著者
久保田 義弘
出版者
札幌学院大学総合研究所
雑誌
札幌学院大学経済論集 = Sapporo Gakuin University Review of Economics (ISSN:18848974)
巻号頁・発行日
no.6, pp.59-82, 2013-10

本稿で取りあげる北部アイルランドとスコットランド北西部で活動したダル・リアダ王国は,6世紀の初めに建国し,アイダーン王(Áedán mac Gabráin)(在位574年?-608年)の支配下のときに,その周辺国との戦いによる勝利によって,その領土を発展・拡充し,その最盛期に至した。しかし,603年頃のDegsastanの戦いにおいて,その王はノーサンブリア王国のエゼルフリス王(AEthelfrith)(在位593年-616年)に敗れ,その後,彼の勢力は衰え,同時にダル・リアダ王国の力も衰えた。さらに,彼の後継者は,周辺国との戦いに敗北するのみならず,内部抗争(ケネル・ガブラーン家とケネル・コンガル家の王家の抗争)を繰り返し,その勢力は一層衰退した。また,637年のMag Rath(ダウン州のMoira)の戦いの後,北アイルランドのダル・リアダ王国は滅ぼされ,同時に,スコットランドのダル・リアダ王国はその政情も不安定化し,ノーザンブリア王国に従属し,さらに,685年にノーザンブリア王国がピクト王国の王ブリィディ(ブルード)3世(在位671年-693年)に敗北し,730年頃にはその王国は,オエンガス1世のピクト王国の支配下に入り(従属し),その王国の上王(大君子権)がピクト王に支配に入った。最後に,ピクトとダル・リアダの融和に果たしたキリスト教の役割を調べる。第1節では,伝説のダル・リアダ王国と実在のダル・リアダ王国について,伝説のファーガス・モーによるダル・リアダ王国の建国とケネル・ガブラーンとケネル・コンガルそして,アイダーン王の全盛期その後のその勢力の陰りとその衰退,第2節では,ダル・リアダ王国の内部抗争とノーザンブリアおよびピクト王国への従属を概観し,第3節ではダル・リアダ王国とキリスト教の関係を説明する。

言及状況

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中世スコットランドのダル・リアダ王国 https://t.co/VvF29pWNz0

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