著者
津村 文彦
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン = Contact zone (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.167-191, 2015-03-31

呪術がいかにしてリアリティを獲得するかを考える際に、呪術の効果をめぐる議論は避けて通れない。特に治療に関する呪術は、苦痛や不調を抱える病者の身体に直接働きかけるため、その効果が議論の対象になりやすい。たとえば医療人類学での「疾患(disease)」と「病い(sickness)」という有名な区分は、生物医学は「疾患」を対象とし、呪術などの伝統医療は「病い」に対処するもので、呪術には生理学的な効果は認められないという前提のもとに成立している。しかし、呪術が心理面に作用し、生物医学は身体に作用するという「効果」の想定は適切なものであろうか。現在も継続している呪術的な伝統医療について、「信じるからこそ効く」と説明するだけでは呪術のリアリティを十分に考察したとはいえない。いかにしてそれが「効く」と捉えられるのかを考察する必要があるだろう。 本論文では、東北タイの二種の民間医療師を俎上に載せる。一つは、近代科学の象徴たる「注射」を駆使しながらも、〈非科学的〉な治療を提供してきた「注射医」で、もう一つは近代医学が対処を得意とする毒蛇咬傷などの症例を主たる対象とする「モーパオ」という呪文の吹きかけを行う呪医である。東北タイでは、1960 年代より1980 年代にかけて注射医が治療行為を行っていたが、近隣に病院や保健センターなどができて近代医療へのアクセスが高まったのち、注射医は姿を消した。一方、現在では近代医療を容易に利用することができるにもかかわらず、モーパオのような呪医はなおも活動を行っている。両者の治療行為は対照的に見えるが、治療において直接身体に感受することのできる感覚(痛みと吹きかけ)こそが、治療によってもたらされる「効果」として人びとに受け入れられている点で共通する。こうした治療行為のなかで、病者が受け取る感覚こそが呪術の効果であり、モーパオを存続させている力といえるだろう

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[文化人類学][代替療法][医療] "近代科学の象徴たる「注射」を駆使しながらも、〈非科学的〉な治療を提供してきた「注射医」"

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