- 著者
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比嘉 康則
榎井 縁
山本 晃輔
ヒガ ヨシノリ
エノイ ユカリ
ヤマモト コウスケ
Higa Yasunori
Enoi Yukari
Yamamoto Kousuke
- 出版者
- 大阪大学大学院人間科学研究科教育学系
- 雑誌
- 大阪大学教育学年報 (ISSN:13419595)
- 巻号頁・発行日
- vol.18, pp.109-124, 2013-03-31
本稿では,日教組教研全国集会で在日コリアン教育がどのように論じられてきたのかについて,1950・60年代を中心に検討した.特に焦点をあてたのは,「民族」についての言説である.『日本の教育』と県レポートの分析からは,1950・60年代が特殊な時期であることがうかがえた.当時,在日コリアン教育をテーマに含む分科会では,諸テーマの脱特殊化と分科会参加者の脱ローカル化という固有の力学のもとで,「日本民族の独立」というコンテクストが共有されていた.このコンテクストは両義的な帰結を引き起こしており,一方でそれは,在日コリアン教育を論じる動機づけと正統性を教師に提供し,提出レポート数の増加とレポート提出県の全国化をもたらしていた.しかし他方で,「日本民族」による「朝鮮民族教育」の不可能性という,日本人教師の立場性をめぐるジレンマが,在日コリアン教育をめぐる議論には横たわることになっていた.今後,県レポートと『日本の教育』の言説の相違や,1970年代以降の県レポートの分析などを行なうにあたっては,分科会内部の固有の力学,つまりナショナリズムのダイナミクスに留意する必要がある.