- 著者
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津田 一郎
- 出版者
- 日本数学会
- 雑誌
- 数学 (ISSN:0039470X)
- 巻号頁・発行日
- vol.58, no.2, pp.133-150, 2006
筆者は20年以上前に「脳の解釈学」を提案した。「解釈学」というのはさまざまな意味合いを持って議論されることがあるが、その基本は自然現象の認識とその認識を行なう人間の存在の関係にあるのだと理解している。「脳の解釈学」を平たく言えば、「脳の本質的な機能のひとつは外界の解釈である。ここで解釈することを外部刺激に直接反応することではなく、外部刺激に関する内部イメージに反応しそれに意味をつける過程であるとする。この解釈過程がわれわれが心と呼んでいるものに対応する。このような脳の機能を理解する方法自体がまた解釈学的である。」という考えである。筆者たちは研究を進めるために次のような作業仮説を導入した。作業仮説:[脳神経系が示すダイナミックスの数学的な構造が脳の解釈言語になり得て、そのもっとも高度に発達したものがわれわれが使用している自然言語である。]脳の解釈学的研究においては、数学的に表現されるダイナミックスの存在をまず仮定して、それを実現する脳神経系のあり得べき構造を決定し、その後にそれが示すダイナミックスの多様性から心の諸相を解釈していくという方法をとる。Gelfandの唱える精神医療における"adequate language"としての数学諸言語は筆者の唱える解釈言語の一つの形である。本稿では、脳のある特定の動的な現象に着目して、数理的な記述が単に脳という物理的対象が示す現象理解のために重要であるだけでなく、脳の解釈言語、すなわち心の可能な表現であることを主張したい。脳や心の研究は我々自身の研究であるから簡単に対象化できる保証がない。いわば、研究対象の内側にいてその対象を記述することになる。得られる情報は記述の仕方に依存するかもしれない。こういう状況で、対象の外に出て客観的な記述を行なうことが可能だろうか。これはEndophysicsの主題であるが、このような状況での科学的な記述は内と外の間のインターフェイスを発見し、その座標系における記述を試みることである。本稿で扱う事柄はほんの一部に過ぎないし、数理モデルも不十分であるが、数理的な記述はやがて真の心の記述を与えてくれると信じている。