著者
西條 玲奈
出版者
北海道大学
巻号頁・発行日
2014-12-25

本稿の主張は、演劇や音楽のような芸術作品は具体物である、というものである。こうしたジャンルの芸術作品は、同じ作品が複数の出現をもちうるため、反復可能であると呼ばれる。反復可能性を説明するために、芸術作品の存在論では、作品を普遍者として、出現をその事例として分析することがある。普遍者とは抽象的でその事例となるものに一定の特徴を付与する存在者とされている。これを芸術作品の普遍者説と呼ぶ。対して、作品とはその個々の出現の集まりであるとみなし、作品そのものに相当する普遍者の存在を否定する立場がある。こうした立場は唯名論と呼ばれる。本稿は、唯名論的立場が普遍者説に劣らず、むしろ理論的に優れていることを示そうとするものである。そのために、芸術作品の唯名論の利点を示した上で、これまで指摘されてきた困難を克服する。唯名論の利点は、具体的存在者のみを措定すればよいという単純さと、特定の作品の出現であるために十分な条件は何であるのか、その曖昧さを柔軟に適切にとらえられるところにある。一方、唯名論の困難とは、複数の非常識な帰結を含意することである。(1)同じ作品の出現同士の質的類似性を説明できない。(2)同じ作品の出現が同じような効果をもたらすことを説明できない。(3)作品の存在が出現の存在に依存してしまう。(4)上演されないような出現の存在しない作品の存在を否定する。(5)作品全体が鑑賞できなくなる。(6)作品の反事実的可能性を拒否してしまう。これらのうち(1)から(5)までは普遍者説ならば比較的容易に回避できるものである。そして既存の唯名論では(3)から(6)までは対応できても、(1)と(2)を説明することができない。こうした難点を克服するため、本稿ではまばらさ(sparseness)という概念を導入する。任意の事物の集まりの中でも、1つの芸術作品の出現の集まりに相当するものをまばらな集まりとして区別するのである。こうした集まりは、演劇を例として述べると、特定の作品を上演しようとするパフォーマーの(I)制作意図が存在し、その上演が適切な(II)因果的源泉をもつという2つの条件を満たす上演から構成される。その結果として、普遍者を導入しなくとも、互いに質的に類似し、同じ因果的役割を担う上演の集まりを区別できるのである。この区別を導入することで、(1)と(2)の問題に対応し、唯名論の利点を確保しつつ、普遍者説と同様に芸術作品にまつわる現象を位置づけられる芸術作品の存在論を提案する。

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“反復可能な芸術作品の存在論とまばらなメレオロジー唯名論 : HUSCAP” http://t.co/9xq0BcxG1R

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