著者
菅 利恵 SUGA Rie
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.45-56, 2013-03-30

一八〇〇年前のドイツ語圏においては、ナポレオン戦争のために市民の政治的なアイデンティティ形成に転換期が訪れ、コスモポリタン的な啓蒙時代からナショナリズムの時代への移行が始まりつつあった。この過渡期にあって、シラーは時代状況をどのように見据え、これにどう取り組もうとしたのだろうか。本論文は、『オルレアンの処女』と時代状況との関わりを探りながらこれを明らかにするものである。まず、私的な愛の描写を手がかりに、この作品に描かれた世界とこれが書かれた当時の時代状況との関係性を示す。啓蒙時代の言説空間においては、私的な愛が政治的な戦いの後楯として機能した。しかし『オルレアンの処女』では愛のそうした機能が失われ、政治的な情熱が「人間的なもの」として発露するための一つの重要な契機が失われている。そのような作品の構造は、コスモポリタニズムとナポレオン戦争のはざまで、戦うための理念を手にすることができない時代状況をすくいとっていると考えられる。次に、『オルレアンの処女』の筋書きを検討し、作者がこの作品世界を通して上述の時代状況にどのような省察を加えたのかを探る。この作品では、政治的な戦いが理念的な後楯を持たない状況が作り出された上で、「神との約束」というかたちで戦うための理念が人間社会の外から与えられている。そして筋の展開を通して、この理念を人間の社会に取り込むことの不可能性が浮き彫りにされている。さらに、主人公ジャンヌが神の後楯を失ってなお戦い続ける姿に、そのような不可能性を抱えたまま侵略への自らの怒りに向き合うしかない、という作者の現状認識を読み取ることができる。政治的な自己主張が必要な危機の時代にあるにもかかわらず、そのような自己主張の拠り所が決定的に失われているという現実を認識した上で、それでも可能な自己主張のかたちを模索する作者のあり方が、この作品には明らかにされている。
著者
菅 利恵 Suga Rie
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.31-45, 2016-03-31

18世紀のドイツ語圏において、愛国的な言説が強化されたのはプロイセンがヨーロッパ諸国と戦った七年戦争(1756-1763)がきっかけであったとされる。それから約30年前後、つまりナポレオン戦争とともに国民意識が明確に形を結び始めるまでの過渡的な期間は、おもに通俗哲学や文学を媒体に、新しい愛国の観念を意識化し言語化する試みが徐々に活発化した時代であった。従来の研究において、この時期の愛国の言説に対しては「自由主義的で非政治的」という評価が再三下されている。本稿はそのような評価を再検討しつつ、当時のパトリオティズムの特徴を明らかにしようとするものである。啓蒙時代の愛国をめぐる言説の政治性を確認しながら、自由主義的なものがどのようにあらわれていたのかを示し、さらに、そこに潜んでいた問題性について考察する。まず、18世紀後半の愛国的な言説の基盤を見るために、雑誌や各種の協会活動を母体とする当時の市民的な公共圏の発展に注目し、そこに展開した言説の政治的な意義を押さえる。その上で、過渡的なパトリオティズムを代表するものとして、トマス・アプトの愛国的論説と、ゲッティンゲンに活動拠点を置く文芸サークル「ゲッティンゲン・ハイン同盟」で紡がれた愛国的な詩、またC.F.D.シューバルトやヘルダーの愛国的な言説に光を当てる。それらの言説が、さまざまな形で「自由」への希求を表現していたことを具体的に見た上で、それらに表現された「自由」の観念に潜む問題性を明らかにする。
著者
菅 利恵 Suga Rie
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 = Bulletin of the Faculty of Humanities and Social Sciences,Department of Humanities (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.33, pp.31-45, 2016

18世紀のドイツ語圏において、愛国的な言説が強化されたのはプロイセンがヨーロッパ諸国と戦った七年戦争(1756-1763)がきっかけであったとされる。それから約30年前後、つまりナポレオン戦争とともに国民意識が明確に形を結び始めるまでの過渡的な期間は、おもに通俗哲学や文学を媒体に、新しい愛国の観念を意識化し言語化する試みが徐々に活発化した時代であった。従来の研究において、この時期の愛国の言説に対しては「自由主義的で非政治的」という評価が再三下されている。本稿はそのような評価を再検討しつつ、当時のパトリオティズムの特徴を明らかにしようとするものである。啓蒙時代の愛国をめぐる言説の政治性を確認しながら、自由主義的なものがどのようにあらわれていたのかを示し、さらに、そこに潜んでいた問題性について考察する。まず、18世紀後半の愛国的な言説の基盤を見るために、雑誌や各種の協会活動を母体とする当時の市民的な公共圏の発展に注目し、そこに展開した言説の政治的な意義を押さえる。その上で、過渡的なパトリオティズムを代表するものとして、トマス・アプトの愛国的論説と、ゲッティンゲンに活動拠点を置く文芸サークル「ゲッティンゲン・ハイン同盟」で紡がれた愛国的な詩、またC.F.D.シューバルトやヘルダーの愛国的な言説に光を当てる。それらの言説が、さまざまな形で「自由」への希求を表現していたことを具体的に見た上で、それらに表現された「自由」の観念に潜む問題性を明らかにする。
著者
菅 利恵 SUGA Rie
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 = Bulletin of the Faculty of Humanities and Social Sciences,Department of Humanities (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.32, pp.29-42, 2015

