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OA
[研究ノート] 印判状に見られる日付上押印について
著者
小島 道裕
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History
(
ISSN:02867400
)
巻号頁・発行日
vol.224, pp.129-148, 2021-03-24
言及状況
変動(ピーク前後)
変動(月別)
分布
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@s_e__i_kai 永正15年すね 氏綱が在番していたのが小田原城で家督を継いでからそのまま本拠地化したと考えて良いかと ただ日付に関しては諸説ありますが氏綱から使い始めた虎の印判状発給が下記の論文にあるように永正15年10月8日のが最古であるのでその前に家督を継いだと考えて良いかと https://t.co/8IVGsdTwvc
日付上押印の印判状については、こちらの論文にまとめています。冨賀寺宛ての家康朱印状についても、ご許可を得て掲載しています。 https://t.co/ykpg8CLlhk
北条氏の「虎の印判」と日付上押印の問題については、下記でまとめています。「花押の代わり」ではなく、一貫して公印(家の印)として使用したのは日本では異例で、大陸の影響を伺わせますが、その滅亡と共に、この押印方法も廃れ、明治政府がようやく取り入れます。 https://t.co/ykpg8CLlhk
この足利氏姫の黒印状は、「日付上押印」すなわち北条氏がおそらく「東アジア標準」に倣って広めた押印方法の例で、北条氏滅亡後の天正19年(1590)の物ですが、北条氏を母・妻とする父義氏と同じ押印方法を続けていたことになります。下記の論文で触れたことがあります。 https://t.co/ykpg8CLlhk
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