平太郎が死去。箱館戦争の蝦夷島政権で、入札によって副総裁に選ばれた。濱口裕介「榎本武揚「共和国」言説に関する一考察」(『札幌大学女子短期大学部紀要』65)は、榎本らを共和国と呼ぶ根拠の1つが入札の実施とするが、実態…
RT @zasetsushirazu: 中川邦昭「知恩院・京都写真発祥の地-堀内信重の業績-」(『日本写真学会誌』67-2)は、慶応元年の堀与兵衛が京都における写真撮影の先駆者だという説を疑問視し、『越前藩幕末維新公用日記』(福井県郷土誌懇談会)の口絵写真などを手がかりに堀内信…
RT @QmHSxpgqThzrxfk: 信長と信勝の関係がなぜ破綻していったかをまとめた論文がPDF公開されてるのを見つけました。面白かったので投下します。要求される前提知識は麒麟見てれば補えます。 #麒麟がくる 村岡幹生「今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝…
RT @komusai06311: @draco_equus33 @ambujam10 @osho184064 https://t.co/GmPnLRKw8f よろしければこちらもどうぞ
RT @shibawankok2: 長州藩の藩政史料や関係史料に基づいて、西洋兵学者であり尊王攘夷派でもあった松島剛蔵の実像を解明することを研究目的とした論考。 CiNii 論文 -  松島剛蔵と洋学 : 長州藩洋学者が歩んだ尊王攘夷派への道 https://t.co/urK…
RT @yaduki_bm: 私は英語が壊滅的なのでありがたいことに研究者の方が訳してくれた記者の記述がこの論文で読めます https://t.co/MZ2uU2LzCC

2 0 0 0 OA 採襍録

@busyo3 @shibawankok2 ご教示ありがとうございます。 四総裁の件と共に『採襍録第二』(85〜86頁)に記載があります。 https://t.co/cf7dpQF1S9 (国立国会図書館デジタル53〜54コマ)
RT @wadakogorou: 内山京子「木戸孝允と明治初期の新聞界」は『日本歴史 』727 (吉川弘文館 2008年12月)所収です。 https://t.co/RlEUc031Uz
RT @zasetsushirazu: 松尾晋一「アヘン戦争情報と幕府対外政策」(『東アジア評論』11、2019年)によれば、老中・水野忠邦は長崎から入ってきたアヘン戦争情報のみに依拠して条件反射的に対応を行い、対馬などを経由して届いた情報が活用されなかった。また、幕閣内で情報…
RT @minzokunokai1: 国立国会図書館のデジタルで「山口史蹟概覧 皇政復古七十年記念」を見つけて、かぶりつきで読んでる。山口市役所発行 そうとう、面白い。各支藩のあった場所とか、諸隊会議所の場所とか まだ、あのころの記憶を持った人たちが生きている時代だからくわしい…
RT @machi82175302: 佐々木克『幕末政治と薩摩藩』を久々に拝読。薩長同盟に関しては、だいぶ私の見解と異なっている。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月)を参照下さい。https://t.co/q…
RT @zasetsushirazu: 明治3年9月8日(1870年10月2日)、青木研蔵が死去。長州藩の蘭方医で、藩内で初めて種痘を実施。兄・青木周弼の養子となった。森川潤「青木周蔵の渡独前の修学歴(3)萩城下における蘭学の修業時代」(『広島修大論集』54-1)曰く、「当代屈…

8 0 0 0 OA 維新史料綱要

RT @T_urade1987: 大体風説書だよりで、史料稿本を見てみても非当事者の伝聞・手記の類いだということが分かります。 https://t.co/BuBCOrtXVq
RT @zasetsushirazu: 明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」。その家…
RT @zasetsushirazu: 慶応元年6月24日(1865年8月15日)、喜多岡勇平が死去。幕末の福岡藩士で、黒田長溥に信任され、長州征伐や五卿移転問題の解決に奔走した。梶原良則「長州出兵をめぐる政治情況」(『史淵』129)は、喜多岡の周旋が薩長和解の端緒になったと指…
RT @zasetsushirazu: 文久2年7月12日(1862年8月7日)、大橋訥庵が死去。田中有美「坂下門外の変以前の大橋訥庵と宇都宮藩」(『立命館言語文化研究』23-3)は、坂下門外の変の首謀者で、過激な攘夷論者として知られる大橋が、討幕は志向せず、あくまで幕府の枠組…
RT @machi82175302: 遅ればせながら、史学雑誌「回顧と展望」を拝読。「長州藩処分問題と薩摩藩―幕府・越前藩関係を中心に」(神田外語大学紀要11号)を紹介いただいていた。以下で、ダウンロード可能です。https://t.co/wcj78NFn9Z
天野御民『維新前後名士叢談』に、 「和介(高杉)の暴を為すや始めの程は君(入江)知らざるものゝ如し稍々暫くすると君微笑し徐に曰く高杉サンエライオヒドフゴザイ舛ノト和介之を聞や逡巡して亡げ去る」 とありますが、これが原典と言えるのかな? https://t.co/AdOacWLr1F (7〜8コマ参照) https://t.co/ucV0kmH8zl

14 0 0 0 OA 幕府名士近藤勇

RT @hajime0083: 幕府名士近藤勇 - 国立国会図書館デジタルコレクション 明治30年発行の推しカプ同人誌を読んだ https://t.co/l21slaXcmE

