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史実としては南部多賀丸の漂流者がイルクーツクで日本語教師していたが、1786年までに全員他界、その子孫と光太夫は面会したらしいです。で、多賀丸漂流者の久助の息子トラペーズニコフはその後ラクスマン来航の時に測量士として来日したそう。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/238332/1/shirin_060_ ...
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