著者
鍛治 宏介
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.96, no.2, pp.251-287, 2013-03-31

本稿は、江戸時代において近江八景という一つの知識が、刊本や写本という書物を介して社会に伝播し、さまざまな地域・階層の人々に教養として受容されていく過程を、近江八景を詠んだ漢詩と和歌を素材に検討したものである。まず朝廷や五山文化圏で産み出された近江八景詩歌が、堂上歌壇のみならず地下歌壇においても流布していたことを明らかにした。さらに『扶桑名勝詩集』の板元吉田四郎右衛門に注目して、吉田家は書肆を営む一方、院雑色という朝廷の下級役人としての側面も有し、朝廷の知を社会に広げる回路として、近江八景詩歌が刊本世界へ流入する役割を果たしたことを指摘した。それから一八世紀以降の日用教養書における展開に注目し、さまざまな誤謬も内包しつつ、手習教育の教材に利用されるなど、近江八景詩歌の伝播の射程が格段に広まったことを明らかにした。以上の検討を通じて、江戸時代書物文化における知の流通構造の一端を描き出した。

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近江八景詩歌の一つかと思います。 近江八景とは、琵琶湖南部の八勝景 石山秋月 瀬田夕照(勢田夕照) 粟津晴嵐 矢橋帰帆 三井晩鐘 唐崎夜雨 堅田落雁 比良暮雪 の総称。 相国寺の朴長老こと玉質宗僕が近江八景七言詩を作っており、その一つのようです。 矢橋帰帆についてはこちらをご覧ください。 「近江八景の旅 矢橋帰帆」 https://imashiga.jp/2019/03/07/%E8%BF% ...

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