著者
田中 雅一
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2013, pp.30-59, 2014-03-31

本稿の目的は、日本におけるセックスワーク(売春)の性質を、肉体労働、感情労働、官能労働の3つの労働から理解しようとするものである。資料は5人の日本人女性セックスワーカーたちへのインタビューに基づく。セックスワークは、1970年代に作られた言葉で、売春をほかの仕事(ワーク)と同じく合法的な活動(サービス産業)ととらえるべきであるという主張がこめられている。しかし、このような主張には、根強い批判が認められる。ひとつは、セックスワーカーが人身売買の犠牲者であって、セックスワークを合法化しようとするのは、その犯罪性を隠蔽することになるという主張である。二つ目は、セックスワークは若くて未熟なワーカーが喜ばれ、価値もあるという点で、熟練度が重視される通常の仕事と同じだとみなすべきではないという主張である。最後の批判は、本来私生活に属するセックスを仕事とすることで、ワーカーたちは多大な精神的被害を受けるはずであるため仕事とはいえないという批判である。本稿では、セックスワーカーたちと顧客との親密なやり取りについての語りを分析することで、これらの批判の妥当性を吟味した。日本のセックスワーカーは、1時間から2時間を単位として顧客と限られた時間を過ごす。彼女たちは、顧客の支払額を増やすためにできるだけ長くいること(延長)を顧客に求め、また収入を安定させるために繰り返し一人の女性を指名する常連を増やそうとする。顧客はワーカーが自分に好意を示し、自分との性行為によってオーガズムに達することを好む。このような顧客の要望に応じるため、ワーカーは「感情労働」を通じて好意があるかのような演技をする。オーガズムについては、あたかも女性が感じているかのようなふりをする「官能労働」が必要となる。本稿のデータから明らかなのは、どのワーカーも自分を犠牲者だとみなしていないことである(だからといって、日本のセックスワーカー全員が犠牲者ではないとはいえない)。また、素人が好まれることから、素人のようにふるまう技術を身につける。さらに、顧客の気づかないところで気を遣い、暴力を回避するための交渉を行っている。顧客の要望に応じて、感情労働や官能労働の主体として彼女たちは積極的に顧客と接しているのである。たしかに、セックスを仕事にすることで私生活に影響が出るが、これはむしろ合法化することで解決可能だと考えられる。問題があるから合法化すべきでないというのは本末転倒であろう。
著者
濱野 千尋
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2019, pp.62-94, 2019-08-31

本論文の目的は、ドイツにおける動物性愛者への調査に基づいて、動物性愛というセクシュアリティがもたらす、人間と動物のセックスを含めた種間関係のあり方を考察するものである。その際に本論文で焦点を当てるのは、動物性愛を意図的に選択し、自ら動物性愛者になっていく人々である。このような人々の存在について、これまで他領域を含む先行研究では言及されてこなかった。動物性愛というセクシュアリティを選び取る人々について学術的な言説のなかで言及するのは本論文が初めてである。本論文では彼らの実態を紹介し、事例を踏まえてダナ・ハラウェイによる伴侶種概念と比較検討しつつ、伴侶種を論じる際のセクシュアリティに対する視点の必要性を指摘する。動物性愛を選択する人々がいる事実は、動物性愛というセクシュアリティを生来的なものではなく、身近な動物との共生のためのオルタナティブな方法として受け入れうるものと説明できる可能性がある。本論文では、このような人々の事例をもとに、セクシュアリティの選択と、その結果としてもたらされる、異種間関係および人間関係の変容について論じる。
著者
安 姍姍
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2014, pp.134-158, 2015-03-31

中国では、出産後の一定期間「坐月子(ズオユエズ)」という産後の養生期間が伝統的に設けられ、食べ物や行動のタブーが定められている。本論文では、中国山西省の都市部の褥婦15人に聞き取り調査を行い、女性達が「坐月子」の期間に経験する葛藤に焦点を当てた。その結果、次の7点が明らかとなった。(1) 都市部では「坐月子」を過ごす場所は自宅や姑の家のこともあれば、家以外の施設(私立病院、産後養生ケアセンター)の場合もある。現在では、世話をするのは姑をはじめとする夫方の女性親族から、職業としての家政婦等のプロに移る傾向がある。(2) 女性はさまざまな行動上の制約を課せられる「坐月子」に不満を持っているが、養生を中心とする中医(中国を中心とする東アジアで行われてきた伝統医学)の理論を完全に否定することができない。(3) 「坐月子」等の産後に段階的に行われる儀礼は、褥婦の身体の回復のためだけでなく、地位・役割の転換や家族関係の再調整をもたらす通過儀礼の特徴を備えている。(4) 「坐月子」においては、姑が褥婦の世話をするものとされていたが、女性達は実際には、実母や月嫂の援助を期待していた。(5) 都市部の女性は、伝統に束縛される受け身の立場から、近代・科学の力を使い、身体管理を積極的、能動的に行う主体へと変化しつつある。(6) 女性達は姑の世話を受ける伝統的な「坐月子」を好まないにもかかわらず、姑との関係を確立するために、家族、特に姑の意見に従っていた。(7) 医療化された出産は女性達に伝統的な過ごし方ではなく、より近代的な過ごし方を選ばせるようになっている。 以上のことから、中国の都市部の女性達は、近代医学の力を借りて主体性を確立すると同時に、伝統的な「坐月子」を通じて家族関係を強化したいと考えていると言えよう。
著者
井上 淳生
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2018, pp.41-71, 2018-06-30