22 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

@izayoi03 元治元年2月23日のようですね。 菊屋(現在の中村藤吉平等院店)で昼食をとったとあります。 https://t.co/YYJ8k09WSf

13 0 0 0 OA 伊藤博文公

RT @iga_iganao: @ambujam10 かわいいですよねー!国民新聞編の「伊藤博文公」P88にも同じ話が出てきます https://t.co/YV0QuyAVD0

38 0 0 0 OA 処世の大道

RT @hajime0083: [処世の大道 渋沢栄一 著]幕臣だった頃の渋沢栄一が近藤勇を褒めてる本はこれです…!!!!あと土方歳三ともちょっとお仕事している(一緒にピクニッ……護衛をしてお弁当を食べました)340コマ目からどうぞ https://t.co/9BwOW8EQW…
「江戸開城記念展覧会陳列目録」って国会図書館デジタルコレクションで見る事ができるんですね。 https://t.co/Fa58pZfQTe どんな書なのかが気になるし、どうしてこういう解説文になるのかも気になるところ。 https://t.co/26poYe1jYv
RT @machi82175302: 「ヘダ号の奇跡 日本とロシア 幕末交流秘」拝見。面白かった。ちなみに、拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 」(日本研究所主催講演会 要旨)は以下でダウンロード可能です!https://t.co/4aFWiVFA…
RT @zasetsushirazu: 本庄栄治郎「幕末の上海貿易」(『經濟論叢』46-5、1938年)は、経済史研究の先駆者による戦前の論文。文久期に幕府が上海に派遣した千歳丸と健順丸による貿易について、幕府自らが出貿易を試みた事例として重要で、海外見聞や大洋航海の経験という…

4 0 0 0 OA 防長回天史

RT @yaduki_bm: 私は軍事方面にてんで弱いんですが、講座で丁度会津のところをやっているので防長回天史読んだら母成峠で土佐と一緒に猿岩口の方に回ったのが梨羽隊で、隊長の梨羽時起は有地くんと兄弟で更に寺島家(テラチューのお兄ちゃん)とも縁戚だったと知ってネットワークの狭…
RT @T_urade1987: @busyo3 佐々木さんが上げた典拠は推測出来ます。徳川慶喜公伝二巻からでしょう。しかしその原典は不明です。 https://t.co/vs8Vqwo8Ub 金剛山に関しては所謂「義挙三策」の中にそのような記述が見られますが、これは文久元年の…

2 0 0 0 OA 徳川慶喜公伝

RT @T_urade1987: @busyo3 佐々木さんが上げた典拠は推測出来ます。徳川慶喜公伝二巻からでしょう。しかしその原典は不明です。 https://t.co/vs8Vqwo8Ub 金剛山に関しては所謂「義挙三策」の中にそのような記述が見られますが、これは文久元年の…
RT @zasetsushirazu: 明治4年10月8日(1871年11月20日)、安藤信正(信睦)が死去。井伊直弼の横死後、久世広周と共に幕政を切り盛り。坂下門外の変で襲撃された。菊地久「維新の変革と幕臣の系譜(4)」(『北大法学論集』31-2)曰く、「外交に関しては、歴代…
RT @minzokunokai1: 科研で詳細目録作っている→歴博資料目録6『平田篤胤関係資料』「平田篤胤関係目録」。科研の報告はこちら https://t.co/ONBZxgazSe

7 0 0 0 OA 幕末外交談

RT @lalan1858: @09Kumano 国立国会図書館デジタルコレクションから該当部分を探してきました。 読みにくいけれど、うまく見れるかしら? https://t.co/lsEVMG9eGH 水野が隠居を考えるきっかけの出来事です。
RT @zasetsushirazu: 安政6年10月6日(1859年10月31日)、三条実万(三条実美の父親)が死去。幕末の公家社会で影響力のあった人物。佐竹朋子「三条実万の思想形成について」(『京都女子大学大学院文学研究科研究紀要 史学編』4、2005年)は、実万の日記など…

105 0 0 0 OA 日本歴史文庫

RT @1059kanri: 「日本歴史文庫」の道家祖看記が読みやすいと思います https://t.co/1j8BLfY5xR
RT @zasetsushirazu: 落合延孝「水戸浪士と上州-森村新蔵「享和以来新聞記」より-」(『群馬大学社会情報学部研究論集』11)は、元治元年に、天狗党と呼ばれる水戸浪士たちが上州で行った軍用金調達は、「諸藩の統治能力が低下してきたことを証明する」と指摘。その動向に関…
RT @zasetsushirazu: 明治39年9月28日、佐々友房が死去。幕末の熊本出身で、西南戦争の際に熊本隊の1番小隊長として、西郷軍に与した。佐喜本愛「紫溟会における「人物養成」観について」(『飛梅論集』3、2003年)は、西南戦争後の佐々らが創設した政治結社・紫溟会…
RT @zasetsushirazu: 渡邊忠司「王政復古期の京都警固体制」(『鷹陵史学』40、2014年)は、慶応3年12月の王政復古で旧幕府の京都市中の治安維持組織が解体し、早急な対応を必要とした新政府の思惑と、「主君」を失った元与力・同心たちの求職意識が合致したことによる…
RT @T_urade1987: 奈良勝司さんの「人見・中川両苗と新撰組-幕末における二つの「郷士」集団-」、公開されていました。面白い論文です。是非一読願えれば。 https://t.co/sueJyFALkc
RT @bkmakoto: 「幕末狩野派展」で紹介される絵師のひとり冷泉為恭は、反幕府勢力に狙われ非業の最期を遂げた。評伝『冷泉為恭 : 為恭と願海の生涯』(逸木盛照/中外出版/大正14)が国会図書館デジコレに。 https://t.co/OFyURZhzQU 東郷隆「奸賊絵師…
RT @zasetsushirazu: 慶応3年7月29日(1867年8月28日)、中岡慎太郎らが土佐藩の白川邸に居を定めた。ここが、陸援隊の屯所とされる。笹川尚紀「土佐藩白川邸・尾張藩吉田邸にまつわる覚書」(『京都大学構内遺跡調査研究年報』2016年度)は、中岡が白川邸を使う…

