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OA
新しい時代の航路を拓く : お雇い外国人ブラントンの足跡を訪ねて
著者
橋本 敬造
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要
(
ISSN:02876817
)
巻号頁・発行日
vol.39, no.3, pp.29-46, 2008-03-30
フランスから生野銀山に招かれた鉱山技術者コワニエFrancois Coignetが来日した翌年に横浜に上陸した、いわゆる「お雇い外国人」、ザ・ヤトイ、がブラントンである。技術者として幕府に招かれ、次いで維新政府に雇われて、横浜におかれた「燈明台機械方頭」として多数の燈台を設計・建造したことで知られている。ブラントンはまた、鉄道敷設の必要性を建言し、まず京浜間の鉄道、次に両京・大坂間にも鉄道を敷設すべきこと等を建議し、さらに横浜はいうまでもなく、大阪や新潟の築港計画、あるいは橋梁設計なども手がけたことで知られる。こうした技術の導入が日本に近代化にとって極めて重要な意味をもったことを、ここに改めて強調しておきたい。
言及状況
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変動(月別)
分布
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1872年に点灯した天保山灯台について ・灯台が建設されるに至った経緯について ・イギリス人技師ブラントンが造った灯台(木造)は明治26年に同じく木造灯台に改築されたようですが、その後(明治40年代?)天保山灯台が廃止されるにいたる経緯について調べています。 明治期の天保山灯台の変遷について
収集済み URL リスト
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=9449&item_no=1&page_id=13&block_id=21
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