- 著者
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高橋 裕哉
- 巻号頁・発行日
- 1995
性 sex が科学の分野で取り上げられたのは20世紀に入ってからで、形態学的な研究に始まった。性という用語は学問上は "雌雄性sexuality" という意味で用いられる。性の科学が具現化されたのは主に遺伝学によってであるが、後に実験形態学、生理学、生化学がこれに加わって総合科学としての "性の生物学 biology of sex" を成立させ、一般に性とよばれるものが如何なるものか、という問題を追求し続けて今日に至っている。性には雄と雌の二種類があり、それぞれ♂と♀に記号化される。この両者は峻別され得るものだろうか? 1929年、この分野の先駆者の Max Hartmann は "性の相対性 relative sexuality" の理論を提唱した(Hartmann, 1956, 参照)。これは Ectocarpus siliculosus という藻類での研究に基づいたもので、この藻の遊走子では雄と雌が大体定まっているが、雄とみられる遊走子間、または雌とみられる遊走子間で受精が行われる、すなわち或る雄が雌的に、または或る雌が雄的に働く場合がある。生殖細胞にはこのような "両性的 bisexual" な性質があり、仮にその雌的な性質をF、雄的な性質をMで表すとすれば、FとMの大きさの差が外的な性質として現れてくることがあるのである。
この考え方によれば、全ての動物の雄、雌というのは厳然と区別されるべきものではなく、個体は本質的に両性的であり、また雌雄のいずれにもなり得る両能性 bipotentiality を具有している。すなわち、雌雄というのはあくまでも現象的なもので、FとMの拮抗作用の表れにすぎない。通常は遺伝的な性組成を基盤としてFとMの差が大きく保たれ、特にいわゆる高等動物では、それらの現象的な雌雄が明瞭に分離されている。しかし性決定遺伝子やその修飾に関連する遺伝子(F-遺伝子とM-遺伝子)の作用が明確な脊椎動物においてすら、生殖細胞の両性的かつ両能的な性質は保守されており、それに基づいた様々な雌雄性の表れ、たとえば雌雄同体現象や性転換現象が認められるのであり、それらが硬骨魚類では最も顕著に表現されているのである。
生殖細胞の性的両能性は、それが個体発生の、または生殖腺の形態形成のどの時点まで保持されているか、すなわち生殖細胞の精子形成と卵形成への方向付けがどの段階で確定されるかという問題と、そのような性的両能性の不可逆的な喪失を導く因子は何かという問題を生ずる(Reinboth, 1982)。特に後者の問題は性の生物学における究極の問題といえよう。性の表現様式が脊椎動物では他に類をみないほど多様であり、性的に不安定な状態にあるとされる硬骨魚類は、これらの問題の追究にとってまたとない好対象なのである。