著者
森 哲彦
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-14, 2008-12-23

カントの哲学フレーズに「人は哲学を学ぶことはできない...ただ哲学することを学びうるのみである」(B866)とある。カントのいうこの「哲学を学ぶ」とは、知の認識偏重に対する諫めのことで「哲学すること」とは、哲学を通しての思考を求めていることである。カントも前批判期で苦闘して道を開いたように「哲学すること」は、哲学と哲学史の相互関係問題でもある。つまり「哲学すること」にとっては、誰かの根源的なものを問う哲学や人間社会の現実を思考する思想を手掛かりとして、歴史的に対話することが問題となる。従って「哲学の過去に立ち戻ることは、常に同時に哲学的自己省察と自己反省という行為でなければならない」といえよう。さて十八世紀後半のカントが課題とする理性、人間、人格、平和、啓蒙、多元主義をめぐる諸問題は、今日的課題とある種の類似関係がある、と思われる。そうだとするとこのような問題意識を自覚するために、本論では、カント批判哲学の理性哲学、実践哲学、美学、宗教哲学、そして人間学を解明るものである。なおカントは、今日に至るまでドイツや日本のみならず世界的にも、多くの市民により、高く評価されてきている。では人々を引き付けて止まないカントの偉大な精神とはなにか。まず第一は、批判の精神といえよう。カントの批判精神は、恣意的、独断的見解や懐疑的見解を退け、厳密な思考により、対象を全体的な関連から明晰に解明する。つまり批判とは「書物や体系の批判のことではなく、理性が全ての経験に依存せずに切望するべく全ての認識に関してのことであり、従って形而上学一般の可能性もしくは不可能性の決定、この学の源泉、範囲、限界を規定」(AXII)することにより、普遍的なものを求める精神である。第二は、人格尊重の精神である。カントによれば、理性的存在者としての人格は、相対的価値しかもたないものから区別され、目的自体として絶対的価値をもつとする。つまりカントは、人間尊厳の根拠のために、普遍的な道徳的法則を立て、理性自ら立法する自律的、理性的人格を確立する。その理性的人格は、良心の声、絶対的な道徳の声、道徳的義務の声を要請する。そしてこの道徳的義務の使命を発するところの人間を尊ぶカントの人格主義が、カントの名を不朽のものにしているのである。

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