著者
上條 明弘
出版者
首都大学東京小笠原研究委員会
雑誌
小笠原研究年報 (ISSN:03879844)
巻号頁・発行日
no.33, pp.51-85, 2010-05-20

父島洲崎は自然豊かな海岸であったが、日本海軍により埋め立てられ、洲崎飛行場が建設された。小さな飛行場であり、陸上機があまり配備されていなかったので、最初アメリカ軍は重視していなかった。しかし、硫黄島攻防戦では、特別攻撃などの支援作戦の中継基地となり、重要な役割を演じた。そのため、アメリカ軍は、洲崎飛行場に対し、艦上機、陸軍機により集中的な攻撃を与えた。

言及状況

Twitter (3 users, 6 posts, 0 favorites)

洲崎飛行場へ初めて降り立った操縦士が、父島出身で後に空母翔鶴の真珠湾攻撃隊に参加した海軍の方らしい。 父島洲崎の変遷について(その2):洲崎飛行場と太平洋戦争 https://t.co/uwq0KEHfW6

収集済み URL リスト