- 著者
-
松田 睦彦
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.199, pp.11-24, 2015-12-25
小稿は人の日常的な地域移動とその生活文化への影響を扱うことが困難な民俗学の現状をふまえ,その原因を学史のなかに探り,検討することによって,今後,人の移動を民俗学の研究の俎上に載せるための足掛かりを模索することを目的とする。1930年代に柳田国男によって体系化が図られた民俗学は,農政学的な課題を継承したものであった。柳田の農業政策の重要な課題の一つは中農の養成である。しかし,中農を増やすためには余剰となる農村労働力の再配置が必要となる。そこで重要となったのが「労力配賦の問題」である。これは農村の余剰労働力の適正な配置をめざすものであり,柳田の農業政策の主要課題に位置づけられる。こうした「労力配賦の問題」は,人の移動のもたらす農村生活への影響についての考察という形に変化しながら,民俗学へと吸収される。柳田は社会変動の要因として人の移動を位置づけ,生活変化の様相を明らかにしようとしたのである。しかし,柳田の没後,1970年代から1980年代にかけて,柳田の民俗学は批判の対象となる。その過程で人の移動は「非常民」「非農民」の問題へと縮小される。一方で,伝承母体としての一定の地域の存在を前提とする個別分析法の隆盛により,人の移動は民俗学の視野の外へと追いやられることになった。人の日常的な移動を見ることが困難な民俗学の現況はここに由来する。今後,民俗学が人びとの地域移動が日常化した現代社会とより正面から向きあうためには,こうした学史的経緯を再確認し,人びとが移動するという事象そのものを視野の内に取り戻す必要がある。