著者
岩川 ありさ
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.191-203, 2013-03-01

本論文では、林京子「祭りの場」(「群像」一九七五年六月号)と「長い時間をかけた人間の経験」(「群像」一九九九年一〇月号)という二つのテクストをつなぎ、一九四五年八月九日に長崎で被爆したという出来事の記憶が、時を経て、いかに想起され、いかに語り直されるのかについて、精神的外傷と記憶との関わりから論じる。一九七五年に発表された「祭りの場」の冒頭はアメリカの科学者たちが寄せた「降伏勧告書」の引用からはじまるが、「祭りの場」においてはこの部分に大幅な省略がなされている。けれども、一九九九年になって発表された「長い時間をかけた人間の経験」においては、省略部分が復元して記されている。核時代において、いかにして省略部分が重要な意味を持って書き添えられたのか。林京子のふたつのテクストを対象にして、近年のジュディス・バトラーの議論を参照しながら、核時代における生の条件の編成のされかたについて検討することで、他者として規定してきた人々の生がまっとうされる未来の可能性について展望したい。

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