著者
平川 知佳
巻号頁・発行日
2010-03-25

本研究では、近年人々がどのような生き甲斐や意義を余暇に見いだすことができるのか観光学の領域で議論されていることをふまえて、余暇が確立された歴史的・社会的な背景を学問的な視点に立って改めて考察した。事例の対象としては、余暇が初めて確立されたイギリス社会に焦点をあて、余暇がどのような過程で成立されたのか検証した。またイギリスについて考察を進めるにあたり、階級に着目した。具体的にはそれぞれの階級社会によって娯楽の指向性に違いがあるのかどうか検証した。さらに論述を進める過程で、娯楽を通して階級間の関係性はどのようなものであったのか、分析を試みた。第1章は序論とし、研究の背景、研究の目的と研究方法、研究の構成、研究の意義、先行研究の概要をそれぞれ述べた。第2章では前近代のイギリス社会に焦点をあて研究を進めた。農村社会の労働は天候や突然の出来事によりたびたび中断されることがあったため、一時的な小休止がたびたび点在していた。また季節に応じて多種多様な祝祭が祝われていたため、労働時間と労働以外の時間(spare time)は、現在のように時間によって明確に区別されていたわけではなかったのである。その当時の支配層は生産に従事することなく、華やかに着飾り社交や観劇、狩猟などを楽しみ時間を潰すことがステイタス・シンボルであった。一方で民衆は一時的に祝われる例祭行事や娯楽活動の時間になると、日常生活から解放され、酒に酔いしれながら歌や踊りに熱狂し村中の裕福な家々を訪ね祝儀をねだっていた。貴族はそうした民衆の非日常的な振る舞いや言動を容認し、伝統的な祝祭や娯楽活動における費用や食事を民衆のために提供していた。農村社会における伝統的な娯楽の時間は、民衆だけでなく貴族も積極的に参加することが社会的な義務として課されていた。そして最終的には娯楽を通じて共同体の安定を図っていたのである。つまりそれぞれの階級間には娯楽を通して柔軟な相互理解があったとのではないかと推測した。第3章では近代のイギリス社会に焦点をあて、近代以前の労働以外の時間がどのように変容し、余暇が確立されたのか検証した。その上で、近代に入り貴族に代わる社会の指導者として地位を高めた中流市民と労働者階級の人々に焦点を絞り、それぞれ階級ごとにどのような娯楽の指向性があったのか明らかした。そして研究を進める過程で、近代社会に入ってから娯楽活動における階級間の関係性にはどのようなものであったのか、考察を試みた。その結果、近代に入ると資本主義経済の下、工業や産業の発展に伴い、人間はその日の作業量ではなく時間によって束縛されるようになった。それまで農民として働いていた民衆の多くが土地の囲い込みによって仕事を失ったため、都市部に移住し工場労働者として働き始めた。1847年に10時間労働法が制定されると、労働と余暇が明確に分離され、自由時間(free time)が確立された。それまでの労働以外の時間とは異なり、個人が自由な判断で娯楽を享受することができるようになったのである。近代以降、貴族に代わり社会的・政治的に権力をもちはじめた中流層の人々は、新たな指導者として社会改良を進めた。中流市民層は勤勉こそ美徳であるという信条を近代社会にふさわしい土台として定着させようとしたのである。そのために中流層は労働者層の伝統的な祝祭や娯楽を排除し、中流的な価値に基づく合理的レクリエーションを労働者層に推奨した。合理的レクリエーションとは、労働力の再生産を高めるための休養として位置づけられていた。このような中流的な娯楽の提案が中流層の思い通りに成功することはなかった。つまり労働者の人々の娯楽の指向性が中流層と同化することはなかったのである。その後、商業的な余暇が誕生したことによって労働者層の指向に見合った娯楽が提供されると、階級によって娯楽の指向性の違いが明らかとなっていった。第4章では第3章をふまえて、合理的レクリエーションに代わり商業的な余暇が誕生したことで階級によって余暇の指向性にどのような違いが見られたのか、分析した。事例としてはイギリス全土で発展した海浜リゾートに焦点をあてた。その結果、明らかに階級によって海浜リゾートにおける娯楽の指向性は異なっていたことがうかがえた。言い換えれば、それぞれ階級の指向性に見合う複合的な要素を海浜リゾートが潜在的に内在していたことが明らかとなった。終章では第2章から第4章をまとめ、考察した。その結果、その時代の社会状況によって娯楽に対する位置づけや意味合いは明らかに異なっていた。前近代のイギリス社会では労働と労働以外の時間の区別はなく、娯楽を通して共同体の維持を図っていたことから、娯楽の社会的機能に価値をおいていたことがうかがえた。近代社会に入り、時間によって人々の日常生活が規律化されるようになると、労働と余暇が明確に分かれていった。個人が自由な裁量で娯楽を楽しむことができるようになった一方で、中流市民は自らの信条に基づいた真面目な娯楽活動こそ近代社会にふさわしい普遍的な余暇の過ごし方として位置づけた。つまり伝統的な娯楽に対する社会的な価値は失われ、代わりに中流的な余暇の過ごし方が社会秩序の安定を図るために重要視されるようになった。しかしこのような娯楽の統制を労働者は受け入れなかった。むしろ労働者層は合理的レクリエーションの代わりに商業的な余暇を選び、巧みに自由時間を利用して、限られた時間や空間の中で日常社会を忘れ、非日常的な娯楽を享受していたのである。すなわち労働者の娯楽に対する指向性を分析してみると、農村社会におけるカーニヴァル的な要素と通底する部分が垣間見られることから、明らかにヴィクトリア朝の社会理念と相反していることがうかがえた。また娯楽活動における階級間の関係性について分析を試みたが、近代以降の社会では空間的にも時間的にも階級の違う者同士が関わり合いをもつ機会がなくなってしまったこと、また近代に入り個人が主体となって娯楽を享受することが正当化されたため、娯楽を通しての階級間の意思の疎通が失われてしまったのではないかと分析した。

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