- 著者
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菅 利恵
Suga Rie
- 出版者
- 三重大学人文学部文化学科
- 雑誌
- 人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
- 巻号頁・発行日
- vol.33, pp.31-45, 2016-03-31
18世紀のドイツ語圏において、愛国的な言説が強化されたのはプロイセンがヨーロッパ諸国と戦った七年戦争(1756-1763)がきっかけであったとされる。それから約30年前後、つまりナポレオン戦争とともに国民意識が明確に形を結び始めるまでの過渡的な期間は、おもに通俗哲学や文学を媒体に、新しい愛国の観念を意識化し言語化する試みが徐々に活発化した時代であった。従来の研究において、この時期の愛国の言説に対しては「自由主義的で非政治的」という評価が再三下されている。本稿はそのような評価を再検討しつつ、当時のパトリオティズムの特徴を明らかにしようとするものである。啓蒙時代の愛国をめぐる言説の政治性を確認しながら、自由主義的なものがどのようにあらわれていたのかを示し、さらに、そこに潜んでいた問題性について考察する。まず、18世紀後半の愛国的な言説の基盤を見るために、雑誌や各種の協会活動を母体とする当時の市民的な公共圏の発展に注目し、そこに展開した言説の政治的な意義を押さえる。その上で、過渡的なパトリオティズムを代表するものとして、トマス・アプトの愛国的論説と、ゲッティンゲンに活動拠点を置く文芸サークル「ゲッティンゲン・ハイン同盟」で紡がれた愛国的な詩、またC.F.D.シューバルトやヘルダーの愛国的な言説に光を当てる。それらの言説が、さまざまな形で「自由」への希求を表現していたことを具体的に見た上で、それらに表現された「自由」の観念に潜む問題性を明らかにする。