著者
森栗 茂一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.245-265, 1996-03-29

東北の河原町の特色一般に、日本のマチ場は河原や坂に位置するという。ここでは、東北のさまざまな城下町の河原に位置する町について検討した。日本の川は、勾配が急なため、また局地的な降水のため、広い河原が存在する。近世の都市においては、これを河川改修することで、城下町を建設してきた歴史がある。そうした河原町には、次の三つの歴史展開のケースがある。 ① 下級武士の住宅地としての歴史をたどったもの。現在も住宅地。 ② 城下町の武士の町と町人の町の境界の川にそった所にあり、現在も盛り場になっている。 ③ 城下町から出た街道が、城下町の端の川を渡頭のターミナルとして展開したもの。現在でも、職人町・在郷商人町となっている。弘前、盛岡、会津若松、仙台など、ある程度以上の規模の城下町では、こうした、町外れの河原の町が存在していた。なかでも、仙台の河原町周辺は、飢饉のときの餓死者を処理し、供養する場であった。また、被差別の人々、流浪芸人・障害者が集まっていた。河原である限り、差別された「河原者」と関わる歴史がある。仙台では、その差別をストレートに記述している資料があることに問題を感じる。一方で、仙台ではそうした差別の歴史を隠したり排除するのではなく、彼らの存在も、地域の特色の一つとして肯定的に受け止める姿勢がある。これは、差別の現実が眼前にあり、かつそうした差別記述を隠そうとする西日本の伝承の状況と異なっている。

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