- 著者
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吉田 紀子
- 雑誌
- 人文 (ISSN:18817920)
- 巻号頁・発行日
- vol.3, pp.73-90, 2005-03-25
フランスでは1978年に、産業先進国で最初のポスター美術館(Musee de 1’Affiche)がパリに誕生し、その後1982年には広告美術館(Musee de la Publicite)へと改称した。本稿はこのポスター美術館設立の経緯を中心にして、ポスターをめぐる概念と制度について考察することにより、フランスにおけるポスター受容の特殊性を検証する試みである。 本稿では、ポスター美術館を傘下に収める装飾芸術中央連合(Union Centrale des ArtsD6coratifs)の議事録に基づき、まず、美術館開館に至るまでの一連の経過を明らかにする。次いで、この過程で示された芸術性を重視するポスター観が、美術館開館後、広告産業の実情に即していかに変化していったのかを分析する。最後に、1981年に成立した社会党政権による文化政策が、1982年の広告美術館への改称にいかに関与したのかを、文化省(Ministere de la Culture)発行の官報と文化相ジャック・ラング(Jack Lang:1939年~)の演説資料から検討する。 ポスター美術館の誕生は、19世紀末に形成された、自国のポスターの“高い芸術性”を強調する“アフィショマニ(ポスター・マニア)”のポスター観が、フランスにおけるボスター受容の中核であり続けるという、価値観の継承を促した。その広告美術館への改編は、芸術性の有無という評価の最優先基準が、1970年代後半における国内広告産業の成長と広告自体のマルチメディア化に伴って相対化する経過を反映していた。1980年代の政府主導の文化政策は、文化と芸術の概念を“副次的”分野にまで拡大しながらここに介入し、広告業振興の意図を持って、産業クリエーションとしての広告を優遇した。こうして、19世紀末から受け継がれたフランス特有のポスター評価は、広告というより大きな範疇に取り込まれながらも、美術館の設立と政府の文化政策を通して公に認知され、言わば制度化されたと考えられるのである。