著者
松井 憲明
出版者
北海道大学大学院経済学研究科
雑誌
經濟學研究 (ISSN:04516265)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.81-96, 2007-12-06

ソ連では農業社会の伝統的社会制度である課役(ロシア史に即していえば,農奴制時代の賦役や貢租)が1930年代に大規模に再建され,60年代まで存続した。 この課役には,①労働課役(夫役),②物納課役,③金納課役がある。①夫役の中核はコルホーズの共同農場での労働義務であり,その法令化は39年の年間労働ミニマムの導入に始まる。これはまもなくコルホーズ員ばかりか年少者をも対象とするに至る。夫役の徴発はその他,木材調達と泥炭採取,道路の建設や補修などの領域でも広く行われた。②物納課役はコルホーズ農民の現物給付義務であり,農家の多様な作物の国家供出という形でこれまたきわめて大規模に賦課された。③金納課役は貨幣給付義務であり,農業税,馬匹税,独身税,戦時税,建物税,家畜税の納付,自己課税,国債購入等々の多種多様な形態をとった。これらの課役は全体として第二次大戦中とスターリンの晩年に激増した。コルホーズでは一貫して労働強化が図られた。木材調達や地方の道路建設,農畜産物の国家調達などでも課役は大きな役割を演じ,他方,農民生活にとっては重い負担となった。 こうした課役は経済外的強制の広範な適用を特徴としていた。コルホーズの労働への不参加は矯正(強制)労働や遠隔地への追放を含む各種の措置により罰せられ,その他の課役の忌避に対しても罰金が科せられ,財産の差押えや没収が行われ,さらに刑事責任が問われた。 課役の制度は,ソ連が1930年代から60年代にかけて農業社会から工業社会へと転換を遂げる上で最も重要な要素であった。したがって,それはこの転換の進行とともに必要性を減じ,60年代後半までには解消された。

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