男女が対になって踊る社交ダンスは、日本に紹介されて以来、踊り手と音楽演奏家によって行われてきた。そこで行われる身体運用や音楽が「社交ダンス専用」として標準化されていく過程で、踊り手と演奏家の関係は変質していく。以前に比べ、踊り手は、音楽に身体を対応させる契機としてカウント(拍節)を重視するようになり、演奏家は社交ダンス音楽として規定されるところの、一定のリズム・パターンの反復性、テンポの不変性を重視した演奏を志向するようになるのである。このように、かつてよりも厳格な基準に規定された身体運用と音楽の対応関係が整備されていく過程は、舞踊と音楽の不可分性が人為的に作られる過程であったと言える。 では、このことを踏まえたうえで、現在の日本の社交ダンスに見られる踊り手と演奏家の次のような関係をどのように理解すればよいのだろうか。なぜ踊り手は演奏家に不満をもらすのか。なぜ演奏家は踊り手に合わせて演奏することにためらいを抱くのか。社交ダンスにおいて身体運用と音楽の関係が緊密になることは、踊り手と演奏家の関係をも緊密にすることにはつながらないのだろうか。踊り手、演奏家の双方にとって、彼(彼女)ら自身が依拠する身体運用あるいは音楽とは何なのだろうか。本稿では、舞踊と音楽の不可分性の観点からこれらの問いを検討する。検討を通して、舞踊と音楽の双方を視野に入れた研究(舞踊=音楽研究)に対して、ジャンルを相対化する視点の意義を提示する。
著者
村川 淳
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2019, pp.32-61, 2019-08-31

本稿は1980年代初頭の南米ペルー、アンデス地域における身分証明書の普及をめぐるせめぎあいを糸口に、近代国家と先住民の関係の変質に考察を加えるものである。事例地となるのは、ティティカカ湖の湿地内で独自の生活体系を築いてきた先住民ロス・ウロスの浮島である。観光の空間として切り取られることも多いティティカカ湖一帯を、国境地域の国家統合の文脈に据えなおすことが本稿の目的となる。周辺地域に本格的な介入を試みた軍事政権期(1968-1980年)、その後の民政移管期の諸展開に、都市近傍の流動的な圏域から接近することによって、現代アンデス地域をこれまでとは違った角度から照らし出す切り口を提示したい。 分析の軸となるのは、出生登録、軍登録という二種の登録制度とそれへの先住民の呼応である。徴兵制にもとづいた強制連行が横行する湖岸地域、そこでの近代国家との交渉を射程に収めつつ、国家管理の強度の空間的偏差とその縁を生き抜いてきた人びとの移動を広域的な視座から位置づけてゆく。軍事政権期における土地への介入(共同体登録、保護区設立)に傾注する既存の研究が見落としてきた人への介入(国民登録)にも光を当て、湿地帯に送り込まれた民籍登録官が作成した出生登録簿と口述資料との相補的な読解から、人びとが外的制度としての身分証明書の取得に踏み切った局面を見定める。
著者
村川 淳
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2019, pp.32-61, 2019-08-31

本稿は1980年代初頭の南米ペルー、アンデス地域における身分証明書の普及をめぐるせめぎあいを糸口に、近代国家と先住民の関係の変質に考察を加えるものである。事例地となるのは、ティティカカ湖の湿地内で独自の生活体系を築いてきた先住民ロス・ウロスの浮島である。観光の空間として切り取られることも多いティティカカ湖一帯を、国境地域の国家統合の文脈に据えなおすことが本稿の目的となる。周辺地域に本格的な介入を試みた軍事政権期(1968-1980年)、その後の民政移管期の諸展開に、都市近傍の流動的な圏域から接近することによって、現代アンデス地域をこれまでとは違った角度から照らし出す切り口を提示したい。 分析の軸となるのは、出生登録、軍登録という二種の登録制度とそれへの先住民の呼応である。徴兵制にもとづいた強制連行が横行する湖岸地域、そこでの近代国家との交渉を射程に収めつつ、国家管理の強度の空間的偏差とその縁を生き抜いてきた人びとの移動を広域的な視座から位置づけてゆく。軍事政権期における土地への介入(共同体登録、保護区設立)に傾注する既存の研究が見落としてきた人への介入(国民登録)にも光を当て、湿地帯に送り込まれた民籍登録官が作成した出生登録簿と口述資料との相補的な読解から、人びとが外的制度としての身分証明書の取得に踏み切った局面を見定める。