著者
井上 淳生
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2018, pp.41-71, 2018-06-30

男女が対になって踊る社交ダンスは、日本に紹介されて以来、踊り手と音楽演奏家によって行われてきた。そこで行われる身体運用や音楽が「社交ダンス専用」として標準化されていく過程で、踊り手と演奏家の関係は変質していく。以前に比べ、踊り手は、音楽に身体を対応させる契機としてカウント(拍節)を重視するようになり、演奏家は社交ダンス音楽として規定されるところの、一定のリズム・パターンの反復性、テンポの不変性を重視した演奏を志向するようになるのである。このように、かつてよりも厳格な基準に規定された身体運用と音楽の対応関係が整備されていく過程は、舞踊と音楽の不可分性が人為的に作られる過程であったと言える。 では、このことを踏まえたうえで、現在の日本の社交ダンスに見られる踊り手と演奏家の次のような関係をどのように理解すればよいのだろうか。なぜ踊り手は演奏家に不満をもらすのか。なぜ演奏家は踊り手に合わせて演奏することにためらいを抱くのか。社交ダンスにおいて身体運用と音楽の関係が緊密になることは、踊り手と演奏家の関係をも緊密にすることにはつながらないのだろうか。踊り手、演奏家の双方にとって、彼(彼女)ら自身が依拠する身体運用あるいは音楽とは何なのだろうか。本稿では、舞踊と音楽の不可分性の観点からこれらの問いを検討する。検討を通して、舞踊と音楽の双方を視野に入れた研究(舞踊=音楽研究)に対して、ジャンルを相対化する視点の意義を提示する。

言及状況

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ダンスの標準化。 色々な新奇なダンスが注目され始めたりする中で、とある人々がイギリスのダンスに秩序を与えようと行動した歴史があるらしい。 音MAD界隈に学術的分析を持ち込むなら、ちょっと参考になりそう。

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