3 0 0 0 OA 町田久成略伝

RT @yaduki_bm: 山尾にお金貸した話とか民部の略歴・逸話についてはこちらの翻刻をどうぞ https://t.co/jJHyuDdttt
RT @zasetsushirazu: 須賀忠芳「ストーリー化された歴史観光素材の功罪をめぐって-「幕末会津」をめぐる言説を中心に-」(『観光学研究』17、2018年)は、白虎隊像などの「定番化された「幕末会津」をめぐるストーリー」に関する問題点を、大河ドラマ『八重の桜』の話も…
RT @zasetsushirazu: 本庄栄治郎「幕末に於ける幕府有司の開國思想」(『經濟論叢』42-2、1936年)は、日米和親条約や通商条約など、重要な外交局面ごとの幕臣たちの意見を分析した戦前の研究成果。積極的・消極的の違いはあれども、幕臣たちの多くは早い時期から開国論…
RT @zasetsushirazu: 『史学雑誌』の「回顧と展望」号が出たらしい。自分の関心ある分野で、前年にどんな研究書や論文が出ていたか概観する上で有用。ちなみに、古い号はネットに公開されているものもある。 CiNii 論文 -  二 幕末・維新期(近現代,日本,二〇一…
RT @zasetsushirazu: 濱口裕介「榎本武揚「共和国」言説に関する一考察」(『札幌大学女子短期大学部紀要』65、2018年)は、歴史家たちの榎本武揚政権への言動を紹介。例えば、日本とは別の「共和国」が北海道に存在していたと認めたら、北方領土問題で日本に不利になると…

10 0 0 0 OA 関西巡回記

RT @nagisanoyuki: 前もつぶやいたんですが、村田氏寿の関西巡回記は、彼の観察眼の鋭さや当時の武士の旅行の様子を知ることが出来る、とても興味深い内容だと思います。 https://t.co/ZUczbJ8JFz
RT @T_urade1987: 武市半平太は畿内五箇所を以て天領となし、攘夷の命令を下す計画を粟田宮に建白しようとしていた。ところが村井修理少進はそれを性急すぎると止めようとした。これに武市は憤った、というように読めますがいかがでしょうか。小原もまた最終的には武市を諭した。…
RT @machi82175302: 拙稿「慶応元年中央政局における薩摩藩の動向―将軍進発と条約勅許を中心に-」(『神田外語大学日本研究所紀要』10号、2018.3)がリポジトリで公開されました。ダウンロードも可能です。よろしければ、ご覧ください。https://t.co/e1…
RT @zasetsushirazu: 昭和20年4月19日、歴史家の原平三が死去。戦死である。文部省維新史料編纂官を務めた人物。生前に単著は出なかったが、死後に論文集『幕末洋学史の研究』と『天誅組挙兵始末考』が、新人物往来社から刊行された。下記は、横山伊徳氏による前者の論文集…

13 0 0 0 OA 七年史

RT @T_urade1987: 『七年史』には面白い史料が引用されていますね。清河八郎の仙台藩、あるいは会津藩士宛てと推測される書簡など、とても興味深い。久光の大原勅使との東下を当初清河は快く思っていなかったこと、「関東にては会津奮起致すべくとも思い候」と考えていたことなどが…
RT @kouteipengin14: これですね!> RT CiNii 論文 -  平岡円四郎の「慶喜公言行私記」について--安政4年の将軍継嗣問題と慶喜神話をめぐる一史料 https://t.co/CSjcqVhWoL #CiNii

4 0 0 0 OA 北潜日抄

RT @siturakutei: @machi82175302 町田様、いきなり何ですが、私としては安井息軒の『北潜日抄 巻二』のこの記述(https://t.co/AbdK2WjpX0)がどうにも気になるのですが・・・。
RT @T_urade1987: これは確かにそうで、真木和泉は文久の改革に始まる「公武御一和」に同調しているんですよね。久光らの朝廷への政治参与こそが公武合体だと。また同時に一橋慶喜、松平春嶽の将軍後見職、政事総裁職への就任を高く評価しています。これが文久三年三月のことです。…
RT @zasetsushirazu: 慶応4年3月15日(1868年4月7日)、日露交渉などを担当した幕臣・川路聖謨が自刃。藤實久美子・渋谷葉子「『上総日記』翻刻-付 川路聖謨・高子史料目録-」(『学習院大学史料館紀要』13、2005年)は、聖謨の妻・高子の日記を翻刻。同日記…

22 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

RT @T_urade1987: https://t.co/zvNP07L81O 一応ソースの呈示を。もうこの時点で藩の枠組みに頼らない兵卒のコントロールはさされていたとすら思える程の記述です。「以上ノ客兵ハ其藩主ノ命ニハ非スト云」ですからね。

7 0 0 0 OA 史籍雑纂

RT @yaduki_bm: 世子奉勅東下日記(著・兼重譲蔵) 11/14 「昨夜土老侯より、近侍の士四人を使して(略)、今朝小南五郎右衛門、本山只一郎、小南延次郎来たり道ふ、昨夜政之助の一言、帰って侯に聞す、侯大に不平なり、因て近侍の四人共、君辱れは臣死すの義あるを以て、邸に…

