著者
高橋 一樹
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.75-92, 2003-10-31

王家や摂関家の中世荘園は、それぞれの家政機関(院・女院庁や摂関家政所)や御願寺に付属するかたちで立荘・伝領される。本稿はこのうち王家の御願寺領荘園群の編成原理と展開過程の分析を通じて、個別研究とは異なる角度から中世荘園の成立と変質の実態について論じた。具体的な素材は、関連文書と公家日記等の記録類とを組み合わせて検討しうる、十二世紀後葉に建立された最勝光院(建春門院御願)の付属荘園群をとりあげた。最勝光院領の編成と立荘については、落慶直後から寺用の調達を目的に六荘園がまとめて立荘され、その後も願主の国忌(法華八講)などの国家的仏事の増加に対応して新たに立荘が積み重ねられた。その前提には、願主やその姻族(平氏)と関係の深い中央貴族から免田や国衙領が寄進されたが、実際に立荘された荘園は国衙領や他領をも包摂した複合的な荘域構成をとっており、知行国主・国守との連携にもとづく国衙側と協調した収取関係(加納・余田の設定)をもつ中世荘園の形成であった。また、最勝光院領に典型的にみられる立荘と仏事体系のリンクが、御願寺および付属荘園群の伝領を結びつけており、御願寺の継承者が仏事を主催し付属荘園から用途を徴収する現象の原理をここに見いだしうる。鎌倉幕府の成立した十三世紀以降の最勝光院は、各荘園の預所職を知行する領家(中央貴族)たちの寺用未進に対処するべく、同院政所を構成する別当・公文の主導のもと寺用にみあう下地を荘園内で分割して、その特定領域における領家の所務を排除する事例が多くみられた。下地を分割しない場合も含めて、これらの寺用確保の下支えになったのは地頭請所であり、その背景には幕府との政策連携があったことが推測される。これは領主制研究の枠組みのみで論じられてきた従来の下地中分論や地頭請所論とは大きく異なる評価であり、荘園制支配の変質と鎌倉幕府権力との関係を問う視角も含めて問題提起を行った。

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