著者
吉馴 明子
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.45, pp.105-135, 2014-03-31

本稿執筆には、二つの目的がある。第一は、古典文学に続いて植村正久が宗教思想、特に仏教をキリスト教との関わりでどのように理解しているかを明らかにすることである。 第二は、そのような「仏教・仏教者」に関する理解が、時代状況とどのような呼応関係にあるかを知ることである。この二側面を知ることを通して、我々キリスト者が負わねばならない社会的責任についても考えたい。 第一章では、教育勅語発布後の文化面での「国粋主義」に加えて、日清戦争期の国家主義の台頭を背景に描かれた「日蓮論」を紹介する。植村の日蓮論と、同年に書かれた内村鑑三の日蓮論との共通点は、世の如何なる権威にも服する事なく、自分の信心を貫く姿である。植村はそれを「剛愎」といい、内村は「狂気」というが、「鎮護国家」の面を強調する仏教者とは、二人共対照的な姿勢を示している。 第二章では1911 年に書かれた植村正久の「黒谷の上人」を紹介する。法然は彼がもっとも好んだ仏教者だったといわれる。その理由の一つは、法然の求道の姿にあった。夜襲によって逝った父から仇討ちを禁じられ、武士として生きる意味を喪った法然が、人としてひたすら「解脱」を求める。それは、植村がキリスト教に求めたものであり、植村の宗教観にも合致した。 もう一つの理由は、法然の教える「一心専念弥陀の名号」にある。すなわち「弥陀が願行を遂げ……その功を」凡夫に譲ってくれるという教えが、まさにキリストの贖罪による救いに通じているからである。無論、仏教の教えは非人格的で不十分とはいうが、法然の教えに、植村はキリスト教の贖罪信仰と「信仰義認」を見出した。 同じ頃、社会主義者として活動を続け、オーソドクスなキリスト教に批判的であった木下尚江が、「日蓮論」と翌年「法然・親鸞論」を著した。木下は、「立正安国論」を著し、時の執権や比叡山の僧たちと激しく対立した最盛期の日蓮ではなく、身延入山後の「法華経の行者」日蓮に着目した。そして「南無妙法蓮華経」でも「南無阿弥陀仏」でも、「ただひたすら唱えよ」に日蓮の教えの眼目を認める。植村も「よし殺さるゝまでも念仏申さにゃならねば」という法然に「仏教者の自由」を認めた。 彼らは、社会主義のみならず、思想言論の自由を圧迫して「教権」的絶対性を強める天皇制に抗して、人々が日本社会にあって自らの足で歩み続け得る「自由と革新」の素地を法然と「法華経の行者」日蓮の中に見出したのであった。この地で新しい力を蓄えて、彼ら、そして我らは、いかにして周囲にめぐらされた壁を破ることができるのか、これがまた一仕事である。

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