50 0 0 0 OA 維新風雲回顧録

RT @yaduki_bm: @osho184064 https://t.co/UPS04ecAaY 田中光顕が山地以外の3人の名前出してるのでもしかしたらここから…? でも3人以外は合ってるんですよね…
RT @rekinavi: 【史実】先ほど紹介した、坂本龍馬の新説に関する記事に出てきた、町田明広氏(神田外語大学准教授)の論文「慶応期政局における薩摩藩の動向 : 薩長同盟を中心として」は、KUIS学術リポジトリでpdf(72p)が公開されています。興味深い論述されています。…
RT @zasetsushirazu: 明治36年2月21日、市来四郎が死去。幕末の薩摩藩士で、明治期は島津家の修史事業に尽力。また、西郷隆盛と互いに批判し合っていた。大久保利謙「王政復古史観と旧藩史観・藩閥史観」(『法政史学』12、1959年)は、市来が奔走して史談会を創設さ…
RT @machi82175302: 拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月予定)。幕末期の黒田清隆を、ここまで扱った論文を知らない。https://t.co/qtxOT4vv0S
RT @komusai06311: https://t.co/krLP0mI307 長州蘭学者、海軍の研究はあまり知らないなあ…というかあるのやね。

お気に入り一覧(最新100件)

拙稿「慶応期後半の中央政局と薩摩藩―幕薩・薩長融和と薩英戦争を中心に」(『神田外語大学日本研究所紀要』15号)は「KUIS学術情報リポジトリ」で公開されました。 https://t.co/AMFvBExx7b
芳野金陵の門人録。伊庭八郎、金陵と繋がりは有名かもしれませんがはっきり文久二年に門下生になっていたんですね。しかし三郎とは誰か。 https://t.co/7PobufAbyx

52 0 0 0 OA 豊橋市史談

豊橋の国学者羽多野敬雄の書簡に文久3年12月の以蔵の動向が出てくるんだ。 羽多野さんへ攘夷事件を語ったり新居の飯田武兵衛本陣に泊まったりしてる。 https://t.co/8xzDM9MkbO
ではなく、水でもなく、お茶。 こういう論文を読むのである。 https://t.co/wM5KaVqp4R

10 0 0 0 OA 鉄舟言行録

山岡鉄舟は武士道を「神・儒・仏、三道融和」だとしている。 https://t.co/ezTHVq6wBz 「鉄太郎、之を名付けて武士道と云ふ」 武士道という概念を提唱したのは俺だ! そうなんだけど、それって通俗道徳も中味は同じでしょ

8 0 0 0 OA 会津藩庁記録

@busyo3 不正確ですが「小倉役人ゟ申出候書付之写」『会津藩庁記録』には「今泉与太郎」の名前が記されています。新家・前木が六月から同行、今泉や関口泰次郎らは中山忠光に挨拶の後、七月下向で分かれていたのでは。 https://t.co/WAS9pwdw4U
昭和55年11月2日、山川菊栄が死去。『覚書 幕末の水戸藩』や『武家の女性』などの著書がある。幕末の水戸藩士・青山延寿の孫。林葉子「〈生活〉と〈歴史〉を結ぶもの」(『同志社法学』50-4)は、「社会史」という観点から山川を再評価。 https://t.co/XVM2SCWjE9

26 0 0 0 OA 蒼海全集

副島種臣『蒼海全集』のtxt化 材料はhttps://t.co/afszU92pe6から。グーグルドライブのocr機能を使い、オンラインocrのhttps://t.co/Ox2k4O1FRxで補う。1週間で全20万字ほど。多少荒いので校正しつつ自分用のデータとしては使っていける。 https://t.co/xR5cDGHMeW
CiNii 論文 -  萩藩南苑医学校飜訳掛青木周弼 http://t.co/wBMXyZCxpU #CiNii 和田文景さんのこと検索してたら、面白い論文あったのでメモ

16 0 0 0 OA 忠正公勤王事蹟

忠正公勤王事蹟 http://t.co/1C8o3HdfTN 「若し昨夜の返答をせぬと、人を殺し兼ねん奴等だが」 酔っぱらった周布さんのところに晋作等が意見書もって凸してきた逸話。小幡さんの高杉と愉快な仲間たちに対する認識が割とヒドイ

5 0 0 0 OA 防長回天史

防長回天史. 第5篇上(第7) http://t.co/q4EiPGhnW4 慶応元年、使節の井原さんがいきなり引き換えした件。なんでかなと思ってたんですけど、防長回天史で結構長々フォローされてました。井原さんの個人的な判断ではないじゃないかと。
池田敬正「慶応3年7月22日付 中岡慎太郎書状について」(『社会問題研究』第26巻第1・2・3・4号、1976年)は、『坂本龍馬』(中公新書、1965年)の著者が、中岡慎太郎の書簡の内容を分析。 http://t.co/vOnEPw9YBJ
http://t.co/YYBfTvp0mi すみ子さんの談話の次は松田夫人の談話なんですけど、 妻木先生、なんでわざわざ明治九年に木戸さんが思い出しムカツキした記事を参照してんですか……日記中の松田さん登場箇所数え上げた挙句、なんでそこ拾うんですか……

