- 著者
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加藤 篤子
- 雑誌
- 人文 (ISSN:18817920)
- 巻号頁・発行日
- no.8, pp.43-63, 2010-03-28
本論考ではハイデッガーのDenken、つまり「存在を思索する思考」に対するハンナ・アーレントの批判的観点を、哲学的範囲で考察してみたい。アーレントは周知のように生涯にわたり大哲学者ハイデッガーの哲学的弟子であり続けた。事実、ハイデッガーの80 歳(1969 年)に寄せた文では、アーレントは、ハイデッガーの思考に称賛と敬意を捧げている。存在の思索こそをハイデッガーの生来の住処とみなし、20 世紀の精神的相貌を決定するに与ったのはハイデッガーの哲学ではなくて、その純粋な思考活動であるとする。したがってそこではアーレントの批判的観点は明らかではない。 しかしアーレントの没後、70 年代後半に刊行された『精神の生活』の「思考」の巻において、ハイデッガーの思考に対するアーレントの批判的観点が明確に浮上する。『精神の生活』はカントの批判哲学の新たな解釈なのだが、それに依拠してアーレントはハイデッガーの思考における「意味と真理の混同」を問題視する。そこに基本的仮象と誤謬があるとする。アーレントによればその根拠は精神と身体を持つ人間の逆説的な存在にある。