著者
宮内 貴久
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.207, pp.183-221, 2018-02-28

福岡市は大陸に近い地政学的位置から,海外への玄関口という性格を持った都市である。戦後,空襲による家屋の焼失と約140万人におよぶ引揚者により,深刻な住宅不足問題に直面した。1950年の日本住宅公団の設立,1951年の「公営住宅法」により,公団住宅と公営住宅の建設が進められていった。しかし1960年,全国の世帯数1,957万に対して住宅数は約100万戸不足し,市営住宅募集倍率は数十倍という高倍率だった。福岡市では1973年までに14,020戸の市営住宅が建設され,公団住宅は19,417戸が建設された。南区警弥郷には,高度経済成長期を通じて1960年に市営警弥郷団地,1961年に市営上警固団地,1963年に分譲警弥郷住宅が建設された。こうした一連の住宅開発と1966年度からの第一期住宅建設五カ年計画により弥永団地が計画開発された。弥永団地は福岡市域に市営弥永団地,春日町域に分譲住宅と分譲地が都市施設とともに開発された。間取り2DKで,20~30代の若い夫婦と子供という核家族が多かったが,一種の約4%,二種の約12%が65歳以上の老人世帯だった。三世代同居もみられた。2DKは食寝分離,就寝分離を目的とした間取りだが,DKではなく畳の部屋で卓袱台で食事をしていた例が少なからずあった。統計上も3割が食事をする部屋で寝ており,公営住宅で食寝分離・就寝分離をしていたのは約47%に過ぎなかった。住民の属性は,技能工・生産工程作業員及び労務作業従事者の比率が約28%と高い。学歴は中卒・高卒,大卒の順に多い。共稼ぎ家庭が多く,母子家庭も多く低所得者が多かった。団地住民を見下す噂もある。二区には建設当初から現在まで入居している世帯が53世帯あり,18.3%を占めている。

言及状況

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