8 0 0 0 OA 防長回天史

防長回天史. 第4篇上(第5) http://t.co/bdIL48BK1h 加州の勤王派の動きとか。 「遂に桂小五郎吉田稔麿杉山松助等と交り勤王の議論を聞き之を世子に致す世子既に勤王に志あり」 若い藩主とか世子は結構尊王派に同情的な印象有るんですが、どうなんでしょう
@3103_ky そういえば末松さんは「維新風雲録」でも中九と来島の爺さま疑ってました。そして来島の爺さまの事はフォローするけど、中九はフォローしてあげない伊藤公…… http://t.co/tjDQHXqZ9H

8 0 0 0 OA 防長回天史

防長回天史. 第4篇上(第5) http://t.co/hMiw4hOnUp 前回の大河でやってた周布さんの野山獄凸に関する吉富さんの談話 末松さんが中村・来島陰謀説を唱えてますけど、これ普通に周布さんの自爆じゃ……
杉井六郎「徳富蘇峰の吉田松陰観-民友社の明治維新観について-」(『キリスト教社会問題研究』14-15、1969年)という論文が、下記リンクを通じて読める。徳富蘇峰および蘇峰の著書『吉田松陰』を刊行した民友社をめぐる思想を考察する。 http://t.co/nBD7JjiNyY

8 0 0 0 OA 防長回天史

防長回天史. 第4篇上(第5) http://t.co/KBBtrKRSGW 五月に清水清太郎さんと中村九郎さんが因州やら備前に行ってた。 桂さんが手紙で「中村さんの件どうなった?」みたいな事書いてたけど、これのことかな

10 0 0 0 OA 楫取家文書

聞俊コンビが帰国した時期確認したら、6/24くらいに姫島着いてて、7/1に長崎のグラバーさんからその辺の消息が伝えられ、以降長崎の役所がバタバタし始めてるんですが……大河で小田村さんがバタバタしてたの、あれひょっとして7月ですか? http://t.co/N6FCgN2uXP

10 0 0 0 OA 楫取家文書

この辺読んでると禁門の変後、なんで幕府が四ヶ国艦隊止められなかったのか、不思議でしょうがない http://t.co/cZbdqLrXL4 「先是諸夷馬関襲来の説切迫なりしに幕府にて之を抑留襲来の期を寛ふし且約して曰長州の処置は来る七月八日を期限に決定し各国に謝す可し」

10 0 0 0 OA 楫取家文書

補足。グラバーさんが親切にオールコックさんの計画および英国が戦争する際の戦術を教えてくれたのは5/5。軍艦20隻用意してるよ!と小田村さんが知ったのは5/9です。時系列的に本編のアレはなくなないです。 http://t.co/KzxHHexprJ
松浦玲「安政開港期のオランダ」(『国際文化論集』2、桃山学院大学、1990年)という論文がある。勝海舟の研究者として著名な松浦氏が、海舟も参加した長崎海軍伝習を切り口に、幕末のオランダを考察。松浦氏の海舟研究の副産物と言える論文。 http://t.co/8Cw4iuBkcN

8 0 0 0 OA 防長回天史

@3103_ky あ、リンクしくじってました。すみません…… http://t.co/wZs4Z3dKkk 217頁(113コマ)に周布さんが襲われたと勘違いして、格子を蹴破って飛び出す吉富さんがいます。
青山忠正「通商条約の勅許と天皇」(『佛教大学 歴史学部論集』5、2015年)は、「十九世紀半ばの事象をとらえるのに、近代の言葉で考えてはいけない」という観点から、長州毛利家の破約攘夷論が隆盛の時代を分析。講演録に補訂を加えたもの。 http://t.co/fptnx1BGG0

8 0 0 0 OA 防長回天史

@3103_ky 防長回天史の要領確認したら、乃美さんは別に時山さんに門番お願いしてないな。乃美さんの手記だと杉山さん死亡の直後に「直八はちょっと行方知れず候」とあるから、一緒にいること前提=一緒に門番かと思ってた…… http://t.co/mJpYAst791
私が学生の頃、幕末好きな友人の間では、家近良樹『幕末政治と倒幕運動』(吉川弘文館、1995年)を読むことが流行していた。一会桑を主眼に据えた、刺激に満ちた内容だったからだ。下記リンクで、松尾正人氏による書評を読むことができる。 http://t.co/bcnRJ6SIZ7

8 0 0 0 OA 木戸孝允文書

@3103_ky 池田屋後の大阪藩邸(北条、宍戸)宛書簡 http://t.co/FB93FkAbD3 「因藩少々企も有之候得ども何分にも疎漏に渉り終に古高被縛候処(中略)一二之有志之極秘と唱居候事も忽諸浪士名々極秘々々と申漫に相唱候様なる事に而(以下略)」
「史料紹介 木村喜毅(芥舟)宛岩瀬忠震書簡」(『近代日本研究』5、慶応義塾福澤研究センター、1988年)。 http://t.co/C2ileXiNx2 安政2年〜文久元年までの書簡を紹介している。

4 0 0 0 OA 防長回天史

↓長州側の回答(防長回天史 第5篇中) http://t.co/RXhkowXUeD 山縣さんと小田村さんはさすがに言い逃れできないとして、死亡扱いと脱走扱いの差は何ですかね、年齢?
佐々木克先生の幕末本読んで気になった箇所 大久保利通文書. 第1 http://t.co/wEYTOAZVEn 慶応元年八月四日 大久保→新納・町田宛 「熊本先鋒之願有天下之笑与相成候」 続き読んだら熊本が先鋒を願い出て久留米が随従しただけで、それ以外の四国九州は様子見だそうで
※周布さんは別件でも酔って剣舞を待ってます。 [参考] 偉人周布政之助翁伝 http://t.co/Y7JgGveiy4 「翁(=周布さん)は興に乗じ起つて剣舞を始めたが、危険を感じたので、丹下は敦之助と共に之を止めた」 #薩長鴻門の会 #自分用メモ

