著者
津上 智実 Motomi TSUGAMI
雑誌
神戸女学院大学論集 = KOBE COLLEGE STUDIES
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.139-153, 2014-06-20

讃美歌412番「わがやまとの」は、1947年6月12日、昭和天皇の神戸女学院来院時に生徒たちが自然発生的に唱和したと伝えられるが、現行の讃美歌集に掲載されず、今の教会では歌われない。この歌は一体いつから、いつまで讃美歌集に掲載され、どれほど広く歌われていたのか。讃美歌集の横断調査によって、この疑問に答えるのが本論の目的である。調査の対象は、柳澤健太郎編「国立国会図書館所蔵讃美歌目録(和書編)」『参考書誌研究』第71号(2009年11月)掲載303点の内、1947年以前に出版された106点と、手代木俊一監修『明治期讃美歌・聖歌集成』(大空社、1996~1997)全42巻で、それに神戸女学院大学図書館所蔵分を加えた。調査の結果、これらに収録された「わがやまとの」とその関連讃美歌46点を得て、「(表1)讃美歌『わがやまとの』とその関連讃美歌一覧」として整理した。この讃美歌の原詩は 'Our native Land' (John S. Dwight 1844)、先行の邦訳に永井えいこ訳「ひのもとなる」(1884)がある。松山高吉訳の歌詞「わがやまとの」の初出は『新撰讃美歌』(1888)、ジョージ・オルチン George Allchin 編曲(原曲はG.M.ギャレットと伝えられる)の旋律「Hinomoto」の初出は『新撰讃美歌』譜附改訂版(1890)で、約2年半のずれがあり、当初「わがやまとの」の歌詞は「ひのもとなる」の旋律(America)で歌われていたとの植村正久の証言がある。その後、歌詞「わがやまとの(原)」は1902年に松山自身によって改変されて「わがやまとの(改)」となり、オルチンの旋律と共に1910年以降の讃美歌集で宗派を超えて広く用いられた。この詞と曲は戦後の讃美歌集でも引き継がれ、1997年の『讃美歌21』で収録曲から外された。以上から、讃美歌412番「わがやまとの」の歌詞「わがやまとの(改)」は1902年から用いられ、同じく旋律(Hinomoto)は1890年の初出後、1910年以降は旧旋律(America)に取って代わる形で広く用いられて、キリスト教関係者に定着していたことが明らかになった。

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