私的な愛の関係性に与えられる文化的な位置づけや意味は、近代化の過程で大きく変わったとされる。この変化と近代的な市民社会の発展との関連性は、一見して思われるほどに自明なわけではない。新しい愛の観念が広められたドイツ語圏の18世紀において、市民社会の発展ということはあくまでも「文化的な現象」であり、政治的、経済的な実力を持った市民層はまだ形成されていなかった。また「市民的」という言葉に込められる意味は様々であり、18世紀における愛の観念の変化には「市民的な」価値意識から明らかに逸脱するようにも見える部分もあった。このように愛をめぐる言説と市民社会との関係には簡単に整理のつかない部分があるため、従来の研究では、この関係自体が否定されたこともある。本稿は、そうした研究の流れをふまえて、近代化の中で生まれた新しい愛の言説における「市民的なもの」をあらためて検証しなおそうとする試みである。啓蒙時代における愛の観念の変化を、近代初期の社会思想との関連性において論じることによって、私的な愛をめぐる言説が、市民社会の形成過程においてどのような意味と役割を持ったのかを明らかにする。
著者
齋藤 渉 上村 敏郎 大崎 さやの 隠岐 さや香 久保 昭博 後藤 正英 菅 利恵 武田 将明
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2016-04-01

本共同研究の目的は、18世紀におけるフィクション使用の形態と機能を研究することであった。その成果は、a)理論的研究と、b)歴史的研究に分けることができる。a)理論的研究については、特に、1)フィクション理論における意図概念の検討(特に仮説的意図主義をめぐる研究)、2)対話ジャンルの概念に関する考察、3)フィクション概念と物語概念の接続の3点を挙げたい。b)歴史的研究の第一の成果は、18世紀における対話ジャンルの影響史的研究である。第二の成果として、『ベルリン月報』掲載のグロシンガー書簡に関する調査が挙げられる。
著者
菅 利恵
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.93-106, 2012-03-30

断片に終わったシラーの戯曲『マルタ騎士団』では、ともに戦う騎士たちによる恋愛が描かれている。シラーによってこの愛は作品の要としての位置づけが与えられているにもかかわらず、従来の研究においてこのモチーフは軽視されてきた。シラーはこの作品以外でも男性同士の情熱的な友愛をしばしば描いている。本稿では、まずシラーの作品一般において「男同士の愛」が持った意義を探り、そのうえで、『マルタ騎士団』の中で騎士同士の恋愛がどのような機能を果たしているかを明らかにする。愛をめぐるシラーの言説は、啓蒙時代の「文芸公共圏」に見られた構造に刻印されている。すなわち、私的な「愛」のなかに「自由と平等」という市民的なイデオロギーを込め、この「愛」の言説を市民的な自己主張の基盤にする、という構造である。男同士の友情は、さまざまな愛の関係性の中でも市民的なイデオロギーをもっとも純粋に追究できるものであり、だからこそシラーはこのモチーフを繰り返し描いたのだと思われる。『マルタ騎士団』は、「普遍的人間的なもの」の理念とその内実たる「自由と平等」の観念を、「犠牲的ヒロイズム」のドラマを通して顕現させる、という矛盾に満ちた課題を試みた作品である。この試みにおいて、シラーは「犠牲」を強制や権力から完全に「自由な」行為として描こうとした。男同士の恋愛のモチーフも、結局は実らなかったこの試みに取り組む中でこそ浮上したのだと思われる。すなわちここでは男同士の愛が、集団への自発的な自己溶解をうながすための動力として機能しているのである。シラーにおける男同士の愛は、あくまでも自由な関係性であるからこそ、「自由と平等」を掲げる空間のなかに、「支配と隷属」の構造が入り込むことをゆるす契機ともなっている。シラーによる「人間的な」犠牲のドラマの試みは、理想主義的な男同士の関係性をめぐる逆説を明らかにしている。
著者
菅 利恵 SUGA Rie
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 = Bulletin of the Faculty of Humanities and Social Sciences,Department of Humanities (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.31, pp.61-72, 2014

1730年代に演劇改革をとなえたゴットシェ,卜は、演劇に徹底したテクスト中心主義を導入しようとした。本稿では、このテクスト中心主義が18世紀後半においてどのように受け継がれ、また演劇的なフィクションの形成にどのような変化をもたらしたかを明らかにする。18世紀後半を通して、演劇的なフィクション世界のあり方は大きく変化し、その期待される役割やフィクション世界との向き合い方が変わった。本稿はこれを示した上で、その変化と当時の演技法との関わりを考察し、アドリプを否定された役者が、フィクション世界の構築にどのように関与することになったのかを追う。とりわけ、役者とテクストとの関係性が時代とともにどう変わったのかという点に注目し、18世紀後半においては、テクストの意味作用を純粋なものに保つために役者のフィクション世界形成への関与が極力狭められていたことを示す。つまり役者には、フィクション世界の外面的な記号に自らを還元させることがもっばら要求されたのである。本稿では、そのような「記号としての身体」という役者像を乗り越える方向性を示した人物として、当時の代表的な役者であり、ベルリン王立劇場の監督であり、また人気劇作家でもあったA.W.イフラントに注目する。「役者とフィクション世界との関係性」という観点から見たとき、彼の演技論は重要な意義を有している。すなわち彼は、フィクション世界にもっぱら「記号」として関わる同時代の役者像に対して、これに「読者」として関わる役者像を提示している。彼の演技論においては、単なる「記号」ではなくテクストを読み解く主体としての役者像が示されており、それは、役者がテクスト重視の流れを受け継ぎつつもより能動的にフィクション世界の構築に関与するための道を示すものとなっている。