18 0 0 0 OA 伊藤公直話

伊藤公直話 http://t.co/mJQTjPJlVZ 伊藤さんの述懐だと、畳踊りしたのは堀さん。 あと宍戸さんもフリーダム。 「その者(堀さん)一人であつたか、他にもをつたか、予はその席にゐなかつたから知らぬが」 #薩長鴻門の会 #自分用メモ
大久保利通文書. 第1 http://t.co/8jn3WOrPEE 文久二年六月十一日 周布→大久保書簡 10日に楽しく飲んだせいか、頗る上機嫌な周布さんのお手紙。 12日に数奇屋河岸船宿万年屋で船用意して待ってるとかなんとか #薩長鴻門の会 #自分用メモ
大久保利通日記 http://t.co/44W88pnSw8 6/7 江戸到着 6/8 久光公、越前候を訪ねる 6/10 長藩周布・小幡に「面会種々論談後及俗興候」 6/12 周布・宍戸・小幡・他一人と会う「頗る及暴論」 #薩長鴻門の会 #自分用メモ
佐野真由子「幕臣筒井政憲における徳川の外交ー米国総領事出府問題への対応を中心に」『日本研究』39、2009年 日露和親条約交渉において、プチャーチンらロシア側に高く評価された筒井政憲を分析した研究論文。 http://t.co/dnTk38B4NT

3 0 0 0 OA 小淞遺稿

小淞遺稿. 上 http://t.co/RxcdIy5m9T  入京憶木戸松菊 病中書札猶呼我 今日京華不見君 遥向東山先洒涙 青松蔭下是新墳

4 0 0 0 OA 木戸孝允文書

元の書簡 http://t.co/lBbP3BiJZP 幕府側の動静知らないから、なんでここで大政奉還について周布さんと話あうのかピンとこなかったんですけど、 慶喜公が大政委任の勅もらおうと頑張ってるあたりのはなしと、微妙にリンクしてたのか・・・

16 0 0 0 OA 忠正公勤王事蹟

梅田雲浜さんが水戸と佐賀に同時にケンカ売ってる件 http://t.co/crwJs1hOnE 「閑叟公は詩文も出来て、虚名が高いが、矢張東湖同様書生であつて、実際の役には立たぬ」

16 0 0 0 OA 忠正公勤王事蹟

@3103_ky この本すごく読みやすい。中原先生は話うまいなあ。 http://t.co/NTpv4qQtci 清風先生は中村九郎さんのこと「小人」呼ばわりしていたそうですけど、各方面から「吏才はあるけど性格がちょっと」みたいなコメントされる中村さん・・・

16 0 0 0 OA 忠正公勤王事蹟

忠正公勤王事蹟(401コマ~) http://t.co/7QTfiDSXlm 版籍奉還と清風―周布―木戸ラインについて。 木戸さんが殿を説得する際、大江広元を持ち出してたんですけど、あれの元ネタは清風先生だそうです。

1 0 0 0 OA 吉田松陰全集

http://t.co/PYa2e8XBxV 「北条源蔵 浦賀日記」吉田松陰全集で北条源蔵さんの名前が出て来るとは思いもよりませんでした。 北条源蔵-井上壮太郎のコンビで浦賀行ってたのは知っていたんですけど、松陰先生も一緒に行動してたのか……

3 0 0 0 OA 防長回天史

http://t.co/dll4xmYt8H 文久2年8月23日 「世子小幡彦七をして勅使の旅館に候せしめ又波多野金吾に命し壮士二十四人を率ゐ途次の護衛に供せんとす」 大原三位の護衛しようとしたけど断られたので、少し離れて藤沢まで付いて行ったそうです #エンカウント金吾

11 0 0 0 OA 東行先生遺文

「ぼくがかんがえた最強の藩政府」妄想。行政府参政に麻田=周布さん、地政府参政に桂さんをおいてみている(周布・桂への信頼っぷりがわかる…)。奥平数馬さんや北条瀬兵衛さん、来原さんの名前もある。「長雅」っていうのは長井さんでいいのかな? http://t.co/KE552ppnH7

11 0 0 0 OA 東行先生遺文

「一日見ず、三日の如し」手紙。隣の(これ翌日なんだっけ?)手紙でも「今長陽亭にいますので!きてください!長陽亭って例の麻田翁(周布さん)がよくいらっしゃる酒楼です!きてくださいね!って書いてる。大河でも桂さんはよ来てくれるといいね…  http://t.co/CdTOBok41Y

11 0 0 0 OA 東行先生遺文

どうもいろいろ考えてると昨日の放送への呪詛を吐いてしまいそうなので気分転換に近デジで「東行先生遺文」読んでたら五十年祭記念会の委員長が木戸さんとこの孝正くんだった http://t.co/wUtRWsk6cL

6 0 0 0 OA 防長回天史

http://t.co/DfxtgWNjCx 攘夷決行日当日 能登の如きは砲撃は意なきなりと因て南木工之助を光明寺に遣はし軽挙事を誤るべからざるを告ぐ光明寺党固より急激の徒多し之れを聞き嘆じて曰く我徒逡巡決せず敵艦の遁去を致さば遺憾之れより甚しきはなしと営中騒然命を奉ずるの色なし

