著者
石井 良則
出版者
首都大学東京小笠原研究委員会
雑誌
小笠原研究年報 (ISSN:03879844)
巻号頁・発行日
no.33, pp.27-49, 2010-05-20

島根県仁多郡横田村(現奥出雲町)出身の岡崎喜一郎は、小笠原諸島の姉島という無人島に渡航して、小笠原姉島家庭塾という名称の感化教育施設を設立し、1937(昭和12)年1月より1939(昭和14)年8月まで、非行少年の更生のため生活を共にしながら教護したが、事情で施設の閉鎖を余儀なくされ、戦後間もなく郷里で死去した。2年8ヶ月という期間であったが、感化教育という困難に満ちた事業に献身した岡崎の大凡の活動を、彼の3男である岡崎洋三の書簡を通して推考する。

言及状況

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戦時下,ある島(外地?)で少年受刑者が不発弾処理に動員され,犠牲になったという話を刑務官だった祖父や矯正医官だった伯父から聞いたことがあり,関心があって調べている。関連した資料はあるか。

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