著者
岩本 康志
出版者
日本経済国際共同センター
巻号頁・発行日
2009-05

本稿では,行動経済学で着目されている行動の誤りの存在が,合理的な個人を前提としていた規範的な議論にどのような影響を与えるかを考察する。行動経済学で着目されている行動の誤りは,ただちに温情主義的政策を正当化するわけではない。行動経済学の知見は実は自由主義よりも温情主義の方に大きな影響を与えると考えられる。自由主義はもともと個人の合理性の限界を認識し,自由の価値を認める立場であるので,個人が合理的に行動しないという知見は,政府の能力の限界を裏付けるものである。また,研究者が他者の非合理性を科学的・客観的に確認できたとされる範囲はごくわずかであり,政策に応用できる分野は現在のところ限定されている。さらに,経済政策の対象となるのは,個人の非合理性そのものではなく,その行動が経済全体に対してもつ影響である。したがって,個人の非合理的な行動が社会的に望ましくない結果をもたらすという主張がされたとしても,それは個人の非合理的な行動をするという仮説と,行動が経済に与える影響についての仮説が一体となっている。そして,後者の仮説の検証には,伝統的な経済学による分析が引き続き重要な役割を果たす。以上のような留意すべき事項の存在は行動経済学が政策にとって無価値であることを意味するものではなく,こうした留意点を理解した上で行動経済学を政策に適用していく議論は,政策を大きく進化させる可能性を秘めている。行動経済学者が提唱している新しい温情主義の考え方は,伝統的な経済学における温情主義的政策の議論を大きく進化させることが期待される。

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