11 0 0 0 OA 木戸孝允文書

@3103_ky 結局、俊輔はそのままイギリス行っちゃうんですけど、この件に関する桂さんの反応 http://t.co/6erJAtvJrh 「春輔も同行に誘れ候よし彼は兎も角も一度は帰京致し候都合に而(中略)帰京致し候得は一大益に相成候事も折角有之候折柄に而随分残念に存候」

6 0 0 0 OA 防長回天史

http://t.co/Sx7Mkw7vrj 「春輔事は京都において内々同盟決心仕候事に付同行に仕り候訳は彼人より別けて嘆願書御覧被下候」by聞多 伊藤公直話読む限りでは、俊輔がイギリス行決めたのは山尾等と合流した後なんですよねぇ

6 0 0 0 OA 防長回天史

http://t.co/CMkQMGYdbB 攘夷決行記事より先に長州ファイブが出航した…… 周布政之助伝でも参照されていた、佐藤貞次郎さんの手記の手記とファイブの書簡が掲載されてました。 周布さん「長州に於て一の器械を求度思ふなり其器械と云ふは人の器械なり」

6 0 0 0 OA 防長回天史

防長回天史. 第3篇下 http://t.co/NZ4j4BkekX P.115 四月二十日の夕方、将軍に召し出されて色々話した後、晩餐を分けてもらって「世子其懇情に感ず」と。安定の人たらし将軍。 メニューが「向皿は煮染?小芋夕顔乾瓢舟焼玉子、香の物は奈良漬瓜なり」わりと庶民的

6 0 0 0 OA 防長回天史

防長回天史. 第3篇下 http://t.co/pSpUQYfkYf 折角なので攘夷決行あたりを読もうと思ってザーッと見てたら、四月中旬に世子から報奨として銀五枚もらってました。 そういえば、波多野さんは世子と一緒に国元戻ったのかな? 小倉処分のとき下関だし #エンカウント金吾
[維新史料編纂会]講演速記録. 第12 http://t.co/Nex6BHLTo6 ・会津若松城開城の顛末(80) ・薩長連合の発端に就いて(86) ・戊辰北越従軍談(89) #近デジ未読リスト #自分用目次
[維新史料編纂会]講演速記録. 第11 http://t.co/XKnzi83nfa ・故井上候追懐談(32) ・高杉晋作の事跡(39) ・岩倉使節団(尾崎三良談)(51) #近デジ未読リスト #自分用目次
[維新史料編纂会]講演速記録. 第10 http://t.co/6xXv8abnbz ・七卿落の事実談(尾崎三良談)  第四回(3) #近デジ未読リスト #自分用目次
[維新史料編纂会]講演速記録. 第8 http://t.co/AqGTDo73r9 ・七卿落の事実談(尾崎三良)  第一回(111)  第二回(127)  第一回(143) ・御即位礼と大嘗祭(156) #近デジ未読リスト #自分用目次
[維新史料編纂会]講演速記録. 第6 http://t.co/EE6Rodls2h ・朝陽丸の件(3) ・↑の関連(12) ・明治維新時の朝鮮論(18) ・松平定信入閣当時の事情(24) #近デジ未読リスト #自分用目次
[維新史料編纂会]講演速記録. 第1-5輯 http://t.co/84F1mAJX2u 第五輯 ・馬関で薩州商船撃沈事件続き(156) ・池田徳太郎事歴(164) ・8.18政変前後の事情(170) ・松平定信対外意見一班(176) #近デジ未読リスト #自分用目次
[維新史料編纂会]講演速記録. 第1-5輯 http://t.co/84F1mAJX2u 第四輯 ・久光/斉彬関係(128) ・戊辰戦争時の米沢藩(137) ・丙辰丸成破の盟約(141) #近デジ未読リスト #自分用目次
[維新史料編纂会]講演速記録. 第1-5輯 http://t.co/84F1mAJX2u 第三輯 ・水戸烈公蒙譴(85) ・橋本左内の事跡(101) ・長井雅楽の事跡(108) #近デジ未読リスト #自分用目次
[維新史料編纂会]講演速記録. 第1-5輯 http://t.co/84F1mAJX2u 第二輯 ・生麦事件賠償金の顛末(45) ・馬関で薩州商船撃沈事件(55) ・元治元年武田耕雲斎さん越前出張(60) ・鳥羽伏見の時の肥後藩(71)
[維新史料編纂会]講演速記録. 第1-5輯 http://t.co/84F1mAJX2u 第一輯 ・維新時の芸藩(2) ・慶喜さん一橋家相続(19) ・生麦事件(29) #近デジ未読リスト #自分用目次
@3103_ky というか、第七回のは別冊になってた 桑名藩京都所司代中の事情 http://t.co/NJ82tTpoQ5
[維新史料編纂会]講演速記録 http://t.co/2pxAcfw0m2 ・幕末の外交(2) ・慶応三年の渋沢さん(25) ・但馬一挙(44) ・板垣さんの維新前後(62) ・↑の続き(81) ・桑名開城(98) ・桑名藩in京都(119) #近デジ未読リスト #自分用目次
さっきのは慶応元年に桂さんを広島へ正使として送る・送らないの話なんですが、この件に関する敬親公のスタンス http://t.co/IVovzSzFIg 殿「小五郎は天幕に対して少しも後ろ暗いことはない。もし嫌疑があるのであれば、どこまでも弁解させたい」
今しがた、近デジのURLの最後にコマ数付け加えると、該当ページにリンクしてくれるという事実を知りました。 http://t.co/oAlv5eAnFl
@3103_ky http://t.co/bGmrKJT3Ui カラーなので逆に読みづらいですけど、こっちはは欠けていませんでした。
高名像伝 : 近世遺勲. 地 http://t.co/0BETgIILRy 似せる気がまったく感じられない挿絵がついているんですが、 37コマのやけにくつろいだ大久保さんに衝撃を受けました。 #近デジ未読リスト

