- 著者
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金 ヨンロン
- 出版者
- 東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
- 雑誌
- 言語情報科学 (ISSN:13478931)
- 巻号頁・発行日
- vol.14, pp.139-151, 2016-03-01
本稿では、研究史においてプロレタリア文学との対立が強調されてきた井伏鱒二文学を読み直し、むしろ両者が共有していた問題意識を浮き彫りにする。そのことを通して、井伏鱒二文学の表現方法の特徴を突き止め、その批評性を同時代において明らかにする。扱うテクストは、1929 年に発表された井伏鱒二の『谷間』と中野重治の『鉄の話』である。井伏鱒二の『谷間』をプロレタリア文学の代表作である中野重治の『鉄の話』と比較し、両作を取り巻く当時の治安体制の状況を概観し、『谷間』で選ばれた方法とその可能性を問う。とりわけ注目するのは、『谷間』における作中人物であると同時に書き手である「私」の設定である。『鉄の話』と『谷間』は、同じく治安体制の暴力に晒されている作中人物を描いているが、前者がそれを描いたが故に伏字という暴力に再び直面したのに対し、後者は二重の「私」を設定することで作中人物のみならず書き手をも統御する暴力そのものをテクスト上に現象させることができた。本稿では、このような『谷間』の方法が如何に治安体制の暴力的構造を暴き出して見せたのかを検討する。