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↑ 上に出した系図は国会図書館デジコレ『尊卑分脈』からです https://t.co/mokwbym7ZO
返し いかばかり ひかりもみえじ はまちどり ふみしだきたるもしほ草には」 と後拾遺集編者との交流がみられ、何より通俊の兄通宗の実母は高階成順のむすめ https://t.co/ldfqm4NiMd であったことから、作者として康資王母を取り違えることは考えにくいと思われる。
藤原師尹の子済時(941-995)が右大将であったのは貞元から永祚(977-990)のころ。尊卑分脈で時代の重なる可能性のあるのは藤原福当麻呂の流れで遠江権守であった方https://t.co/u2yse5FFuOと陸奥守であった方https://t.co/W8e0zeFJpp。
摂津守丹波守太皇太后宮亮為頼 http://t.co/hr71U6WlJz 。41ページに出る弟為時は紫式部の父。為頼がなくなるのはwikipediaによると998(長徳四)年。具平親王(964-1009)は村上天皇の子。
後拾遺集撰者の藤原通俊(1047-1099) http://t.co/ldfqm54UaN は1084から1094年まで右大弁。
顕季の父甲斐攝津美の守隆経はここ http://t.co/3Pnu7AfKRy 。

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編集者: ドデカイラーメン
2021-01-25 22:07:31 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

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