14 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

ヤジの日記(慶応二年五月~)も載ってました。 維新日乗纂輯. 第2 http://t.co/z2d4ulZ5NY 真木直人日記 P.1(9コマ) 宮部鼎造水野丹後手記 P.395(212コマ) 品川弥次郎日記 P.461(246コマ) #近デジ未読リスト

17 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

久坂の日記(文久二~三)が近デジで読めたので覚書 維新日乗纂輯. 第1 http://t.co/QyIAy82mxB 白石正一郎日記 P.1~(9コマ) 江月斎日乗 P.475~(255コマ) #近デジ未読リスト
元治甲子禁門事変実歴談 http://t.co/rGftJy37lG 禁門の時、桂さんと一緒に行動していた馬屋原二郎の談話とか、色々。 木戸さんは自序以外にも禁門の変について書き残していた模様。 #近デジ未読リスト
@3103_ky 近世日本国民史読んだら、大橋先生のところで安藤要撃を計画してたのが11月くらいっぽいです。あと椋木八太郎が捕縛されていた。楢崎弥八さん、実はヤバい案件にかかわってたのか…… 近世日本国民史 第46 http://t.co/1xUi6OAjx9

12 0 0 0 OA 維新元勲十傑論

探していた奴じゃないんですが 維新元勲十傑論 http://t.co/1ITiHX3Ype 「副嶋種臣君常ニ相評シテ曰ク廣澤兵助君ハ信ニ天下ノ智者ナリ」 副島さんが語るんだ…… #近デジ未読リスト

4 0 0 0 OA 維新功臣伝

維新功臣伝 http://t.co/MQGQPXCIHd 以前、近デジで見かけた、廣澤さんが薩摩の人に怖がられていたと書かれた本探していたら別の本を見つけたので覚書。 山田市がいて伊藤井上山縣がいないのは存命中だからかな #近デジ未読リスト
今からちょうど151年前、元治1年4月20日、元治国是によって大政委任がなされた。拙稿「元治国是の確立と大政委任」(『神田外語​大学 日本研究所紀要 第6号』)でこの間の政情を分析しています。こちらからご覧ください。 https://t.co/gqPH4sClA7

8 0 0 0 OA 史籍雑纂

史籍雑纂. 苐五 http://t.co/XU051VuFRX 平井さんの日記は五の方。緒言読むとこっちも盛りだくさんだなぁ。 #近デジ未読リスト

7 0 0 0 OA 史籍雑纂

史籍雑纂. 苐四 http://t.co/cX3emi8yYy 平井収二郎さんの日記探してたら、兼重譲蔵さんの「世子奉勅東下記」見つけた!(゚∀゚) #近デジ未読リスト

8 0 0 0 OA 防長回天史

防長回天史 第4編下 http://t.co/kuAz1tHhak (P.62: 近デジ36コマ) 元治元年八月六日 禁門の変の後、周布さんと清水清太郎さんが岩国に行って周旋お願いするあたり。 周布政之助伝に載っていた吉富さんの談話が収録されていました。この談話は卑怯。
類聚伝記大日本史. 第十卷 http://t.co/i1f1VuoXfI 弥九郎先生の伝記としては、こちらの方が分かりやすかったです。ただ… 127コマ 「弥九郎の海上見廻のとき、小五郎が従つて櫓を漕いで行き、しくじつて海中に落ちたこともあり、品川台場の際はこんな話も伝はる。」
大坪武門 著 幕末偉人斎藤弥九郎伝 http://t.co/bcyPW6GtX6 前流し読みしたのを、もう一度流し読みしてみたら色々発見がありました。 渡辺昇さんの談話が一番面白いです。井上勝にたかる渡辺さんとか。
井伊直弼の研究として比較的新しいものに、母利美和『幕末維新の個性6 井伊直弼』(吉川弘文館、2006年)がある。その書評を、東京大学史料編纂所の箱石大氏が書いていて、下記リンクで読める(『史窓』64に掲載されたもの)。 http://t.co/4CFgJWWp3M
拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 (日本研究所主催講演会 要旨) 」(『平成25年度神田外語大学日本研​究所紀要』6号)は、以下からご覧いただけます。 https://t.co/4aFWiVFAYN
拙稿「禁門の変における薩摩藩の動向について」(『平成25年度神田外語大学第26号紀要』)は、以下からご覧いただけます。 https://t.co/AwuVqmRmZq
拙稿「元治国是の確立と大政委任」(『平成25年度神田外語大学日本研​究所紀要』6号)は、以下からご覧いただけます。 https://t.co/4ol2nCwT3Q
拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 (日本研究所主催講演会 要旨) 」(『平成25年度神田外語大学日本研​究所紀要』6号)は、以下からご覧いただけます。 https://t.co/4aFWiVXKcV
拙稿「元治国是の確立と大政委任」(『平成25年度神田外語大学日本研​究所紀要』6号)は、以下からご覧いただけます。 https://t.co/mvURmjJLBT
拙稿「禁門の変における薩摩藩の動向について」(『平成25年度神田外語大学第26号紀要』)は、以下からご覧いただけます。 https://t.co/AwuVqn9wdy

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