- 著者
-
Davis Michael
- 出版者
- 北海道大学大学院文学研究科応用倫理研究教育センター
- 雑誌
- 応用倫理 (ISSN:18830110)
- 巻号頁・発行日
- vol.3, pp.2-21, 2010-03
社会契約という語は、その本拠地こそ(狭い意味での)政治理論にあるものの、それを超えて遥か
に広い領域で用いられている。「社会契約」という用語には、一部では意味の区分が確立されてはい
るが、他の用法に関しては、確立された区分はない。しかし個々の区分がないということ以上によ
り重要なことは、様々な社会契約という語用の間に基本的な差異をもたらす「一般的な」分類が欠
如していることだと私は思う。私が提示する分類には二つの側面がある。ひとつは「契約」という
言葉に関係する。「契約」という言葉は、文字通りの意味でも近接した類比から遠いメタファーに至
るまでの何らかの拡大された意味でも使用できる。文字通りの意味に使った場合、契約はある種の
義務(形式的な道徳的義務)を支持することになる。類比的ないしメタファー的な意味で使った場合、
別の種類の義務を支持することとなる。もう一つの側面は「社会」という用語に関連する。「社会契
約」における「社会」は(その契約が文字通りの契約であれ、類比的もしくはメタファー的な意味
での契約であれ)契約の結果できるものでもありうるし、その契約への参加者の団体でもありうる。
本稿で述べられたことから引き出されるべき教訓は、われわれはこれまで理論家がしてきた以上に
社会契約という言葉を注意深く使用する必要があるということである。